「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

シェ、ジャニーのレシピ本が出来ることに。

2017年08月09日 23時42分23秒 | シェジャニー
シェ、ジャニーのレシピ本が出来ることに。



久し振りに春田さんにお会いしたので、近況を含めお話を伺いたいと思い、ハモさんに訊いたら「10時過ぎには、手が空くのでは」との話なので、一旦ホテルに戻り10時半頃に再訪した。

お客さんが終わっても、仕込や試作など真夜中から翌朝まで仕事なのが「ジャニー流」は今も変わらないようだ。
渋谷や安比の時も、深夜試行錯誤しながらレシピや調理法を変え、新たなことに挑戦を繰り返すことで、料理の奥深さが生まれることを感じた。
ジャニーの料理は仕込以前の下ごしらえも手を掛ける。

明日の準備の手を休め、「この雑誌社が、レシピ本を出してくれることになってね、校正は終了したけど、予定より少し遅れているかな」と、






「てくり」23号とゲラを見せてくれた。

「てくり」は盛岡のミニコミ誌。
最近のミニコミ誌は広告誌が多いが、「てくり」は内容が充実。
誌面作りに誠実さが感じられる。

戻ってから分かったが、《盛岡の「ふだん」暮らしをテーマに、既存の情報誌や広報誌には載ることがない、 ちょっとうれしいこと、おもしろい人、紹介したいものごと…そんな日常の物語たちを集め、紹介する本があったらいいなあ。そんな想いからできたのが、「新世代ミニコミ誌・てくり」》
(編集・発行 まちの編集室)。
編集・運営に携わっている3人は、全員が女性のようだ。

本誌の他に別冊を刊行することもあるようで、

てくり別冊




『光原社 北の美意識』 2014年5月発行 1,900円(税込)




『岩手のホームスパン』 2015年10月15日発行 2,160円(税込)

などが刊行されているので、今回のレシピ本はこのシリーズなのかもしれない。
この会社の方針は、『暮らしの手帳』の匂いもする。



渋谷神南の時代に『春田光治・魅惑の南仏料理』(1981年 中央公論社)が刊行された。
~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理がシリーズとして出版されたが今でも読み伝えられている。
既に絶版で、古書で探すほかにないから、新たな本を待ち望んでいた。

今回はレシピ本と云うことで『春田光治・魅惑の南仏料理』のように総合的なモノではなさそうだ。
しかし、これを契機に今の「シェ、ジャニー」の料理と文化、今の春田さんを紹介する「完全版」の刊行を望んでいる。

兎に角、間もなく出版されるであろう「レシピ本」を楽しみにしている。


●雑談の中で、アルトサックスプレーヤーの寺久保エレナのライブコンサートが8月1日(火)19:00から江東区の森下文化センターで開催されるので上京すると聞いた。
昨年11月、銀座で開催されたライブは出席出来なった。
しかし、翌日に日本橋の「伊勢定」鰻を肴に杯を傾けたる機会を得た。
その帰途に「鶴瓶の巷の噺」の取材に遭遇したオマケが付いた。
今度は是非と思い、チケットを予約。当日は開演前の1時間話を伺い、開演後の演奏を同じ空間で聴くことが出来た。春田教の信者の僕にとって、素晴らしい機会だった。
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『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。

2017年01月15日 12時40分44秒 | シェジャニー
『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。



巷にはホテルの宴会料理しかない時代に、渋谷の街外れにフランス人が日常食べている料理を提供するChez Johnnyが誕生したのが1969年で、今から45年以上前のことになる。

その後Chez Johnny “シェ・ジャニー”は予約が取れない有名店になるが、舌より頭で食べる客が増えたことに嫌気して、1986年安比高原のペンション街の一角に100坪の住まいを造り移住した。

それからの10年間はスキー・渓流の岩魚釣り・冬の狩猟など趣味の世界に遊んでいる。1997年、敷地の一角に増築した部屋を改装して『シェ・ジャニー』を再開し、18年間に渡り営業した。2015年7月には盛岡市材木町に移転、新装開店し現在に至る。
僕も1987年から2003年にかけて4回に渡ってお訪ねできたのは、今もって、素晴しい体験であった。材木町の店は開店間もない7月に駆け付けた。



