「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

中村 美智男・成美さんご夫妻

2023年09月15日 23時57分10秒 | シェジャニー
中村 美智男・成美さんご夫妻



「シェジャニー」の渋谷時代から、安比さらには盛岡に至るまで春田光治さんと永らく行動を共にしたハモさんこと中村 美智男さんと会いたい、というのも今回の盛岡訪問の目的の一つだった。
「我が家で昼飯でも一緒に」という返事を頂き、22日の12時半に盛岡駅前に迎えに来ていただき、15分足らずの郊外の御自宅へ。
奥様の成美さんと初めての対面。





友人が釣ってきた、大きなヒラメがあるから、と捌いて刺身に。
渋谷時代からスーシェフだったハモさんは何にでも興味を示す春田さん(ジャニー)の良きアシスタント、安比では春田さんと渓流釣りに多くを費やし、イワナなどの魚料理も手を伸ばした。
今でも釣り仲間が多いらしく、釣果の多い友人から差し入れもあるのだろう。
冬の安比では春田さんと共に猟銃を携え、ウサギやカモなどを狩りジビエ料理に凝った時期もある。



手打ちそば
春田さんはそばも大好きだった。
常陸太田の蕎麦の名店「慈久庵」店主の小川亘夫さんとも友人。
従って、春田さんと共にハモさんも蕎麦打ちに精進した。
この日は友人に差し上げようと打った蕎麦のおすそ分け。



黄ニラの水餃子。
春田さんは中華も大好き、黄ニラの水餃子はシェジャニーの賄料理の代表格。
お取り寄せなどにも販売したらしい。
どちらかといえば、ハモさんの得意料理のようだ。



フランボワーズのソルベ。
今では一般的だがシェジャニーでは渋谷の頃から提供していた。



ハモさんと。
気が付けば4時半、食事をしながら3時間半も過ごした。
シェジャニーの渋谷時代~安比~盛岡・材木町、50年間に及ぶ話しだから、それでも話したりないところや、記憶があいまいなところも多々あった。



ジャニーとハモさん、かば焼きを焼くの図。
春田さんはウナギも大好きだった。

春田光治さんはこの世を去ってしまったが、多くの人々に多くの思い出を残した。有難うございました。

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ラ・メゾン ポデタン(La Maison Pot d'Etain)@八戸市番町2

2023年09月14日 19時32分43秒 | シェジャニー
ラ・メゾン ポデタン(La Maison Pot d'Etain)@八戸市番町2



念願がかなって春田さんのお墓をお参りすることが出来た。
「これから、八戸の「ラ・メゾン ポデタン」に参りましょう」と真壁さん。
春田さんの安比時代のお弟子さんの三浦祐紀さんが独立し、八戸でフランス料理店を始めて21年になる。
私も2017年8月に訪問し、ジャニー流+ポデタン流の料理を味わった。
盛岡から100キロ、高速を使用しても2時間を要する。

お墓参りの後にお弟子さんのお店で食事をするという、夢のプランが実現するとは思いもしなかった。
これも春田さんの思し召しなのだろう。





厨房の2方向が開放され、調理の様子が眺められるライブキッチン。
八戸の魚と近郊の農家の野菜をうまく取り合わせた料理を提供する。
地元の料理人たちによる「八戸やさいマルシェ&七夕ブイヤベース」などのイベントの中心人物でもあるらしい。



別室の食卓は、春田さんの自室のダイニングテーブルを譲り受けた。
このテーブルを囲んで春田家と縁のある人たちが集い、食べて飲んだ思い出に満ちた食卓で、私もこのテーブルを囲んで何度か楽しい時間を過ごした。
ポデタンの部屋に寸法を合わせたから、当時よりかなり短い。





我々の席の脇に、亡き春田さんの為のミニ膳が用意されてあった。
一緒に食事をどうぞ、という心遣いだ。前菜を含め、次々と料理が並んだ。
「シェジャニー」の冷凍庫にあったブイヤベースを頂いてきたのが有ると、提供してくれたのだ。何というご縁だろう、春田さんの料理が3年以上を経て並んだのだ。「味はどう!」と、にこやかに眺めている。







使用する野菜は八戸近郊の農家さんの畑が主だが、在来危惧種の保存にも力を入れ、使い道を模索している。「糠塚キュウリ」は胡瓜というより瓜に近い在来種で今が旬のようだ

次々と料理が並んだが、詳しく覚えていない。
不思議な一日だった。



眞壁さんお気に入りの三浦さんと大笑いしている春田さん。
「私の印象はこの顔、笑いこそ春田先生というイメージです。最高のショットです。」と眞壁さんは言う。
三浦さん、真壁さん有難うございました。

●La Maison Pot d‘Etain
青森県八戸市番町2 電話:0178-22-3383
営業時間:月~土、祝日、祝前日: 11:30~14:00
(料理L.O. 13:15 ドリンクL.O. 13:30)
18:00~22:00 (料理L.O. 20:00 ドリンクL.O. 21:30)
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故・春田光治さんのお墓にお参り @徳玄寺「盛岡庭苑」(盛岡市名須川町)

2023年09月12日 09時01分26秒 | シェジャニー
故・春田光治さんのお墓にお参り @徳玄寺「盛岡庭苑」(盛岡市名須川町)



