「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

大晦日

2011年12月31日 22時13分59秒 | 歳時記
大晦日


激動の一年でした。
とにかく、新しい年を迎えることが出来そうで、嬉しことです。
総ては、多くの皆様方のおかげです。
有難う御座いました。
これからも、宜しくお願い致します。



年越し蕎麦をと思い、並木の『藪』に行きましtが、長蛇の列で、あきらめました。



江戸時代に「王子の狐」の話があります。
広重の木版画。



大晦日、装束稲荷から稲荷神社まで渡御が執り行われました。




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ソウル駅旧駅舎

2011年12月25日 19時20分30秒 | 文化遺産
ソウル駅旧駅舎



北朝鮮の金正日総書記が12月17日死去した。
これからの朝鮮半島の情勢がどうなるのか。
なるべく早い時期に、北朝鮮の民主化が進み、さらには統一されることを願いたいが、道は遠いのかもしれない。

朝鮮半島は中国、ロシア、日本などに翻弄されてきた。
日本の植民地であった時代に、破壊した朝鮮王朝時代の建物もあれば、植民地化したことのシンボルとして建築された建物もある。



1925年に建設された、ソウル駅の赤レンガの旧駅舎は今も健在だ。
駅舎としての機能は隣の新しい駅に移っているが、今年になって「ソウル駅文化館」としてリニュアールされた。





韓国語が分からないが、「オープン記念展」の様なものが開催されていた。
旧駅舎の駅長室・貴賓室などを改装して展示空間とした現代美術の展覧会が開催されていた。

今回、後藤清一さんの『薫染』を拝見に韓国中央博物館に行ったが、日本室の展示品がさらに充実すればいいのにと感じた。

僕が韓国に行ったのが12月6日~9日。
帰国して間もなくの頃から日韓関係がギクシャクしてきた、
北朝鮮情勢も先行き不透明。

言葉は異なるにしても、顔つきもそっくり。
ルーツは同じ、兄弟の様なもの。

美術品や文化財が国家間の友好を深める、大切にしたい。


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本橋 成一さん @ギャラリー・しえる

2011年12月23日 23時32分22秒 | Weblog
本橋 成一さん @ギャラリー・しえる





「スズキコージさんが僕の事務所にあらわれ、チェルノブイリノ写真お借りできますか?と言うことで渡したら、徹底的に切り刻まれまして。作者としては、つらい出来事でしたが、出来上っ作品を見て、良かったな、と思いました。」
と本橋 成一さんは話し始めた。

それから1時間以上、ロシアでの体験を話された。
終了後、何かいくらい訪れたのですか、とのし質問に30回以上と思います。
とのこと「初めの数回は、とても写真など写す心境になれなかった」抗がん剤で頭の毛が失われてしまった少女に対面すれば、自分がしたことではなくとも責任を感じてしまった。と体験の一端を語った。

