「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「学芸員Aの最後の仕事」水戸芸術館

2009年08月29日 14時08分50秒 | 水戸芸術館
『現代美術も楽勝よ。」展が水戸芸術館現代美術ギャラリーで始まった。
2009・8・29-10・12

この展覧会は、水戸芸術館の所管作品(簡単に言えば館蔵品・コレクション)の展示。
従って、過去20年の企画展に展示されたものの一部。

それらを複雑な手法で展示し、1時間の映画作品にして見せたりもする。
知恵を絞った展覧会だ。



展示室には上記の作品などが展示されてはいるが、作品のみならず木枠や工具や脚立などが放置されたように見え、オープニング前夜で未だ完了していない。と言う設定である。

さらに、この状況は『学芸員A最後の仕事』と言うタイトルの1時間の映画のセットでもあるのだ。
この映画を製作したのは若手アーティストユニット Nadegata Instant Party (中崎透+山城大督+野田智子)が、水戸の市民を中心に募集したヴォランティアスタッフやキャストによる。
ミステリー仕立てで作品の解説も兼ねている。
短い時間で、しかも素人集団にしては良く出来た作品だ。



ジェームズ・タレルの「ソフト・セル」は10分間作品内にすわり無音の暗闇を体験できる。
そのほかにも、たくさんの関連イベントも用意されている。

詳しくは水戸芸術館のHPを御覧下さい。

Nadegata Instant Party のHPは
http://www.nadegatainstantparty.org/


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「現代美術も楽勝よ。」展

2009年08月29日 10時46分18秒 | 美術展
「現代美術も楽勝よ。」展
8月29日~10月12日 @水戸芸術館現代美術ギャラリー

今から、展覧会を観に行く。先ずはその前に。





今度の展覧会、チラシが4種類ある。
これが面白いのでご紹介。

とかく、現代美術は分からないとか難しい。という人が多い。
僕もそのうちの一人だった。
水戸芸術館の開館以来、現代美術と称される展覧会を観る機会が多くなった。
好奇心は旺盛で、何はともあれ観てみる。
なんか分からないにしても、これも美術のうちなんだ。
ということが漠然と感じる。
楽しいもの、つまらないもの。いろいろ感じる。
まあ、それでいいのだ、と思う。
思いや感じ方は人それぞれだから。

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龍興寺跡の石仏群

2009年08月28日 15時23分00秒 | 美術展
龍興寺跡の石仏群








1999年8月の「中国仏教美術を訪ねる旅」は石窟寺院の仏像を観ることであったが、さらに、北京の歴史博物館で開催されている『山東青洲龍興寺出土仏教石刻造像精品』展を観るのも大きな目的であった。






1996年10月に中国山東省龍興寺跡に埋められていた北魏~北宋時代の仏像(6~11世紀)が出土した。作ゆきが優れ、金箔や彩色の保存状態の素晴しい石仏群は世界中に衝撃を与えた。発見間もない時期に公開されるのは稀な例で、貴重な大発見を多くの人たちに公開する為であった。会期は1999年7月9日~11月9日。

この展覧会終了後、北京オリンピックの開催に向け博物館は大幅な改修工事に入り休館の予定。
従って、展示空間は決して良くは無かった。
しかし、発掘まもなくの仏像は破損した石片を繋ぎ合わせ、載せる台座も急造であったが、観たことも無い仏像群は未だに脳裏に焼きついている。


同様の石仏は青洲の近辺で幾つか発見されてはいたが、400体が一度に出土したのは大発見。
工事中偶然に発掘されたが、破壊された仏像が丁寧に埋葬されるように積み重ねられていた。何らかの事情で壊されたが、忍びないと思う人たちによって隠されたのであろう。