2020年7月22日に盛岡市材木町のフランス料理店Chez Johnny「シェ・ジャニー」オーナーシェフ春田光治さんが亡くなられた。
葬儀に参列することが出来なかったし、墓参の思いも叶わず3年を経過した。

2023年8月21日に予定した中・高時代の仲間3人の旅が急遽中止となった。
ならば、念願のお墓参りと思い立ち秋田県横手市の眞壁明吉良さん(春田さんの料理と人間性に惚れ込んだ「春田教」の信者同志といえる間柄で、既に、何度もお墓参をされている)に連絡し、お寺の場所などをお伺いした。
速攻で返事を頂いた。盛岡駅まで出迎え、その足で徳玄寺「盛岡庭苑」の墓地まで案内して下さるという。
横手~盛岡は約100キロで水戸~東京と同じ距離、高速を経由しても2時間以上を要するにも拘らずの、ご厚意である。
お受けするには、あまりに厚かましいとも思ったが、これも春田さん思し召しかと、お任せすることになった次第。



午後3時半、盛岡駅到着に合わせ出迎えていただいた車で10分足らずで、お寺さんの多い地区の一角の徳玄寺に。
本堂裏の、樹木葬墓地「盛岡庭苑」は寺の墓域とは別の従来とは異なった墓地の様式だった。

東京で生まれ育った春田さんにとって、岩手県の安比や盛岡は異郷の地であるが、35年を過ごした第2の故郷でもある。
しかし、春田家は鶴見の総持寺に立派な墓地も在るのに何故、という疑問も感じていた。「墓なんて、何処でもいいだよ」という自由人・春田さんの気持ちが分からないことでもないが。
会えば必ず、春田さんの料理と人柄について話し合った眞壁さんと共にお参り出来るのは、予定された縁だったのかと。「春田先生が脇に立たれていた」と眞壁さんは言った。そうかもしれない。





徳玄寺・樹木葬墓地「盛岡庭苑」。
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『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会のご報告

2023年07月24日 15時01分26秒 | シェジャニー
『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会のご報告





7月22日(土)午後5時から7時まで水戸市泉町「雑貨と珈琲の店・たけうち」で開催された『春田光治・魅惑の南仏料理』(1981年 中央公論社)~専門家の味をあなたの食卓に~を読む会が開催された。
本を回し読みしながらの説明や、秋田県横手市から駆け付けた眞壁明吉良さんの春田さんとの交流秘話。
『フレンチレストラン シェ.ジャニー ~魅惑の南仏料理~』のブログをOHPで写しながらの高橋からの説明など、食べてみなければ分からない料理の世界と、春田さんの人となりを幾分かを伝えることが出来たようだ。







2020年7月22日に盛岡のフランス料理店「シェジャニー」の春田光治さんが亡くなられて早くも3年が経った。
1969年に渋谷の自宅の一部を改装しにフランス料理店をオープン。
南仏やモロッコなどアラブ料理を含めた料理の数々は、その後のビストロブームの先駆けとなり、今では日本全国の定番料理として普及したメニューも沢山ある。
開店12年の頃に上梓された『春田光治・魅惑の南仏料理』は40年前の著作ではあるが料理本の名著と思っている。
料理の世界も変化が激しいが「春田光治の料理は世界一」と考えている人間として、春田さんの人柄と料理を伝えるにはこの本が最適と思っている。

渋谷から安比、そして盛岡へと移り住んだ春田さんと40年以上のお付き合いになるが、葬儀に行けず、お墓参りも出来ないで3年目を迎えるのが心苦しく思っていた。
店の常連さんやお弟子さんなど親しい方、料理や人柄に詳しい方々が大勢いる。そこから少し離れた輪の外にいたが、春田さんの料理の世界が大好きだ。
春田さんを偲んで今回の会を開くことができたことに安堵している。

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《春田光治さん略歴》其の4

2023年07月20日 18時55分23秒 | シェジャニー
《春田光治さん略歴》其の4



仔羊や内臓料理などを取り入れた新しいフランス料理、渋谷の閑静な住宅街の隠れ家的な店、若夫婦がもてなす家庭的な雰囲気などなど、多くの魅力で瞬く間に話題を呼び予約が取れない人気店となった。





さらに、昭和48(1973)年に開館したNHKホールの影響で渋谷の公園通りが脚光を浴びるようになり、コンサートの帰りに立ち寄る店としても便利な立地だった。
常連さんとしてシャンソン歌手・石井好子、女優・黒柳徹子、ファッション評論家・鯨岡 阿美子、ピアニスト・安川加壽子、評論家・古波蔵保好などが名を連ねている。

開店間もないころに、話題の店として紹介された雑誌を見た友人Hさんが、「この店で修業をしたい」と相談された。まもなく弟子入り志願し、最初の弟子となり働くことになったとなった。そのようなことで、シェ・ジャニーの存在を知ったが客として行ったことはなかった。