(2015年7月)

渋谷の時代に『春田光治・魅惑の南仏料理』(1981年 中央公論社)が刊行された~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理がにシリーズで刊行された。第4巻が『春田光治・魅惑の南仏料理』。

ラタトゥイユ(ニース風野菜煮込み)、ニース風サラダ、牛胃袋の煮込み、仔羊もも肉とジャガイモのロースト、仔羊背肉のロースト、羊とナスの型蒸し(ムーサカ)、仔羊ひき肉の串焼き(ケフタ)、クスクス等々が紹介されている。

テレビ東京「巷(チマタ)の噺」の番組中にインタビューに登場した春田光治さんが好き放題に語っていたので大笑いをした。

司会の笑福亭鶴瓶とゲストの元柔道日本代表監督・篠原信一は「このおっさん凄いな~」と羨んでいるが、一世を風靡した料理人とは知らずの会話が面白かった。


そんこともあって、ジャニーーのブログを見たら、





「Gigot d'agneau à la boulangère」
暮から正月にかけてジゴ(Gigot)=羊の腿、3本焼きました。
ア・ラ・ブーランジェールはパン屋さん風の意。
昔はパン窯の余熱で焼いたのでしょうか?
羊も旨いけど、エキスを吸い込んだジャガイモが絶品
翌日はジゴをスライスしてマヨネーズ(市販は✖)、
ディジョンのマスタードで食べるのがフランス流。



レシピも添えられている、

があったので懐かしく、食べたい気持ちになった。
写真とコメントを引用して食べた気分に。
(一部の文と写真の引用は了解得ました)

そうの・こうの、していた時、自分のブログに見逃したコメントがあった。
『魅惑の南仏料理』の写真を担当された黒部徹さんからで、

●カメラマンの黒部です。
79年フリーになり、最初の本格的な料理単行本でした。
師匠(佐伯義勝)の姿に憧れ、フリーになってすぐにフランス放浪旅。
市場の捨てられた篭、牡蠣の篭まで拾って日本へ。ジャニーさんの本では活躍しました。その時のスナップも沢山使って頂き思い出一杯の本です。家庭画報の連載も毎回楽しかったです、単行本未完成は本当に残念でした。
魅惑の南仏料理の様な単行本が作れて良かったです、今日も机の上にありました。

この本の素晴らしさは、単なる料理本でなく南仏の街や人や風景がちりばめられているのでいっそう楽しい本だ。
今では流行の旅とグルメを先取りしている。

あらゆる点を勘案すると『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。

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テレビ東京「巷(チマタ)の噺」に春田光治さんご夫妻が

2017年01月11日 17時20分07秒 | シェジャニー
テレビ東京「巷(チマタ)の噺」に春田光治さんご夫妻が






2014年10月28日(火)夜11時58分スタートしたテレビ東京「巷(チマタ)の噺」は笑福亭鶴瓶とゲスト がよもやま話を展開するトーク バラエティ番組で、深夜にもかかわらず視聴率は高いらしい。

街中の様々な日常会話の中にある心温まるエピソードや意外な話などをベースに、VTRを製作し、それを見ながら鶴瓶とゲストが気ままにフリートークを展開する楽しい番組だ。

2017年1月10日放送のゲストは元柔道日本代表監督・篠原信一で柔道よもやま話が展開された。
インタビューVTRのコーナーで「シェ・ジャニー」の春田光治さんご夫妻が登場した。

放送に先立つ昨年の11月14日(月)銀座のジャズクラブ「No Bird」でサックスプレーヤーの寺久保エレナ・ライブコンサートを聴くため上京された。
演奏の素晴らしさと喜びで半分意識不明になるほどの感激だったとか。

翌日の17:30に日本橋の鰻「伊勢定」で待ち合わせ、鯛の塩辛・山芋の焼き物・里芋の揚げ物などをつまみに酒を飲んだ。
たっぷりの山葵で白焼き、さらには蒲焼をご馳走になった。

お礼を兼ねて新丸ビル7階の「丸の内ハウス」にご案内。
ウッドデッキからの東京駅や皇居の夜景を楽しみ「TIKI BAR TOKYO」で伝説のバーテンダーと言われるデニーこと愛川 誠次郎さんの「星子2016ヌーヴォー」ミスト・モヒート・マティニー、等を愉しんだ。
(この辺りについてはブログに掲載したのでご覧下さい)