小さな物から大きな物まで、石目・石の質は固そうで緑がかった灰色。
固い石を精巧に彫られた線が素晴しい。



文様も細部にいたるまで手が込んでいる。彩色も赤を中心にかなり残っている。
金箔が残されているものも多い。
衣装の中に書き込まれた絵画も見事だ。



北魏(386~534)~北斎(550~557)期を中心とする彩色石仏群はいずれも異なる顔の形、表情、姿態、服装、飾り物など個性的で、心の内なる仏教世界を表現している。
なにより、わが国の仏像の原点、法隆寺の夢殿救世観音や百済観音、金銅の釈迦三尊像などを強く連想させ、飛鳥寺の釈迦如来のお顔に酷似した石仏もあった。
何処から渡来したかの謎が解明される可能性もある。

2004年9月~28日から11月28日まで「中国国宝展」が東京国立博物館で開催された。
拝見に赴いたが大きな物が少なかったのと、点数も削減されていたのは、やむ終えない。
再見できたことは幸であった。

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「黄門様の知恵袋」(思い遣り、子育て、人の道)

2009年08月27日 09時49分11秒 | 人間
「黄門様の知恵袋」(思い遣り、子育て、人の道)
講師 但野 正弘さん  8月26日13:30~15:15 @茨城県立図書館


昭和44年の初放送された「水戸黄門」のテレビドラマシリーズは1000回を越える人気番組。他所の方々は、水戸といえば黄門様か納豆が連想されるようだ。
水戸に生まれ育ちながら徳川光圀(1626-1700)について知らない事が多い。




講師の但野正弘さんは茨城大学卒業後高等学校教諭や短期大学の教授なども歴任した。
水戸市学会の理事・事務局長を務めている。

以前、茨城大学に国文学の塚本教授という方がいらっした。
文学の中の女性像を面白く、分かりや易く話するので有名な方であった。
但野さんのお話も面白いい、との噂を聞いていたので楽しみに出かけた。
定刻には満員の盛況、関心の高さが分かる。

入場時に渡された資料を基に話しを要約すると。
〔略歴〕
寛永5年(1628)水戸柵町で誕生。(初代藩主・頼房の三男)。
正保2年(1645)18歳『史記』の伯夷伝を読み反省・立志。
寛文元年(1661)34歳 水戸第二代藩主に就任。
元禄3年(1690)63歳 藩主引退。権中納言(黄門)となる。
〃 4年(1691)64歳 常陸太田の西山荘に隠居。
〃 13年(1700)73歳 西山荘で逝去。常陸太田・瑞龍山、水戸家墓所に埋葬。

*10代はかなりヤンチャな事もしたようだ。18歳の頃に志を立て、学問に励んだ。
*34歳で水戸二代目の藩主に就任するが、生涯を「武士の心」。
すなわち、一日一日をその日限りでいきる。『命賭け』の心であったと言う。

*30年間藩主を務め、藩政の基礎を築いた。
*隠居した晩年の10年間が『水戸黄門』と呼ばれる時代だが、殆ど遠出はしなかった。

〔儒教・『論語』の教えから〕―思い遣り
『己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ』
*「思い遣り」とは、思いをつかわすこと。相手の立場になってかんがえなさい。

〔子育て〕
*強制しないで、機会を観て納得できるように指導する事が大切。
*幼少時に聡明器用でであどもみだりにほめるべからず。14~15歳を過ぎて志が変じる事もあれば、悪いようであっても善くなる事もある。少年期~青年期の教育が大切と言う事だろう。

〔生活の心がまえ〕
『草履をば、つねに踏みそろへるように、心がくべし』
*非常時に対する心がまえ、平素に覚悟をもって行動していないといざというときに出来ない。

『無病延命は鳥獣にならふ』
*食べ過ぎず、常に腹八分目に。
*酒も飲みすぎぬこと。

〔人の道の重要さ〕
*学問と学術は違う。学問は人の人たる道を学ぶ事である。

〔仕事の心がまえと人事管理〕
*性格の異なる人たちを、長所を生かしながら、組み合わせて仕事をしてもらう。
*個性を見抜く力も必要だ。

もっと具体的でたのしい話しであった。おそらく講演会を重ね、自由自在だ。
助さん、格さんを伴なったテレビによる黄門像からの脱却は必要のようである。

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秋明菊(しゅうめいぎく)

2009年08月26日 22時25分54秒 | 文化遺産
秋明菊(しゅうめいぎく)