その後、客数の増加に伴い弟子も急激に増えた頃から、上京の際に僕も厨房に出入りするようになった。
閉店時刻の午前1時頃になると、ジャニーの知り合いや弟子の友人が集まってくる。
皿洗いのお手伝いと片付けの手伝いが建前だが、ジャニーの作る賄い料理のご相伴に与かりたいと集まるのだ。料理関係者ばかりでなく、街中の情報にたけた人たちが沢山くる。
その頃、水戸のレストラン「西洋堂」が赤坂にも支店を設け、こちらも盛業だった。
そんなことで、西洋堂主人・木下太介さんも時折、顔を出した。Hさんの同級生でバイトをする人もいて、水戸関連の人も多かった。
賄いは修行を兼ねて、店の新人が作ることが多いらしいが、シェ・ジャニーではシェフの春田さんが自ら行った。中華やタイやベトナムなどのエスニック時には和食など、春田さんが食べたい、試したいという料理を作る。充分に店のメニューとして出せる料理だから誰も食べたいのは当然で毎日、余分な人が集まる。
厨房には常時「菊正宗」樽の菰かぶりが用意されており、収蔵庫には糠漬けもある。
先ずは日本酒と漬物で乾杯してから食事が始まる。
食事が終わるのが2時から~3時頃、一斉に片付けて退出だが、時には朝まで仕込みの時もある。



翌日は、昼頃に集合して仕込みの食材を買い出しに行く。
野球が好きだった春田さん、従業員で草野球のチームが出来る程にスタッフが増え、試合も行うこともあった。忙しい厨房だが、テレビは野球中継も流れることもあった。

客として訪れたのは数回で、店内の状況はよく分からないが、厨房のスタッフが交代でサービスする方式だった。作ることに携わっている調理師がサービスするから、料理も詳しい。
僕自身は料理に詳しいわけでなく食べ歩きをした訳でもないから、この文章を含め間違いや知らないことばかりだ。
店のこと春田さんのことと料理に関しては、渋谷時代から安比・盛岡まで行動を共にした、ハモサンこと中村 美智男さんが一番詳しく知っているが、現在も盛岡在住なので話す機会もない状況で、今回の件についてもかなりあいまいな状況で書いている。
没後3年を経過し、何とか書き留めて置きたいとの気持ちによるので、断片的な話もある。

*春田さんは日本の夏の暑さに閉口していたので、開店当初から夏期の1か月は休業とした。期間中はフランスに渡り、各地を食べ歩き新たなメニューの開拓や店内のインテリアや食器などを買い整えた。

*私生活に関して話された機会は少なく、2017年1月10日放送のテレビ東京「鶴瓶の巷(チマタ)の噺」で中のインタビューVTRのコーナーで偶々、春田光治さんご夫妻がインタビューを受けたのが放映されたが、『学生結婚に始まり8回結婚し、現在の奥様とは41歳の齢の差。3番目のカミさんに2人の子供がいると自ら話している。』

僕が「シェ・」ジャニー」に出入りを始めた頃は開業時に2人で始めた2度目の奥さんとは離婚し独身だった。その方が青山の珈琲専門店Dで時折パートのバイトをしていたことをHさんから聞き、どんな方かと見に行った。その頃、僕は骨董に夢中で青山の骨董街に近いDは疲れを休めるに最適だった。

間もなく、春田さんは3番目の方と結婚し同居を始めた。
春田さんは生涯において結婚離婚を繰り返したが、ピカソと同様「惚れてしまえば後先なし、すぐにでも結婚したくなり」いやと感じたら顔も見たくなくなる感情の起伏があったように思える。
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《春田光治さん略歴》其の3

2023年07月19日 18時15分35秒 | シェジャニー
《春田光治さん略歴》其の3

今では一般的なメニューとなった料理の幾つかを『春田光治・魅惑の南仏料理』から引き写し紹介します。沢山の中から好みを選びましたが、食べてみなければ分からない料理を写真では難しい。料理について詳しいことが分からないから、なおさらです。



ラタトウイユ=ニース風・野菜の煮込み。



クスクス=北アフリカ発祥でヨーロッパや中東に広まった。

小麦粉から作る粒状の粉食、要はパスタの一種ともいえる。
粟粒・米粒大の乾燥状パスタのような物をスムールとよび、蒸しあがったスムールにスープの具材をかけ、子羊の串焼きと一緒に食べる。



ケフタ=羊の肉をミンチし、ピーマンや玉ねぎを細かく切ったものと合わせ、クミンとコリアンダーを加え、細長いつくねにして網焼きにする。(モロッコ料理)





ムーサカ=羊と茄子の型蒸し。トルコ料理



仔羊の骨付き背肉のロースト。モロッコ料理



トリップ・アラ・モード・カン(カン風牛胃袋の煮込み)
トリップ・アラ・モード・ニース。(ニース風牛胃袋の煮込み)



ガスパチョ=冷製の野菜のスープ。(アンダルシア風)スペイン料理





仔羊腿肉とジャガイモのロースト「Gigot d'agneau à la boulangère」

等など、これらを初めて日本に紹介したのは彼である。

『春田光治・魅惑の南仏料理』(1981年 中央公論社)~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理がシリーズで刊行された。
第4巻が『春田光治・魅惑の南仏料理』。レシピや調理法も解説されてある。
南仏の景色や風物なども掲載され、楽しい本となっている。時代を越えた名著と思うが、ジャニーはレシピを含め書き直したいと思っていた。