飲んで食べて、11時前に東京駅でお別れしたがその後ホテルに向かう途中でテレビ東京の取材を受けたらしい。

☆「衝撃の41歳差仲良し夫婦」とサブタイトル。
内容についてはインターネット配信で1月10日(火)放送分.は1月17日(火) まで配信予定.らしいから“テレビ東京「巷(チマタ)の噺」‘にアクセスしご覧ください。







お訊きしたくても訊けないことなどを自らが赤裸々にご披露していたので、インタビュアーも大笑い。
8回目の結婚・41歳の齢の差・嫁さんは自分の娘より年下・夜の生活のこと、などなど、テレビ的な内容と思えるが事実の事柄。





笑福亭鶴瓶と元柔道日本代表監督・篠原信一は春田さんより一世代下だから渋谷のジャニーの店を知らないだろうが、往時を知る人たちにとっては、「エ!ジャニーだ」と驚かれたことだろう。

お世辞無しの一本気のジャニーの性格だから、「好きに成ればすぐ結婚、厭になれば即離婚」の人生を繰り返したが、誠実であればこそ、で浮気者とは誤解なさらぬように。

偶々、8人の内、最初の奥さまだけはお会いしたことが無いだけで、それ以外は全てお会いし話もしているのはいささか不思議。
渋谷の時代から安比へ更には盛岡の材木町へ。
シェ・ジャニーの移り変わりを目の当たりに出来たことは幸せ。
「ジャニーの料理は日本一」.と思っている。

何方かが評伝を書かれることを期待しているが、今回の話の様なことも事実で、本人の口から話したことだから問題はないだろう。

別れたカミさん同士が仲良し、と言う話を以前に聞いた。
これもジャニーの人徳だろう。

久し振りに食事を共にし、酒を酌み交わした夜の出来事。
取材のお蔭で、振り返ることが出来る幸運に感謝。

●テレビ東京「巷(チマタ)の噺」ンターネット配信で1月10日(火)放送分.は1月17日(火) まで配信予定.
http://www.tv-tokyo.co.jp/chimata/?sc_cid=videotokyo
放送開始の13分から19分頃の時間が春田さんご夫妻。
(映像写真はPC画面を撮影のため鮮明でなく申し訳ありません)
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ジャニー夫妻と久し振りに@日本橋

2016年11月16日 20時46分03秒 | シェジャニー
ジャニー夫妻と久し振りに@日本橋





アルトサックス奏者の寺久保エレナのライブを聞きに上京する。
とのジャニーからのメール。

昨年7月頃にお会いして以来お目にかかっていないので急遽上京。
とは言え、コンサートの翌日に飯でも一緒にと言う話。

久し振りに、お二方と数時間をすごせたことは嬉しかった。

待ち合わせ合わせは、日本橋の老舗の鰻屋「伊勢定」。
蕎麦前はあるが、鰻前。




鯛の塩辛をつまみにお酒。
色々な銘柄が揃っているので何にしようか迷った。



里芋の揚げ物。



山芋の焼き物




たっぷりの山葵で白焼き。



鰻丼

ご馳走様でした。


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シェ、ジャニーのインテリア @盛岡市材木町

2015年08月04日 06時25分23秒 | シェジャニー
シェ、ジャニーのインテリア @盛岡市材木町



渋谷の住宅街の一角に誕生したシェ、ジャニーは個人の家の一部屋で食事を戴くと云うスタイルで始まった。
今流行の、隠れ家レストランのはしりと云える。
店と云うより住まいの空間で食事を戴くというスタイル。
あたかも、南欧の住宅の一部屋と云う感じ。

今回の材木町は、通りに面した如何にも店らしい店だが、インテリアにはかなりの気配りがなされている。



入り口の扉は古材に鉄の鍛造金具を使用。




客席は最大で14席の、こじんまりとした空間。
壁面の煉瓦に版画や絵画が飾られている。

アルルカン・女道化師のシリーズで知られる西村 宣造(1943~2012)の版。僕も大好きな作家です。
西村の作品は水戸のコーヒー専門店「トロワシャンブル」にも沢山あります。