我が家の秋明菊が咲き初めた。
街中では大分前から咲いたのを見かけてはいただけにとても嬉しい。
中国の湖北省が原産地とされ、日本には室町時代に渡来したと伝えられる。
菊とはいえアネモネ科で通常の菊とは異なる。中国名は秋牡丹というそうだ。

花弁が一片ずつ散っていくのと、次から次にと咲くので、長い間楽しめる。
切り花にすると水揚げが悪く、蕾が開かないまま枯れてしまう。
花は活けて楽しむより、咲いている状態のまま眺めるのが一番だ。

1998年と1999年に美術史家のG先生を先達に、同好の志と中国の仏教遺跡を訪ねた。
石窟と呼ぶ、岩を刳り貫き刻んだ仏像を拝観する旅だった。
雲岡、龍門、天龍山は1998年に訪ね、1999年8月21日から30日には炳霊寺と麦積山を訪ねた。丁度今頃、中国も同じような気候であった。

秋明菊を見ると、その旅を想い出す。

天水からバスで麦積山に向ったが、奇岩ともいえる麦積山が見える辺りまで進んだ山道の両側がピンク色の秋明菊で彩られていたのに感激した。
日本で云えば、道路の両端がコスモスで埋め尽くされている感じと同じようだ。
旅の印象は時間と共に薄れてゆくが断片的に想い出す。

ガイドブックの引き写しだが概略を記してみると。

麦積山石窟



甘粛省天水県東南45kmの秦嶺山脈西端に位置する石窟寺院。
高さ142mの岩山全体の景観が、農村の麦わらを積みあげた形に類するので麦積山と呼ばれる。石胎と木芯の塑像が大部分で、7,200体を数え、1,300平方mの壁画が残っている。
東方崖と西方崖に大別され、前者には、千仏廊・七仏閣・牛児堂、後者には、万仏堂・天堂洞などの諸洞があり、上下左右に桟道を築いて往来できるようになっている。5世紀に開創との説もあるが、現存のものでは、北魏の6世紀の塑像が最も古く、竜門様式の影響が濃い。隋前後より、独自のふくらみのある作風となり、唐代には第13窟の摩崖三尊像のような大像もつくられた。壁画は仏説法図・仏伝図などが描かれ、西域風なものから中国風な様式へと展開をみせている。


炳霊寺石窟




蘭州の南西、黄河の北岸側の峡谷の中にある石窟で、炳霊とはチベット語で「十万仏」の意味を持つ。全長2キロにわたる石窟は、十六国時代の西秦から隋、唐、明、清までの各時代に造営された。
岩壁には190あまりの石窟があり、大小700体近くの仏像が残されている。
中でも最も有名な大仏は、171龕の唐代の大仏、最も古い大仏は、壁に「西秦建弘元年」(420年)と記されている第169窟である。
石窟の上部には、素晴らしい壁画も残されており、階段と桟道から観光できるようになっている。
険しい峡谷にある石窟にあり、イスラム教徒による破壊や外国人探検家による持ち出しを逃れたため、貴重な仏像が多く残されている。

どちらも、交通の便は良くない。特に炳霊寺は劉家峡ダムによる堰止湖を高速のモーターボートで約50分も走る、時速70kmのスピードだ。それだけに想いでは深い。

花を見ると、その花にまつわる旅を想い出す。
秋の気配も深まってきた。旅の支度を整えておこう。

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だんご「伊勢屋」水戸市泉町3-7-23

2009年08月26日 11時27分58秒 | 食べ歩き
だんご「伊勢屋」水戸市泉町3-7-23



大工町の再開発事業のため移転し、雷神前の仮店舗で営業していた「伊勢屋」が泉町3丁目に新築開店した。

餅菓子、団子の専門店として親しまれていた店。
開店を心から喜びたい。



アヤメ団子は、炭焼きしたうえで甘辛のたれ。
餡団子はくしに刺さずに、4個分入りでワンパック。
豆餅、豆大福、スアマ、など以前と同じ内容で、お値段据え置き。
1つ¥50だから、相変わらずお客は多い。