*カメラマンの黒部徹さんは『79年フリーになり、最初の本格的な料理単行本でした。師匠(佐伯義勝)の姿に憧れ、フリーになってすぐにフランス放浪旅。
市場の捨てられた篭、牡蠣の篭まで拾って日本へ。ジャニーさんの本では活躍しました。その時のスナップも沢山使って頂き思い出一杯の本です。
後の家庭画報に連載された「安比料理工房」も毎回楽しかったです。「魅惑の南仏料理」の様な単行本が作れて良かったです、今も机の上にあります。』

*『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会@水戸市泉町「雑貨と珈琲の店・たけうち」2023年7月22日(土)午後5時から7時。
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『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会

2023年07月17日 20時14分34秒 | シェジャニー
『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会
@水戸市泉町「雑貨と珈琲の店・たけうち」
7月22日(土)午後5時から7時(出入り自由)






2020年7月22日にジャニーこと春田光治さんが亡くなられて3年が経ちました。渋谷区神南の自宅の一部を改装して1969年に「Chez Johnny 」が開店し、瞬く間に繁盛店になりました。開店から15年を経た1985年、世はグルメブームとなり舌より頭で料理を食べる客が増えたことに嫌気して、大繁盛の店を閉め田舎暮らしを考え、1986年安比高原のペンション街の一角に100坪の住まいを造り移住した。10年を経過しレストランを再開、安比高原~盛岡と移り住むが何れも知る人ぞ知る、の仏蘭西料理店でした。時を経て「Chez Johnny “シェ・ジャニー”」を知らない方が殆どの時代となりました。
伝説の料理人・幻の料理人ともいわれた『春田光治・魅惑の南仏料理』を読み、ブログの記事えを見ながら春田光治さんの人となり、料理について、食についてのおしゃべり会を開きたいと思います。
会費は無料ですが、飲み物代は各自でご負担願います。

《春田光治さん略歴》其の1

昭和15(1940)年3月、兵庫県生まれ。
父は三菱銀行の銀行マン。生後間もなく東京の麻布に移り、幼稚舎から慶應義塾に学ぶ。



春田家の肖像・ジャニーが小学生の頃、裕福な家庭で育った。
左端の母親の手元に。

普通部(中学3年)の時に渋谷区北谷町、今のNHKの近くに引っ越した。
食糧難の時代背景であり食べるものに関心を示す。
母親の影響で、幼いころから料理に関心を持つようになり、中学時代は母と交代で料理を作り、料理コンテストにレシピを応募したこともある。
高校時代に買い求めたエスコフィエ著『LE GUIDE CULINAIRE』の原書を読み研究する。
この本は、終生の教科書となった。だったが、他にも多くのフランス語の料理の本を蔵し、疑問があれば常にひも解いていて、研究を重ねた。

家にはアメリカ人が出入りしていたようで、兄は「ケニー」姉は「パッツイ」光治は「ジャニー」と呼ばれた。以来「ジャニー」が通称となった。
そのような環境で育った、兄は早くにアメリカに渡りベルハウエルに勤務し、アメリカ人と結婚し、アメリカで暮らしている。



大学生の頃

外国に行くのが難しい時代であったが、昭和37(1962)年に慶応義塾大学卒業後にフランスに渡り、ボルドーの「プランティエ」で1年間修業する。
子供のころから包丁を握っていた彼の調理技術は高く、シェフも周りのスタッフも何の文句もつけなかったらしい。
大学在学中に学生結婚した、と語っているが2人で行ったかは不明だ。
ボルドーでの修行中にフランス料理について会得『料理は勘でも秘伝でもない、理屈です。一流の店のシェフはまるで医学書を読むように料理書に親しみ、何時も思索している。そして自分のレシピを公開することを惜しまない。レシピを他人に明かさないシェフはよほどの変わり者か三流の人だけです』が持論。
ボルドーでの修行の後、ジュネーブ駐在の青木大使が公邸付き料理人を募集していると知り応募し、昭和39(1964)年から4年間、公邸付き料理人となる。
大使は大変な食通で「美味しいモノなら何でも作ってみなさい」と言う。それなら、と多くの料理に挑戦して要望に応えた。
昭和43(1968)年、ベトナム大使館に転勤になった大使に同行し、ベトナムに1年の勤務を経て、ベトナム戦争の激化に従い帰国した。
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フランス料理 ボンヴィヴァン @三重県伊勢市本町20-24 

2018年03月27日 20時08分33秒 | シェジャニー
フランス料理 ボンヴィヴァン @三重県伊勢市本町20-24 
「お伊勢参り」其の3




伊勢神宮外宮前、逓信省の山田郵便局電話分室として大正12年に建造されたという、2階建てを平屋にしたかの洋風建造物は文化財だ。



ヨーロッパの風に中庭を囲み、コの字に配列された建屋。



豊受大神宮(外宮)の多きなお札。
豊受大御神は、食物・穀物を司る神さま。



河瀬シェフの初エッセイ集「人生を愉しむレストラン」(月兎社・刊)