大きな窓からは材木町の町並みが望める。



店内のBGMは開店以来ジャズ、今回は自宅で使用しているJBLのスピーカーはじめ、オーデオのセットをドーンと中央に。

客室と厨房をつなぐ観音開きのドアは、ゆったりと開閉する。
傍らにはCDの棚。
古材を随所に使用したので、親しみと懐かしさを感じる。
柱に吊るされているのは英国18世紀の暖炉に吊るす自在鍵。




自室に有った船の窓を厨房と客室をつなぐ窓に。



ペレットストーブとペレット入れ。
18世紀、イギリスの石炭入れの銅の缶。



イタリア製のステンドグラス。



世界各地のオーナメントが沢山置かれてある。



伝説のクライマー、吉野満彦さん使用のピッケル。

近頃、食器は白磁のみ。インテリアもシンプルなモノトーン。
等が流行っているようだが、全編そればかりでは、何か味気ない。

ジャニーの店は温もりとおもてなしの心を感じる。
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シェ・ジャニー予約しました。@盛岡市材木町

2015年07月23日 12時20分34秒 | シェジャニー

シェ・ジャニー予約しました。@盛岡市材木町



7月4日に安比高原から盛岡市材木町に移転したフランス料理店「シェ・ジャニー」が新粧開店した。
1969年渋谷の神南に開業し、瞬く間に東京の食通をうならせる店として評判となった。常に新たなことに挑戦する気性のジャニーはいとも簡単に。繁盛店を閉めて、85年に安比に移住。スキーや渓流釣り、狩猟、山菜取りなど気ままな山暮らしを約10年間続けた。
1997年、友人たちの求めに応じ店を再開した。
安比高原の知る人ぞ知るレストランとなったが、30年を経過した建物の傷みは激しく、再建か移転かを迷った。

今年に成って、たまたまの縁で盛岡市材木町「光原社」の隣の物件に出会い即決。短期間に改修をすませ新装開店の運びとなった。

昨年7月に安比の店を訪ねてから満1年。
人生何が起こるか予測はつかない。

開店井至る過程は逐次ブログで拝見していた。
今月下旬、訪問の予約が出来た。
どの様な店か楽しみにしていた。



7月19日付けの「河北新報」に進展を紹介するコラムが掲載された。
「1人の料理人・1軒の料理店が、街を動かす大きな力になる。」と云う感じで読んだ。これから、訪れるかもしれない方々に転載させて頂く。

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「シェ.ジャニー」材木町店オープン

2015年07月03日 18時45分51秒 | シェジャニー
「シェ.ジャニー」材木町店オープン
@盛岡市材木町7-44 ℡ 019-601-6784





(店頭のボードにどんなメニューが書かれるのでしょう)

ジャニーこと春田光治さんは1969年渋谷区神南の自宅の一角を改装し、フランス料理店 Chez Johnny “シェ・ジャニー”を開業した。
今でいう隠れ家レストランのような雰囲気に加え、内臓料理やフランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、日本に初登場の料理は新風を吹き込み、瞬く間、に予約の取れない評判の店となった。

15年が経過した1985年、世はグルメブームを迎へ舌より頭で料理を食べる客が増えたことに嫌気して、大繁盛の店を閉め、1986年安比高原のペンション街の一角に100坪の住まいを造り移住した。
以後10年間はスキー、渓流の岩魚釣り、冬の狩猟など趣味の世界に遊んだ。
その間、雑誌の取材などに応じ「安比料理工房」と称して地元の食材による料理研究は継続したが、日々の料理は家族と東京から訪ねてくる友人のために供した。
従って、一般の人たちに眼にふれる機会が少なく“幻の・伝説の料理人”と呼ばれるようになった。

再開してほしいとの要望に応える形で敷地の一角に増築した部屋を改装して「シェ・ジャニー」を再開店したのが1997年。
高原のレストランとして評判を呼び、遠方からのお客さん来る店となった。

安比に移住して30年を経過した今年、豪雪地帯の建物の痛みが激しくなり、改築・移転を考えていた際に盛岡市材木町の中古物件の話が舞い込み、急遽、移転することになった。