若干、味が違った。と感じるが、いろいろな状況が変化しての新開店。
やむ終えないところもあると思う。

精進して、水戸名物を保ってほしい。
御目出糖御座います。




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「染付-藍が彩るアジアの器」展 

2009年08月25日 09時34分13秒 | 美術展
「染付-藍が彩るアジアの器」展    @東京国立博物館
                 2009年7月14日(火)~9月6日(日)

古美術入門のきっかけは、染付けの蕎麦猪口でした、ということは多いだろう。
僕も似たようなもので、幕末から明治期の染付けの小皿だった。
丈夫だし、使い続けても飽きが来ない、どの様な料理にも合う。
普段使いの万能の食器と言える。

一番親しまれている器「染付け」の展覧会が東京国立博物館で開催されている。



博物館のチラシには
 染付(そめつけ)とは白磁の素地にコバルトを含んだ顔料(がんりょう)を用いて筆で文様を描く技法をいいます。透明釉(とうめいゆう)を掛けて焼成すると、文様は鮮やかな藍色に発色します。中国では青花(せいか)、欧米ではブルー・アンド・ホワイト、日本ではきものの藍染(あいぞめ)を思わせることから染付とよばれました。

 中国では、染付すなわち青花の技術と様式が完成されたのは元時代後期のことです。明時代には宮中の御用品を焼く官窯(かんよう)でも採用され、以後磁器の絵付け技法の主流となります。また、染付はベトナムや朝鮮に伝わり、それぞれに個性豊かなやきものが作られました。日本では江戸時代初期に朝鮮半島から渡来した陶工によって技術が伝えられ、九州肥前有田(ひぜんありた)において染付の生産が始まり、やがて繊細なダミ染めの技法を駆使した優美な様式が完成されます。

 アジア各地で作られた染付の多様性をご覧いただくと同時に、日々の暮らしのなかで親しまれてきた実用の器としての染付の魅力をぜひお楽しみください。
ということ。




左上:重要文化財 青花蓮池魚藻文壺
中国・景徳鎮窯 元時代・14世紀
大阪市立東洋陶磁美術館蔵

右下:重要文化財 染付蓮鷺文三足皿
鍋島 江戸時代・17~18世紀
佐賀県立九州陶磁文化館蔵


中国の元や明の格調高い作品は見事だ。
僕は、古染付けと呼ばれる、もう少し砕けた作風の作品が好み。
形も自由だし、楽しいものが多い。
日本の伊万里には古染付けの写しや影響された食器類も多い。
親しみやすい展覧会だ。

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「ユーラシアの風 新羅へ」

2009年08月24日 21時49分42秒 | 美術展
「ユーラシアの風 新羅へ」
●2009年8月1日(土)~9月6日(日)
●古代オリエント博物館 

東京池袋のサンシャインシテイ文化会館7階に「古代オリエント博物館」がある。

人類文明の発祥の地、古代オリエント。
エジプト、メソポタミア、ペルシア、シルクロードの品々が展示される博物館。



今回は「ユーラシアの風 新羅へ」と題する展覧会。

展覧会パンフレットには
ユーラシア東端で漢帝国が崩壊すると、草原の遊牧民族による空前の大移動がおこり、やがて中央アジア、南シベリアを含め中国全土を統一する唐の国際文化が形成されていきました。この大きな潮流の中で韓半島に生まれた新羅は、ユーラシア西方の香りを伝える特有な文化を形成し、やがて7世紀には、韓半島を統一する王国にまで成長しました。
 本企画展では、韓国「新羅」が持つ特有の文化遺産を東西の遺宝を比較展示しながら紹介します。 韓国の国立慶州博物館、国立中央博物館からは慶州古墳群出土の金冠、金銀の装身具やガラス容器、ガラス珠などの資料、国内のMIHO MUSEUM、 岡山市立オリエント美術館、馬の博物館、古代オリエント博物館からは西アジアの金銀器やガラス製品、さらに中国や古代日本の資料を東京国立博物館、橿原考古学研究所付属博物館、個人コレクションなどから借用しています。