本日のお席は一番奥の部屋、宴会用の個室を1人で貸し切り。
旅の前に都合の良い日を問い合わせ、時間が取れるということで、この日に。



料理が始まります。



アミューズ。
伊勢産の山海の珍味が、少しずつ姿を変えて。
サービスのお嬢さんが、ひとつずつ説明してくれたが、細かくは憶えていない。
どれもが素晴らしい味だった。

シェジャニーの時と同様、料理人が交代でホールのサービスを担当。
料理のことも分かるし、お客の反応も感じられるから。



志摩沖の巨大ヒラマサのレモン風味マリネとリエットソース伊勢野菜添え。



伊勢マグロの瞬間燻製とフルーツを加えたタルタル。



玉城豚バラ肉のプレゼとミンチ肉のトッピング、りんごのピュレソース。



シマスのポワレわさび菜ソース。



壁面にかかっていた版画が、シェジャニーと同じ。
師匠から贈られたものと思ったら、自分が好きで買い求めたもの、とか。
好みが似るものと感心した。



かぶのポタージュ、



松坂牛のハチノスのヴィオニエ煮込みとイチぼ肉のロースト。



デザート盛り合わせ、エスプレッソ。

伊勢の山海の珍味を十二分に味わうことが出来た。
料理に詳しくないので「どれも美味しかった」という以外に言葉は無い。
メニューは帰りしなに頂いたプリントを元にしているが、間違いが在ったらゴメンナサイだ。

「ボンヴィヴァン」の河瀬毅さんは「シェジャニー」春田光治さんの渋谷区神南の時のお弟子さんだ。
僕が良く行っていた頃からは少し後なので面識はなかった。
2010年7月に田園調布で開催された上野万梨子さんが主宰するギャラリーリブレ「シェ・ジャニー」春田光治さんの「つかの間のレストラン」でお会いした。
その後、FBで友達になったのでお会いした回数以上に親しく感じている。



短い時間ではあったが、食後にシェフの河瀬毅さんと暫しの歓談が出来た。
ジャニーこと春田光治さんの偉大さに、感心することしきりの時間であった。



マダムも交えて3人で記念撮影。

伊勢は観光地ではあるが、訪問時にフランス料理店に行く参詣者が多いとは思えない。

地方都市でこれだけの素晴らしい店を継続させるのは至難の業、ご夫妻のご尽力に敬意を表したい。
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シェ・ジャニー 春田光治さんのレシピ本。

2018年01月31日 16時45分10秒 | シェジャニー
シェ・ジャニー 春田光治さんのレシピ本。



昨年7月、盛岡市材木町の「シェ・ジャニー」を訪ねた際、春田光治さんから「地元のライターがレシピ本を出してくれることになって毎月の取材で1年間、校正が終了というところまで行ったが、少し遅れるかな」との話を聞いた。

渋谷・神南の時に『春田光治・魅惑の南仏料理』(1981年 中央公論社)が刊行された。
~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理がシリーズとして刊行され、今でも読み伝えられている名著。
37年を経過し、新たな本を待ち望んでいた。

「シェ・ジャニー 春田光治の12ヶ月」が届いた」


AB判・フルカラーの96頁。
帯には「おいしい料理を作るコツは、美味しい料理を食べること」
同じ料理でも「もっとおいくなる方法があるのではないか」と考え、挑戦しています。



常に「おいしく」を追求し続けているのが春田さん。
AB判という見慣れない体裁が斬新で、写真が見やすい。



厨房に気取りなく立つ春田さんの姿。
尊敬を込め、誰もが親しくジャニーと呼んでいる。
昔は鬼気迫る感じもあったが、今はだいぶ柔らかになった。

1月から12月まで、毎月のメニューの写真とレシピが紹介されている。



1月・「トリフ入りスクランブルエッグ」
「春田さんのひとこと」として、料理の解説と作り方のポイントも。



「牛ハチノスのリヨン風ソーテ」
内臓は大好きな素材で、胃や大腸もよく使う。



「紅油腰花」(豚腎臓のニンニクソース紅油かけ)
得意の中華料理。予約時に好みや食べたいものを伝えればメニューを考えてくれる。オーダーメイドの料理店なのだ。



「春田さんの食材、調味料選び」
食材・調味料を厳選するのはプロとして当然として、自分の嗅覚・味覚を頼りに選ぶこと。



「春田さんの店-シェ・ジャニーのこと」として、
店名の由来や渋谷→安比→盛岡、の店の歴史。現在の店内。



「タイ風牛肉のスパイシーサラダ」
タイ料理、モロッコ料理などのエスニック料理は創業以来のメニュー。



「春田さんの調理道具」
おいしい料理はきれいな厨房から。シェ・ジャニーの厨房は何時も清潔。
調理終了次第、食器や器は直ちに洗われる。
包丁やハンティグナイフ、など使いこまれた美しさ。
自らフィッシング、ハンティングをするので、ジビエ料理も得意。

「牛スネ肉のブレゼ」



掲載されている料理はこの何倍もあるが、購入して座右のレシピ本とされんことを乞い願う。



「シェ・ジャニー 春田光治の12ヶ月」
この本の著者《赤坂環》さんは盛岡在住のライター。
春田光治さんの料理に魅せられ、レシピ本の刊行を一念発起。
自費出版にこぎつけた(定価2000円・税別)。