その後の話は、感動的。
とても、僕の言葉では表現しようも無い。
戻ってからネットで検索したら、以下のような方、
世の中にはすごい人がいるものだと思った。

1963年 自由学園卒業。東京綜合写真専門学校入学。
1965年 筑豊文庫の上野英信を訪ね、その後 九州・北海道の炭鉱の人々を撮り始める。
1965年 報道写真家岡村昭彦と出会い1年半アシスタントをする。岡村の代わりに連絡係としてベトナムに赴く。
1968年 作品「炭鉱〈ヤマ〉」で、第5回太陽賞受賞。
1971年 『太陽』の仕事でユーラシア大陸を6ヶ月かけて横断する。
1972年 色川大吉『ユーラシア大陸思索行』でデンマーク、オーストリア、ギリシャ、トルコ、インドなどを撮影。
1972年 小沢昭一『諸國藝能旅鞄』(写真/本橋成一)6回連載。
1973年 フジテレビ『動物家族』のムービーカメラマンとして羽仁進と9ヶ月間東アフリカに滞在。
1974年 仲間と共同事務所JPU(ジャーナリスティック・フォトグラファー・ユニオン)を構える。
1976年 小沢昭一編集『藝能東西』の仕事で初めてサーカスを撮る。
1977年 日産自動車新聞広告の仕事で再びユーラシア大陸を3ヶ月で横断。
1980年 上野駅を撮り始める。個展『サーカスの時間』(新宿・ニコンサロン)写真集『サーカスの時間』(筑摩書房)刊行。
1983年 写真集『上野駅の幕間』(現代書館)刊行。
1985年 画家丸木位里・丸木俊のスライド集『ひろしまを見たひと』(監督・土本典昭)の作品を撮影。
1987年 独立して「ポレポレ坐」を立ち上げる。
1988年 写真集『魚河岸 ひとの町』(晶文社)刊行。
1989年 立松和平に同行して、パリ・ダカールラリーを撮影する。
1990年 『砂の水平線』共著・立松和平(平凡社)刊行。正式に事務所「ポレポレタイムス社」を設立。
1991年 チェルノブイリ原発とその被災地ベラルーシに通い始め、汚染地域で暮らす人々を撮影。
1993年 写真絵本『チェルノブイリからの風』(影書房)刊行。写真集『サーカスの詩』(影書房)刊行。
1994年 写真集『無限抱擁』(リトル・モア)刊行。
1995年 写真集『無限抱擁』で日本写真協会年度賞、写真の会賞を受賞。
1998年 写真集『ナージャの村』で第17回土門拳賞受賞。ドキュメンタリー映画『ナージャの村』を初監督。 ベルリン国際映画祭に出品。
2002年 二作目映画『アレクセイと泉』で52回ベルリン国際映画祭にてベルリナー新聞賞及び国際シネクラブ賞受賞。第12回サンクトペテルブルク映画祭でグランプリなど受賞多数。
2002年 雑誌の連載で開戦前のイラク国内を旅する。翌年『イラクの小さな橋を渡って』(池澤夏樹との共著)を緊急刊行。
2003年 毎日新聞にて“生命の旋律”を一年間連載し、翌年、写真集『生命の旋律の旋律~本橋成一が撮る人間の生き様集~』を刊行。
2006年 歌と三線一本で流浪の人生を送ってきた石垣島のおばあを描いた映画『ナミイと唄えば』を公開。
2007年 徳山ダムに沈んだ岐阜県徳山村に最後まで住み続けた村人たちの暮らしを15年追った映画「水になった村」を初プロデュース。
2009年 ドキュメンタリー映画『バオバブの記憶』公開。
2010年 プロデュース作品『祝の島』公開。
2010年 個展『昭和藝能東西』(銀座・ニコンサロン)写真集『昭和藝能東西』(オフィスエム)刊行









写真集
『炭鉱〈ヤマ〉』1968年(現代書館)
『サーカスの時間』1980年(筑摩書房)
『上野駅の幕間』1983年(現代書館)
『ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界』1987年(晶文社)
『魚河岸 ひとの町』1988年(晶文社)
『サーカスが来る日』1989年(リブロポート)
『老人と海』1990年(朝日新聞社)
『サーカスの詩』1993年(影書房)
『無限抱擁』1995年(リトル・モア)
『ナージャの村』1998年(平凡社)
『アレクセイと泉』2002年(小学館)
『生命(いのち)の旋律~本橋成一が撮る人間の生き様集~』2004年(毎日新聞社)
『バオバブの記憶』2009年(平凡社)
『昭和藝能東西』2010年(オフィスエム)
『屠場』2011年(平凡社)

単行本
『パリのお菓子屋さん』共著・山本益博 1980年(文化出版局)
『砂の水平線』共著・立松和平 1990年(平凡社)
『砂の旅人』共著・立松和平 1993年(駸々堂)
『ナージャ希望の村』2000年(学習研究社)
『イラクの小さな橋を渡って』共著・池澤夏樹