(奥様のイチさん、連日の仕込みでお疲れの様子)

改装工事が完了して、明日7月4日、シェ.ジャニー材木町店がオープンする。
渋谷に開店して以来2度転居したが、46周年を迎える。

長らく親しんだ安比から幾らか離れるが、我々にとっては盛岡は行きやすくなった。
材木町と云えば民芸品の「光原社」が有名だがそのお隣。
新たな盛岡名所が誕生する。




(渋谷時代からシェ.ジャニーのBGMはジャズ)

スーシェフを務めていた「ハモさん」の自宅は対面とのこと。
忙しい時にはお手伝いも戴けるだろう。
渋谷時代、厨房の中には大勢が働き、料理の研鑽に励みあたかもジャニーを中心とした学校の様でもあった。


材木町店開店おめでとうございます。
なるべく早くお伺いしたいと思っています。

盛岡の地で、料理が主ではあるが音楽を始め幅広い交流の場、としての「シェ.ジャニー」であることを願っています。

(*写真はフレンチレストラン シェ.ジャニーのブログ~魅惑の南仏料理~より)

●フレンチレストラン シェ.ジャニー 
岩手県盛岡市材木町7-44 ℡ 019-601-6784 月曜定休
完全予約制で、5日前までに予約。
予約の際、好みによりコースを組み立て。¥10,000~
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中華・ピッザ・鮨 @盛岡市

2014年07月26日 16時45分45秒 | シェジャニー

中華・ピッザ・鮨 @盛岡市

 

食べられれば何でもいいと思っているが、たまには美味しいものもと思うときもある。安比のジャニーへの旅は、水戸の京成百貨店のお中元売場に来水した、秋田のうどん屋さん「眞壁屋」の眞壁明吉良さんとの縁。

「明日、盛岡まで行きます」との話を聞いて、同乗を願い出た。

盛岡まで行けば、安比までは1時間足らず、何とかなるだろうと考えた。

 

朝7時に水戸を発ち昼頃には盛岡着。

眞壁さんが待ち合わせた方と一緒に、昼ごはん。

となった。中心街にある、本格的な中華料理店とのこと。

 

萬花京@盛岡市菜園1-6-13

 

豪華な昼定食をご馳走になった。

 

次から次に、料理が出る。

<ヌーベルシノワ≫を標榜しているから、今風なのだろう。

写真を見て、料理をご堪能下さい。

 

 

ピッツェリア ピアーチェ@盛岡市大通3-6-23

 

安比から戻って盛岡に宿泊した。

散策の後はピッツェリア ピアーチェに

 

PIZZA発祥の地、ナポリの伝統を 重んじている人達の後継者で、イタリア産小麦粉・水・塩・生イーストの 4つのみであることが基本とした薪窯の店。

「真のナポリピッザ協会(本部ナポリ)」の店で日本で36店舗目だとのこと。

●マルナーラ(ナポリPIZZAの原点・ニンニクとオレガノ)を注文。

 

回転鮨清次郎@盛岡駅ビルフェザン内B1F

 

ジャニーが「回転寿司だけど旨いよ」と云うことで、行きました。

魚の卸やさん経営によるとのこと、盛岡市内に何店か構えている中のひとつ。

確かに、ネタが良い。

 

天然ワカメ汁。

 

カンパチ・アイナメ・タイ。

何れも天然物。

 

更に,キンメ。

 

水タコ。

 

旨かった。

店長の長岡真広さんにご挨拶も出来た。

 

何れのお店も、機会が有れば再訪したい。

盛岡経由、安比高原は魅力にあふれています。

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安比高原への拠点、盛岡市の点描

2014年07月22日 19時44分31秒 | シェジャニー

比高原への拠点、盛岡市の点描安比高原への拠点、盛岡市の点描。
歩いてたのしむまち

「シェ・ジャニー」のある安比高原は東北自動車道「松尾八幡平IC」或いはJR花輪線「安比高原駅」を経由する。
何れにせよ盛岡市が基点。
これまで何度か立ち寄り、わんこ蕎麦、盛岡城址公園、光原社などにも行った。
今回は盛岡に1泊し、貸自転車でポタリグしたので、いくらか詳しく見られた。