発売は盛岡の(東山堂支店、さわや書店本店、さわや書店フェザン店)のみ、それ以外は赤坂環さんに申し込み。
本誌代・税+送料、振り込み代と若干高くつくが、熱意の産物に協賛をお願いしたいと思う。

注文のあて先は《赤坂環》さん

ご自分の郵便番号・住所・氏名・電話番号・メールアドレスを記入し、下記まで。
E-mail dzr04625@nifty.com
FAX 019-652-1858
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シェ、ジャニーのレシピ本が出来ることに。

2017年08月09日 23時42分23秒 | シェジャニー
シェ、ジャニーのレシピ本が出来ることに。



久し振りに春田さんにお会いしたので、近況を含めお話を伺いたいと思い、ハモさんに訊いたら「10時過ぎには、手が空くのでは」との話なので、一旦ホテルに戻り10時半頃に再訪した。

お客さんが終わっても、仕込や試作など真夜中から翌朝まで仕事なのが「ジャニー流」は今も変わらないようだ。
渋谷や安比の時も、深夜試行錯誤しながらレシピや調理法を変え、新たなことに挑戦を繰り返すことで、料理の奥深さが生まれることを感じた。
ジャニーの料理は仕込以前の下ごしらえも手を掛ける。

明日の準備の手を休め、「この雑誌社が、レシピ本を出してくれることになってね、校正は終了したけど、予定より少し遅れているかな」と、





「てくり」23号とゲラを見せてくれた。

「てくり」は盛岡のミニコミ誌。
最近のミニコミ誌は広告誌が多いが、「てくり」は内容が充実。
誌面作りに誠実さが感じられる。

戻ってから分かったが、《盛岡の「ふだん」暮らしをテーマに、既存の情報誌や広報誌には載ることがない、 ちょっとうれしいこと、おもしろい人、紹介したいものごと…そんな日常の物語たちを集め、紹介する本があったらいいなあ。
そんな想いからできたのが、「新世代ミニコミ誌・てくり」》
(編集・発行 まちの編集室)。
編集・運営に携わっている3人は、全員が女性のようだ。

本誌の他に別冊を刊行することもあるようで、

てくり別冊




『光原社 北の美意識』 2014年5月発行 1,900円(税込)




『岩手のホームスパン』 2015年10月15日発行 2,160円(税込)

などが刊行されているので、今回のレシピ本はこのシリーズなのかもしれない。
この会社の方針は、『暮らしの手帳』の匂いもする。



渋谷神南の時代に『春田光治・魅惑の南仏料理』(1981年 中央公論社)が刊行された。
~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理がシリーズとして出版されたが今でも読み伝えられている。
既に絶版で、古書で探すほかにないから、新たな本を待ち望んでいた。

今回はレシピ本と云うことで『春田光治・魅惑の南仏料理』のように総合的なモノではなさそうだ。
しかし、これを契機に今の「シェ、ジャニー」の料理と文化、今の春田さんを紹介する「完全版」の刊行を望んでいる。

兎に角、間もなく出版されるであろう「レシピ本」を楽しみにしている。

●雑談の中で、アルトサックスプレーヤーの寺久保エレナのライブコンサートが8月1日(火)19:00から江東区の森下文化センターで開催されるので上京すると聞いた。
昨年11月、銀座で開催されたライブは出席出来なった。
しかし、翌日に日本橋の「伊勢定」鰻を肴に杯を傾けたる機会を得た。
その帰途に「鶴瓶の巷の噺」の取材に遭遇したオマケが付いた。
今度は是非と思い、チケットを予約。当日は開演前の1時間話を伺い、開演後の演奏を同じ空間で聴くことが出来た。春田教の信者の僕にとって、素晴らしい機会だった。
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光原社@盛岡市材木町2-18

2017年08月05日 16時27分51秒 | シェジャニー
光原社@盛岡市材木町2-18
夏の《みちのく》へ、其の四






「宮沢賢治記念館」「新渡戸稲造記念館」の全人的な生き様を拝見し、自らで何か出来ることをしなくては、と考えさせられた。
花巻には「高村光太郎」山荘跡と記念館も在る。
そこも見たいが、時間の制約も有り今回はパスして盛岡に向かう。

盛岡には「石川啄木」の記念館も在るが、これまた次の機会に。

花巻から盛岡までは一般道路でも1時間足らず。
5時前には「シェジャニー」の在る盛岡市材木町に到着した。

予約の時間まで少しあるので「光原社」に。

光原社は漆器や木工品、陶器、紙やガラス製品など、幅広く全国の民芸品を扱う店として知られた店だ。


創業者が宮沢賢治と知り合いで,賢治の生前唯一の出版『注文の多い料理店』を刊行した歴史的な場でもある。



中庭に記念碑が建っている。



更に、賢治のレリーフが埋め込まれたモニュメント。





店から北上川に通じる中庭に喫茶「可否館」

僕は1987年、安比高原に移住した春田さんを訪ねた際、乗り換えの盛岡を散策中に、たまたま「光原社」と出会った。
以来、盛岡に立ち寄れば足を運ぶようにしている。

2015年7月にシェジャニー盛岡・材木町店が開業した。
光原社は道路を挟むように2店舗あるが、正に隣であり対面であること。
偶然とはいえ、嬉しいことだ。
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『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。