写真絵本
『チェルノブイリからの風』1993年(影書房)
『アレクセイと泉のはなし』2004年(アリス館)

文庫
『サーカスがやってくる』共著・西田敬一 1982年(旺文社)

映画
『ナージャの村』1997年(監督)
『アレクセイと泉』2002年(監督)
『ナミイと唄えば』2006年(監督)
『水になった村』2007年(プロデューサー)監督・大西暢夫
『バオバブの記憶』2009年(監督



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クリスマス会

2011年12月23日 21時51分54秒 | 歳時記
クリスマ階@Nさんのお宅



仲間内のクリスマス会。
サンタクロースが訪れました。
本当に、いるんですね。


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「ゲンパツイラナイ展」@ギャラリー しえる

2011年12月22日 15時06分40秒 | 美術展
「ゲンパツイラナイ展」@ギャラリー しえる ℡:029-241-5696-
本橋成一(写真)×スズキコージ(アート)




1999年9月30日の東海村JCO臨界事故を機に、電子力の安全性を考えようと集まった女性達が「子供たちの未来を考える会Air」を結成した。
今回の、震災に伴う原発事故の発生で、原発について勉強しようと「ゲンパツイラナイ展」を企画した。







写真家・本橋さんのチェルノブイリ三部作は、事故後のウクライナの村人の日常を写した白黒写真、絵本作家のスズキさんが切り刻んでコラージュした作品。




二人の想いが共鳴し、新たな世界を作り出した。
タイトルは「ゲンパツイラナイ展」だが、声だかに反原発を唱えてはいない。
その後の、村の人達を淡々と描きながら、自然や命の大切さを訴えている。

作品の他にTシャツや缶バッチなども販売されていた。


本橋成一さんのギャラリートークが開催される。


明日23日(金)の午後1時~と午後3時~の2回、写真家・本橋成一さんのギャラリートークが開催される。

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瓦や塼仏など @韓国中央博物館

2011年12月20日 20時27分09秒 | インポート
瓦や塼仏など @韓国中央博物館











瓦や塼仏が好きだ。
幾つか買ったこともあるが。手元には残っていない。
残念ではあるが、いたし方ない。

日本の瓦の源流は朝鮮半島から、仏教伝来と共にもたらされた。

韓国中央博物館には、個人が寄贈した品を展示する個別の部屋が、沢山あった。
各部屋に、寄贈者の名前が付けられている。
これなら、コレクションを寄贈した方も満足だろう。
日本人が寄贈したコレクションの展示室もあった。
韓国や中国の品々、どれも素晴らしかった。
日本の博物館に寄贈せず、韓国に寄贈したのは受け入れ側の体制にある。
博物館や美術館が寄贈を受けやすい方策を講じる必要がある。

歳入不足が続き、購入予算はゼロに等しい。
博物館や美術館は寄贈を受けやすい方策を考える時代だ。


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セリ @西の谷

2011年12月19日 23時00分07秒 | Weblog
セリ @西の谷


春の七草の一つであるが、西の谷に沢山生えている。

似た植物で、ドクゼリというのもある。
誤食すると、嘔吐、下痢、けいれん、呼吸困難などの中毒症状を起す。

水戸市植物園に行って聞こうと思うが、何度も食べているから、たぶん大丈夫だろう。

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忘己利他(もうこりた)…

2011年12月18日 17時48分29秒 | Weblog
忘己利他(もうこりた)…己を忘れて他を利する

今日で満70歳になった、有難いことである。
人生、僅か50年と云われた時代に生まれた。

瀬戸内 寂聴尼のエッセイに「忘己利他」という言葉が再三出てくる。

「もう・こりた」ではなく「もうこ・りた」である。

生きながらえた幸せを、他の人達に何が出来るか。

一生の課題であろう。


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水戸、オウンゴールで惜敗 第91回 天皇杯 4回戦

2011年12月17日 22時43分37秒 | Weblog
水戸、オウンゴールで惜敗 第91回 天皇杯 4回戦
@Ksスタ 水戸


FC東京を迎えた、サッカー天皇杯全日本選手権4回戦。
J1の2チームを破っての4回戦進出。
水戸にとって画期的な出来事。
しかし、オウンゴールの1点で敗退。

震災でメーンスタジアムが損壊し、練習できない時期もあったにもかかわらず健闘した1年間であった。
大震災を転機にアマチュア契約で加入した元日本代表FW鈴木隆行の力も大きい。