北東北の観光拠点になっている盛岡駅。
東北新幹線、秋田新幹線の分岐点でもある。

駅近くで、貸自転車を借りる。

啄木であい道。
川沿いの小道に沢山の歌碑が並ぶ。

 

 

 


開運橋を渡り、真っ直ぐ進んで行けば盛岡一番の繁華街・大通りに至る。
この橋、水戸の水府橋に似ていますが、昭和27年製。

材木町、宮沢賢治ゆかりの民芸品店をはじめ陶器、木綿、漆器、木工家具など手仕事を重んじる店が軒を並べている。


「光原社」は宮沢賢治の命名による。
大正13年に賢治の『注文の多い料理店』を出版。

 

中庭に賢治の記念碑が建ち、裏の白壁には「雨ニモマケズ」などの詩が大書してある。民芸品やコーヒー店も有ります。


開運橋を渡り、真っ直ぐ進んで行けば盛岡一番の繁華街・大通りに至る。
この橋、水戸の水府橋に似ていますが、昭和27年製。

 

大通りの商店街、空き店舗は殆んどありません。
映画通り、もありました。今でも何軒かの映画館が有るようです。

 

盛岡城跡公園(岩手公園)。
盛岡城は北上川と中津川の合流点の丘陵につくられた平山城。
桃山時代から改修を重ねた石垣は見事。

公園の近くに、この様な懐かしき飲み屋街もある。

石割桜
盛岡地方裁判所前にある、樹齢約360年ともいわれるエドヒガンザクラ。
周囲21mの巨大な花崗岩を割って成長を続ける生命力が見事。
国の天然記念物。

盛岡市は「歩いて楽しむまち」を標榜している。
案内図や標識など、心配りが感じられた。

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弟子からの便りの再録

2014年07月21日 22時21分18秒 | シェジャニー

 

写真は本年春田さんがレストラン・ボン ヴィヴァンを訪れた。、

伊勢のレストラン・ボン ヴィヴァンのオーナーシェフ河瀬 毅さんが2006年にアップした記事をご本人の了解を得たのでアップします。(原文のまま) 料理の神様とも称されています。

弟子からの便りの再録

料理の神様とも称されています。
25年前に魅惑の南仏料理と言う本を出版したこの料理人について お話したいと思います。
前回に予告した北勢の虎の話は、又次回と言う事で勘弁して下さい。 何故なら私は、心から愛して尊敬するこの安比の神様の弟子の一人ボン ヴィヴァンであるからです。
私という料理人が形成された過程の中でレストラン・シェ・ジャニーがどれほどの影響を私に与え、 感動を覚えさせてくれたか・・・・ 春田光治は、決して叩き上げの苦労人の調理師ではありません。
もちろん勉強家ではありますが、 みじんも見せず鼻歌唄いながら楽しそうに鍋を操る、生まれながらの天才料理人です。
彼が作り出す料理の数々に当時の美食家達はせっせとレストランに通い詰めました。
今、流行りのこぎれいな料理ではありませんが、フロマージュドテート(豚の頭のゼリー寄せ)、 トリップアラモードカン(牛胃袋の料理)ラタトゥイユ(南仏野菜の煮込み)などなど 見掛け倒しの一発料理ではなく、素材、火の使い方、時間、香草、香辛料、味の構築。 全ての判断力が体にしみついてこそ初めて作ることが出来るこれらの料理。
素朴でしみじみと味わい深い料理が天才の手にかかると極上の皿に変貌します。 洋館を改造して変則的な決して広くはない厨房にいた当時の私たち11人。
まかないもシェフのお世話になりました。
ベトナムラーメン、ブランケット、叉焼、ピエジャメetc 若かった私たちはチームとなってレストランを盛り立て、褒美としてシェフの傍らに居させてもらっていた ような気がしてなりません。 にんにくは芽を取り除いてからパーンと潰してからアッシェにします。生姜は繊維を断ち切るような方向で すりおろし、わさびは外皮を綺麗に削って緑だけにして鮫の皮のおろし金で円を書くように優しくおろす。
おろし終わったらわさびをそっと捏ねるんでしたね。
醤油の中にわさびは溶かず、刺身の上にちょっと乗せ醤油を少しつけて食べるもんだと26年も前に 教わりました。
グルメ本、指南書が溢れる今でこそ当たり前の知識。
でも私たちは貴方のおかげで当時からいっぱしでした。
渋谷の公園通りの奥に入った所。文化屋雑貨店から消防署の横を上がった所。 上がりきると、コロンバン、出来たばかりの釜茹でスパゲティの五右衛門があり、 坂の途中にはサザビーズが小さな店でオープンしは、まだシップスと名乗っていました。