2017年01月15日 12時40分44秒 | シェジャニー
『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。



巷にはホテルの宴会料理しかない時代に、渋谷の街外れにフランス人が日常食べている料理を提供するChez Johnnyが誕生したのが1969年で、今から45年以上前のことになる。

その後Chez Johnny “シェ・ジャニー”は予約が取れない有名店になるが、舌より頭で食べる客が増えたことに嫌気して、1986年安比高原のペンション街の一角に100坪の住まいを造り移住した。

それからの10年間はスキー・渓流の岩魚釣り・冬の狩猟など趣味の世界に遊んでいる。1997年、敷地の一角に増築した部屋を改装して『シェ・ジャニー』を再開し、18年間に渡り営業した。2015年7月には盛岡市材木町に移転、新装開店し現在に至る。
僕も1987年から2003年にかけて4回に渡ってお訪ねできたのは、今もって、素晴しい体験であった。
材木町の店は開店間もない7月に駆け付けた。



(2015年7月)

渋谷の時代に『春田光治・魅惑の南仏料理』(1981年 中央公論社)が刊行された~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理がにシリーズで刊行された。第4巻が『春田光治・魅惑の南仏料理』。

ラタトゥイユ(ニース風野菜煮込み)、ニース風サラダ、牛胃袋の煮込み、仔羊もも肉とジャガイモのロースト、仔羊背肉のロースト、羊とナスの型蒸し(ムーサカ)、仔羊ひき肉の串焼き(ケフタ)、クスクス等々が紹介されている。

テレビ東京「巷(チマタ)の噺」の番組中にインタビューに登場した春田光治さんが好き放題に語っていたので大笑いをした。

司会の笑福亭鶴瓶とゲストの元柔道日本代表監督・篠原信一は「このおっさん凄いな~」と羨んでいるが、一世を風靡した料理人とは知らずの会話が面白かった。

そんこともあって、ジャニーーのブログを見たら、





「Gigot d'agneau à la boulangère」
暮から正月にかけてジゴ(Gigot)=羊の腿、3本焼きました。
ア・ラ・ブーランジェールはパン屋さん風の意。
昔はパン窯の余熱で焼いたのでしょうか?
羊も旨いけど、エキスを吸い込んだジャガイモが絶品
翌日はジゴをスライスしてマヨネーズ(市販は✖)、
ディジョンのマスタードで食べるのがフランス流。



レシピも添えられている、

があったので懐かしく、食べたい気持ちになった。
写真とコメントを引用して食べた気分に。
(一部の文と写真の引用は了解得ました)

そうの・こうの、していた時、自分のブログに見逃したコメントがあった。
『魅惑の南仏料理』の写真を担当された黒部徹さんからで、

●カメラマンの黒部です。
79年フリーになり、最初の本格的な料理単行本でした。
師匠(佐伯義勝)の姿に憧れ、フリーになってすぐにフランス放浪旅。
市場の捨てられた篭、牡蠣の篭まで拾って日本へ。ジャニーさんの本では活躍しました。その時のスナップも沢山使って頂き思い出一杯の本です。家庭画報の連載も毎回楽しかったです、単行本未完成は本当に残念でした。
魅惑の南仏料理の様な単行本が作れて良かったです、今日も机の上にありました。

この本の素晴らしさは、単なる料理本でなく南仏の街や人や風景がちりばめられているのでいっそう楽しい本だ。
今では流行の旅とグルメを先取りしている。

あらゆる点を勘案すると『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。
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テレビ東京「巷(チマタ)の噺」に春田光治さんご夫妻が

2017年01月11日 17時20分07秒 | シェジャニー
テレビ東京「巷(チマタ)の噺」に春田光治さんご夫妻が





2014年10月28日(火)夜11時58分スタートしたテレビ東京「巷(チマタ)の噺」は笑福亭鶴瓶とゲスト がよもやま話を展開するトーク バラエティ番組で、深夜にもかかわらず視聴率は高いらしい。

街中の様々な日常会話の中にある心温まるエピソードや意外な話などをベースに、VTRを製作し、それを見ながら鶴瓶とゲストが気ままにフリートークを展開する楽しい番組だ。

2017年1月10日放送のゲストは元柔道日本代表監督・篠原信一で柔道よもやま話が展開された。
インタビューVTRのコーナーで「シェ・ジャニー」の春田光治さんご夫妻が登場した。

放送に先立つ昨年の11月14日(月)銀座のジャズクラブ「No Bird」でサックスプレーヤーの寺久保エレナ・ライブコンサートを聴くため上京された。
演奏の素晴らしさと喜びで半分意識不明になるほどの感激だったとか。

翌日の17:30に日本橋の鰻「伊勢定」で待ち合わせ、鯛の塩辛・山芋の焼き物・里芋の揚げ物などをつまみに酒を飲んだ。
たっぷりの山葵で白焼き、さらには蒲焼をご馳走になった。

お礼を兼ねて新丸ビル7階の「丸の内ハウス」にご案内。
ウッドデッキからの東京駅や皇居の夜景を楽しみ「TIKI BAR TOKYO」で伝説のバーテンダーと言われるデニーこと愛川 誠次郎さんの「星子2016ヌーヴォー」ミスト・モヒート・マティニー、等を愉しんだ。
(この辺りについてはブログに掲載したのでご覧下さい)







