中村 美智男・成美さんご夫妻
「シェジャニー」の渋谷時代から、安比さらには盛岡に至るまで春田光治さんと永らく行動を共にしたハモさんこと中村 美智男さんと会いたい、というのも今回の盛岡訪問の目的の一つだった。
「我が家で昼飯でも一緒に」という返事を頂き、22日の12時半に盛岡駅前に迎えに来ていただき、15分足らずの郊外の御自宅へ。
奥様の成美さんと初めての対面。
友人が釣ってきた、大きなヒラメがあるから、と捌いて刺身に。
渋谷時代からスーシェフだったハモさんは何にでも興味を示す春田さん(ジャニー)の良きアシスタント、安比では春田さんと渓流釣りに多くを費やし、イワナなどの魚料理も手を伸ばした。
今でも釣り仲間が多いらしく、釣果の多い友人から差し入れもあるのだろう。
冬の安比では春田さんと共に猟銃を携え、ウサギやカモなどを狩りジビエ料理に凝った時期もある。
手打ちそば
春田さんはそばも大好きだった。
常陸太田の蕎麦の名店「慈久庵」店主の小川亘夫さんとも友人。
従って、春田さんと共にハモさんも蕎麦打ちに精進した。
この日は友人に差し上げようと打った蕎麦のおすそ分け。
黄ニラの水餃子。
春田さんは中華も大好き、黄ニラの水餃子はシェジャニーの賄料理の代表格。
お取り寄せなどにも販売したらしい。
どちらかといえば、ハモさんの得意料理のようだ。
フランボワーズのソルベ。
今では一般的だがシェジャニーでは渋谷の頃から提供していた。
ハモさんと。
気が付けば4時半、食事をしながら3時間半も過ごした。
シェジャニーの渋谷時代~安比~盛岡・材木町、50年間に及ぶ話しだから、それでも話したりないところや、記憶があいまいなところも多々あった。
ジャニーとハモさん、かば焼きを焼くの図。
春田さんはウナギも大好きだった。
春田光治さんはこの世を去ってしまったが、多くの人々に多くの思い出を残した。有難うございました。
「シェジャニー」の渋谷時代から、安比さらには盛岡に至るまで春田光治さんと永らく行動を共にしたハモさんこと中村 美智男さんと会いたい、というのも今回の盛岡訪問の目的の一つだった。
「我が家で昼飯でも一緒に」という返事を頂き、22日の12時半に盛岡駅前に迎えに来ていただき、15分足らずの郊外の御自宅へ。
奥様の成美さんと初めての対面。
友人が釣ってきた、大きなヒラメがあるから、と捌いて刺身に。
渋谷時代からスーシェフだったハモさんは何にでも興味を示す春田さん(ジャニー)の良きアシスタント、安比では春田さんと渓流釣りに多くを費やし、イワナなどの魚料理も手を伸ばした。
今でも釣り仲間が多いらしく、釣果の多い友人から差し入れもあるのだろう。
冬の安比では春田さんと共に猟銃を携え、ウサギやカモなどを狩りジビエ料理に凝った時期もある。
手打ちそば
春田さんはそばも大好きだった。
常陸太田の蕎麦の名店「慈久庵」店主の小川亘夫さんとも友人。
従って、春田さんと共にハモさんも蕎麦打ちに精進した。
この日は友人に差し上げようと打った蕎麦のおすそ分け。
黄ニラの水餃子。
春田さんは中華も大好き、黄ニラの水餃子はシェジャニーの賄料理の代表格。
お取り寄せなどにも販売したらしい。
どちらかといえば、ハモさんの得意料理のようだ。
フランボワーズのソルベ。
今では一般的だがシェジャニーでは渋谷の頃から提供していた。
ハモさんと。
気が付けば4時半、食事をしながら3時間半も過ごした。
シェジャニーの渋谷時代~安比~盛岡・材木町、50年間に及ぶ話しだから、それでも話したりないところや、記憶があいまいなところも多々あった。
ジャニーとハモさん、かば焼きを焼くの図。
春田さんはウナギも大好きだった。
春田光治さんはこの世を去ってしまったが、多くの人々に多くの思い出を残した。有難うございました。