 代官山にハリウッドランチマーケットが出来て、
神田のガラクタ貿易で三枚組のヘインズのTシャツが 予約待ちだった頃の話です。

岩手県に潜むジャニーへ。
勝手にそんな頃の話をしてもいいですか? 当時の私たちの仕事。渋谷の街の風景。
何故ジャニーが連日満席の店を売ってあえて安比高原に移ったか。
これから、しばらくポツポツと深夜の独り言を喋っていきたいと思います。

そう言えばジャニー、先日届いたカキスープもベーコンも素晴らしかったです。 前回のクスクスやカイエットといいスタッフ一同、感動でやられっぱなしです。

 

*追記、ジャニーより若干の訂正が入りました。

大蒜の芽、よほど悪い色でなければ取りません、生姜は繊維に沿っておろした方がよろしいです。

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シェ・ジャニーの魅力

2014年07月19日 18時14分33秒 | シェジャニー

「シェ・ジャニー」に行こう。


渋谷区神南の住宅街に、春田光治さんがフランス料理店「シェ・ジャニー」が開業したのは1969年。
実家が所有していたアパートを改装した小さなレストランだった。

フランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、当時の日本で初登場の料理は大人気を博し、連日、予約で満席という状況が続いた。
今では、中華屋さんから居酒屋さんの突出まで、夏の定番メニュー「ラタトゥイユ」(ニース風野菜煮込み)を始めてメニューに載せたのも、春田さんだ。

開業して約15年、料理を頭で味わう人達が多くなったことを嫌気したオーナーシェフの春田光治さんは、1985年渋谷の地を離れ安比高原に移住した。
グルメブームに背を向けた男と僕は思っている。

その後の約10年間は、スキー、釣りや狩猟など趣味の世界を楽しんだ。
料理は、家族と友人のため、毎日の三食を真剣に取り組んだ。
全ての事に妥協しない性格だ。

余りにも早い隠棲生活入りを惜しんだ友人の助言や、昔の常連さんの要望もあって1997年自宅の一部を改装し「シェ・ジャーニー」の営業を再開した。

 

 

5日前迄の予約制で、自分の食べたい料理などの希望を伝え、メニューなどを相談して決める。

戦中戦後の耐乏生活に生まれ育ったから、今の世は、かっての王侯貴族さえも出来なかったほどの豊かな暮らしにあふれている。

食べ物に関しても、
料理番組のエンターテイメント、バラエテー化。
廉価の飲食チエーンによる均一化。
町おこし村おこしのB級グルメブーム。
ラーメン、カレー、蕎麦などの食べ歩き。
高級店でも、白磁一色の単純な器のオンパレード。
高級食材をこれでもかと使い過ぎた豪華料理。
等々、感じることは沢山ある。
しかし、自分なりの物差しを得ておくことは必要だ。

「シェ・ジャーニー」春田さんの料理は、

料理の基本に忠実で、今風の奇をてらった器使いや料理は出さない。
厳選した素材と、原価率が高い(売値のかなりが材料費で利益は少なくなる)料理は健康食で、なおかつ美味しい。

素材や香辛料、作り方まで、隠さずに全てを教えてくれる。
「当店、秘伝のレシピ」などの野暮なことは絶対に言わない。

店の内外も飾り過ぎずにシンプルに。
料理はコンサートなどと同じ時間の流れを楽しむことでもあり、次なる料理とのタイミングや取り合わせ。

食の重要性を考え,味と見た目の調和。
全ての面で、一つの基準となりうる。
美味しい料理をお腹いっぱい味わってほしい。との信念は変わらない。


何処から行くにしても、安比高原「シェ・ジャーニー」への道は近くはないが
時には「シェ・ジャニー」に行くことをお勧めしたい。

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