入場者数は6,242人で今季最高。
来年に期待できる、充実したシーズンであった。

柱谷監督に「有り難う」の感謝をささる。


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韓国の食文化 @ソウル

2011年12月17日 21時26分51秒 | 食べ歩き
韓国の食文化 @ソウル
ほんの一部であったが全てが美味しかった。


久し振りに韓国を旅した。
沢山食べたいと思ったが、3泊4日の日程では幾らも食べることが出来なかった。


取りあえずの、メモ書き。



何といってもキムチ、沢山の種類がある。
食堂やレストラン入ると自動的に数種類のキムチの皿が並ぶ。
しかも、全てが無料。

焼き肉、牛ばかりのように思うが、豚も多い。



サムギョプサルは豚三枚肉を使う非常にポピュラーな焼肉。
コチュジャンなどをつけ、サンチュ、エゴマの葉などで巻いて食べる。
店によって肉の切り方は異なるようだが、最初の店は、厚さが2㎝以上。

酒はマッコリを注文。これが、まことに美味しい。
生酒だから生きている。
店内を見渡すと、マッコリよりは焼酎(ソジュ)を?んでる人が圧倒的。





小麦粉で作った細いうどん様の麺。熱いスープを注いでくれる。

定食には蒸豚などもついた



スンドウブ(豆腐チゲ鍋)。



テールスープ、巨大なしっぽだ。



ご存知の定番、サムゲタン(参鶏湯)若鶏にもち米と高麗人参。
ナツメなどを詰めて煮た薬膳料理。



国立中央博物館の喫茶室で飲んだ、十全茶。
漢方薬の匂いで、10種類の生薬が配合されている。



博物館で観た李朝の食器。
今の食器はアルミニュウムやステンレスが多い。

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「サムスン美術館リウム」@ソウル市 龍山区

2011年12月16日 20時51分16秒 | 美術展
「サムスン美術館リウム」@ソウル市 龍山区



サムスングループは、大韓民国最大の財閥で世界的な企業集団。
経済活動以外にもスポーツや文化にも力を注いでいる。
サムスン文化財団が運営する「湖巌美術館」は、韓国のソウルの南約40kmの京畿道龍仁市のエバーランドの中に1982年開館し、主に朝鮮伝統絵画を所蔵し展示している。

2004年にソウル市内にオープンした「サムスン美術館リウム」は陶磁器、古書画、仏教美術、金属工芸品などを展示したMUSEUM1(古美術館)と、韓国と世界の近現代美術を展示したMUSEUM2(現代美術館)の2つの建物に分かれている。

「サムスン美術館リウム」に行く前に、地下鉄「往十里」近くの骨董ビルを見て回る。
一つのビルに50軒くらいの店が入っている。
昔の青山の骨董街を思い出す雰囲気だ。
今は、骨董品を買おうとする意欲はないが、見る気持ちだけは残っている。



地下鉄の[梨泰院]駅周辺は日本の原宿・表参道に似ている。

美術館までは徒歩10分位、住宅街の丘を登ると、エントランスの右手にウッドデッキのテラスがある。





六本木ヒルズにも展示してあるルイーズ・ブルジョアのママン(蜘蛛の彫刻)が展示されていた。小高い丘の上なので市内を見晴らせる。



入り口は地下1階、そこに至るウッドデッキには宮島達男のLEDを使用した作品が埋め込まれている。

〈MUSEUM1〉はスイス人建築家マリオ・ボッタが設計した建築物。





エレベーターで4階に昇り、天井はガラスの吹き抜けの白いラセン階段を下りながら展示室を巡る設計。
全ての部屋の展示空間は展示品の間隔が充分にとられている。
部屋は暗いが、照明効果が良く、最高の状況で鑑賞できる。