飲んで食べて、11時前に東京駅でお別れしたがその後ホテルに向かう途中でテレビ東京の取材を受けたらしい。

☆「衝撃の41歳差仲良し夫婦」とサブタイトル。
内容についてはインターネット配信で1月10日(火)放送分.は1月17日(火) まで配信予定.らしいから“テレビ東京「巷(チマタ)の噺」‘にアクセスしご覧ください。







お訊きしたくても訊けないことなどを自らが赤裸々にご披露していたので、インタビュアーも大笑い。
8回目の結婚・41歳の齢の差・嫁さんは自分の娘より年下・夜の生活のこと、などなど、テレビ的な内容と思えるが事実の事柄。





笑福亭鶴瓶と元柔道日本代表監督・篠原信一は春田さんより一世代下だから渋谷のジャニーの店を知らないだろうが、往時を知る人たちにとっては、「エ!ジャニーだ」と驚かれたことだろう。

お世辞無しの一本気のジャニーの性格だから、「好きに成ればすぐ結婚、厭になれば即離婚」の人生を繰り返したが、誠実であればこそ、で浮気者とは誤解なさらぬように。

偶々、8人の内、最初の奥さまだけはお会いしたことが無いだけで、それ以外は全てお会いし話もしているのはいささか不思議。
渋谷の時代から安比へ更には盛岡の材木町へ。
シェ・ジャニーの移り変わりを目の当たりに出来たことは幸せ。
「ジャニーの料理は日本一」.と思っている。

何方かが評伝を書かれることを期待しているが、今回の話の様なことも事実で、本人の口から話したことだから問題はないだろう。

別れたカミさん同士が仲良し、と言う話を以前に聞いた。
これもジャニーの人徳だろう。

久し振りに食事を共にし、酒を酌み交わした夜の出来事。
取材のお蔭で、振り返ることが出来る幸運に感謝。

●テレビ東京「巷(チマタ)の噺」ンターネット配信で1月10日(火)放送分.は1月17日(火) まで配信予定.
http://www.tv-tokyo.co.jp/chimata/?sc_cid=videotokyo
放送開始の13分から19分頃の時間が春田さんご夫妻。
(映像写真はPC画面を撮影のため鮮明でなく申し訳ありません)
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ジャニー夫妻と久し振りに@日本橋

2016年11月16日 20時46分03秒 | シェジャニー
ジャニー夫妻と久し振りに@日本橋



アルトサックス奏者の寺久保エレナのライブを聞きに上京する。
とのジャニーからのメール。

昨年7月頃にお会いして以来お目にかかっていないので急遽上京。
とは言え、コンサートの翌日に飯でも一緒にと言う話。
久し振りに、お二方と数時間をすごせたことは嬉しかった。

待ち合わせ合わせは、日本橋の老舗の鰻屋「伊勢定」。
蕎麦前はあるが、鰻前。



鯛の塩辛をつまみにお酒。
色々な銘柄が揃っているので何にしようか迷った。



里芋の揚げ物。



山芋の焼き物



たっぷりの山葵で白焼き。



鰻丼

ご馳走様でした。
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シェ、ジャニーのインテリア @盛岡市材木町

2015年08月04日 06時25分23秒 | シェジャニー
シェ、ジャニーのインテリア @盛岡市材木町



渋谷の住宅街の一角に誕生したシェ、ジャニーは個人の家の一部屋で食事を戴くと云うスタイルで始まった。
今流行の、隠れ家レストランのはしりと云える。
店と云うより住まいの空間で食事を戴くというスタイル。
あたかも、南欧の住宅の一部屋と云う感じ。

今回の材木町は、通りに面した如何にも店らしい店だが、インテリアにはかなりの気配りがなされている。



入り口の扉は古材に鉄の鍛造金具を使用。



客席は最大で14席の、こじんまりとした空間。
壁面の煉瓦に版画や絵画が飾られている。

アルルカン・女道化師のシリーズで知られる西村 宣造(1943~2012)の版。僕も大好きな作家です。
西村の作品は水戸のコーヒー専門店「トロワシャンブル」にも沢山あります。



大きな窓からは材木町の町並みが望める。



店内のBGMは開店以来ジャズ、今回は自宅で使用しているJBLのスピーカーはじめ、オーデオのセットをドーンと中央に。

客室と厨房をつなぐ観音開きのドアは、ゆったりと開閉する。
傍らにはCDの棚。
古材を随所に使用したので、親しみと懐かしさを感じる。
柱に吊るされているのは英国18世紀の暖炉に吊るす自在鍵。




自室に有った船の窓を厨房と客室をつなぐ窓に。



ペレットストーブとペレット入れ。
18世紀、イギリスの石炭入れの銅の缶。



イタリア製のステンドグラス。



世界各地のオーナメントが沢山置かれてある。



伝説のクライマー、吉野満彦さん使用のピッケル。

近頃、食器は白磁のみ。インテリアもシンプルなモノトーン。
等が流行っているようだが、全編そればかりでは、何か味気ない。

ジャニーの店は温もりとおもてなしの心を感じる。
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