4階は高麗青磁。
3階は粉青沙器・白磁。
2階は古書画。
1階は仏教美術・金属工芸。

高麗青磁は完成度が高い、国宝級の逸品ばかり。
粉青沙器=日本では一般的に“粉引”と呼んでいる。これまた凄い。


〈MUSEUM2〉はフランスの建築家・芸術家ジャン・ヌーベルによる建築。
こちらもエレベータで2階まで上がり、下に降りていく順路。
1910年以降の韓国の現代美術と、1950年代以降のモダンアートに重点を置いた世界の現代美術作品。
イヴ・クライン、ロスコ、ウォーホル、ナムジュンパイク、村上隆、奈良美智等々。天井も高く、外光も入る展示室は。

特別展 は「朝鮮時代の宮廷画家」

企画展示室も地下2階まであって広い。-
絵巻物などが多かったが、実物以外に小さな画面をスクロールして、大きなスクリーンに拡大して見ることが出来る設備など、サムソンならでは展示方法。

どの建物も半分以上は地下にあり、地上に見える部分は少ないが延べ面積は4500坪あるとのこと。
建築と収蔵品の質と量はサムスングループの強大なパワーを感じた。

サムスンばかりでなく、韓国は活力にあふれていた。


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「原子力発電と安全神話」―原発PR映画を見る茨城上映会―

2011年12月15日 21時25分29秒 | Weblog
「原子力発電と安全神話」―原発PR映画を見る茨城上映会―

12月17日(土) 13:00~16:30
@茨城大学教育学部D棟 D201教室(水戸キャンパス内)




東海村に原子力研究所が開設され、商業用原子力発電所が運転を開始されて半世紀。
放射性廃棄物の処理はどうなるのか?
幾らかの疑問を感じながらも、安全神話を信じてきた。

東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故以来、原発の安全神話は大きく揺らいだ。

多くの人が、政府や東電や原子力関係者の発言・説明などに疑問を感じるようになった。
世界的にも脱原発の動きは加速している。



今回の催しは、原発推進派が制作したPR映画を上映し、戦後史の中で原発はどのように記録されてきたのか、成長神話や安全神話はどのように作られてきたのか。
推進派が何を考え、何を表現してきたかを知る事はとても重要なこと。
こういう映像のアーカイブは非常に重要な意味を持つ。

{上映・講演のスケジュール]

13:10~13:56「東海発電所の建設記録」(1966年 46分)
13:56~14:16「原子力発電所と地震」(1975年 20分)
14:16~14:53「海岸線に立つ日本の原子力発電所-鳥の見た島国のエネルギー」(1987年 27分)
15:05~15:29「いま原子力発電所は…」(1976年 24分)

講演1 15:29~15:45 「記録映画と原子力」
    村山英世氏(記録映画保存センター事務局長/元桜映画社社長)
講演2 15:45~16:00 「私たちのことばと原子力」
    橋浦洋志氏(茨城大学教育学部教授/日本近代文学)
講演3 16:00~16:15 「過去のために見る、今のために見る、未来のために見る」木村競氏(茨城大学教育学部教授/哲学・倫理学)
  質疑等 16:15~16:30

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南大門市場 @ソウル

2011年12月15日 18時52分47秒 | 
南大門市場 @ソウル



たった3泊4日のソウルの旅だったが、多くを得た旅だった。
韓国を訪ねたのは今回で3度目だが、40年前のこと、記憶は定かでない。
ソウルは首都だから東京と同じく高層ビルが多い。
東京以上の過密都市かもしれない。



宿泊したのは南大門近くの「ラマダホテル」
ソウル駅、西大門駅、市庁駅、会賢駅等が近く交通至便な場所。



24階建ての14階の部屋からの眺望は最高。
オンドルの床なので、靴をぬいでくつろげる、

近くに、ソウルのシンボルと云える南大門が在るが、2008年の火災で焼失。
現在は覆い屋をかけて、再建工事中。
丸の内のような場所で、大企業の本社が多い。
韓国の財閥「サムソン・グループ」の本社や関連企業のビルもある。



南大門市場は、そんな近代的な場所の一画に取り残されたような、闇市的な雰囲気を残した街。










上野のアメ横のようだが、横山町を加え食品・衣類・雑貨・屋台や食堂街と規模は大きい。

その数は1万軒以上というから驚き。
見歩いたのは、せいぜい百軒足らず。
旅に出たら、その土地ならではの市場をホロツキ歩くのが、何より楽しい。


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「新収蔵作品展」@水戸市立博物館

2011年12月14日 00時36分03秒 | 彫刻家 後藤清一
「新収蔵作品展」@水戸市立博物館
 12月3日~1月15日






木内克さんと後藤清一さんの作品が



水戸市立博物館では昨年度(本年3月まで)に収蔵した品々を展示している。
今回は、僕の敬愛する二人の彫刻家の作品が同時にしかも多数収蔵され、陳列されているのは嬉しいことだ。

木内克(1892-1984)と後藤清一(1893-1984)は水戸市下市に生を受けた幼馴染で、共に彫刻家としての道を歩んだ。
これほど沢山の作品が収蔵されたのは、遺族或いは収集家の寄贈によるものだろうか。
予算削減のあおりで購入予算がない時代、優品の寄贈は博物館や水戸市民にとっても、ありがたい。



木内さんは動的で、生命力にあふれた大らかな作品。
生前の木内さんに、一度お目にかかったことがある。
作品からは想像できない静かな方だった。









後藤さんは静的で、深い宗教観・哲学観に裏打ちされた作品。
後藤さんには数えきれないほどにお目にかかったが、ユーモアにあふれ謙虚で優しい方だった。
今回の収蔵品は、石膏原型が多くブロンズや木彫作品の基型といえるが、完成作と異なる、作者のぬくもりが伝わってくる。

先日、韓国国立中央博物館の『薫染』を拝見してきたばかり、感慨はひとしおだった。

水戸の風土に育まれたお二人は、作風は対照的だが、共に信じた道を貫き通した気骨の方だ。

是非とも、多くの人達に観てほしい。


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「Reゼミ2011展」@藝文プラザ 水戸市北三の丸

2011年12月13日 21時10分15秒 | 美術展
「Reゼミ2011展」@藝文プラザ 水戸市北三の丸
12月9日~12月15日




茨城大学卒業の元絵画ゼミ生によるグループ展が開催されている。
在学時の指導教官は画家の十河雅典さん。
十河さんは3年前に茨城大学教授を退任したにもかかわらず、当時を懐かしく思う卒業生が多く、このグループ展は2回目。

今回の課題は「この世界を見つめて」
3月の大震災と原発事故を踏まえていることは、言うまでもない。



9名の卒業生の作品(平面・立体・ビデオ作品・日本画など)が展示されている。



課題を出した十河さんもゲストとして出品しているが、最近体調が万全でないと伺っていたが、学生の作品よりインパクトがあった。




出品作に対し十河さんが講評する場に居合わせたが、的確なコメントに納得した。
「すべての作品が全力で出し切った、とは思えない」と云う一言に顕われていると思った。「授業は、一回限りの真剣勝負。一期一会です」とも話した。
情熱を内に秘め、常に、淡々と語り制作する姿勢は稀有な人だ。

卒業生の諸君が師を見習って、新たな冒険の旅に立たれんことを願う。

十河氏はこの催事に対し12月5日付けの「茨城新聞」文化欄に寄稿している。
機会が有れば、お読み御戴きたい。

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