シルクロードの終着点が日本。
当時の遺品の多くは正倉院に保管され、日本の文化の源流となっている。
今回は、西アジアから朝鮮半島の新羅に到達するまでの文化遺産の展示。

僕は中国の俑(よう)に興味があるので「加彩楯持武人俑」が西域と呼ばれている中で、ソグド人を表現している知って納得した。一昨年カザフスタンのペンジケント、ソグド人の遺跡を訪ねた際の壁画がそっくりだったのを思い出したからだ。

展示品の多くが旅した地を想い出させてくれる。
韓国のソウルや慶州、中国の西安、ウズベキスタン、トルコのイスタンブール等など。
夢と現実と過去が織り交ざった、今回の展覧会であった。


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古道具・坂田

2009年08月22日 23時46分57秒 | Weblog
古道具坂田 東京都新宿区下落合3-18-9

骨董の世界に入門して間もない頃,友人から「目白に古道具 坂田という面白い店がありますよ。」
との話しを聞いた。
日本橋や青山のように美術商が軒を並べている場所ではないので,行く機会がないままに過ぎた。

1973年の開業以来,独自の審美眼で集めた品々は常に話題をよんだ。



アフリカの古民芸を初め、オランダデルフトの白釉の陶器など、多くの企画展を開催した。
個性が強い商品は、見方によってガラクタと思う人もいるだろう。
反面、熱烈な信奉者も多い。
長い時間をかけた古美術の世界は、新しい美の基準を創るのは難しい。



坂田さんは稀有な例だ。


1994年には千葉県長生郡長南町に自分のコレクションを展示する美術館「as it is」を開館した。
2003年「ひとりよがりのものさし」を新潮社から出版する。

桃花堂に行った際、美術館「as it is」が紹介された記事を読んだ。
改めて興味を持ち、やっと古道具 坂田を訪ねる事が出来た。

店主の坂田和實さんは道具に拘り続けている。
長らく商売を続ければ,カッコいい店や高級なにしたい。との欲が出るのがあたりまえ。
同時期に開業した人たちはその様な道を歩んだ。





ところが、坂田さんは「初心を忘れず」を貫き通している。
並べられた品々は破片もあれば破れもある。しかし,どこかに見所ががあるものばかり。
坂田さんの純真な心が品物に反映されている。

初めての対面であったが,旧知の仲のように楽しく話すことが出来た。
これも、坂田さんの人柄だろう。

話しを伺い、品物を拝見に再度訪れたい店だ。






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初秋の西の谷

2009年08月20日 19時11分26秒 | 西の谷緑地公園
西の谷も秋の気配が強まってきた。
幾つかの花や樹を紹介しよう。



日本に自生する胡桃は鬼グルミだけ。
西の谷にも何本かの胡桃の樹がある。数個づつ付けた実が、間もなく落ちてくる。
殻は先端が尖ったハート型でお守りになりそうな姿だ。



芙蓉、淡紅色の五弁の花を開く。
しばしば、美人にたとえられ、楚々として艶麗だ。
夕方にはしぼんでしまう一日花。
美人薄命というのが定石。
夕方の散歩時、花の姿は御覧の通り。



蒲の穂。
蒲は花が終わると雌花のみに茶褐色の穂を付ける。
既に穂綿を飛ばし始めた。



百日紅(サルスベリ)
名の如く、盛夏から初秋にかけて長い期間咲き続ける。
紫や白もあるが、ピンクが一番多い。
西の谷のサルスベリもピンク。
木肌がツルツルしているので「猿滑り」ともいう。

西の谷は植物の宝庫だ!と言いたいが、まだまだか。




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「国宝 武人ハニワ、群馬へ帰る!」

2009年08月18日 23時52分12秒 | 美術展
開館30周年記念展
 「国宝 武人ハニワ、群馬へ帰る!」
   ~これが最後、東と西の埴輪大集合~  平成21年7月4日(土)~8月30日(日)
 ■会  場 群馬県立歴史博物館




土偶(どぐう)や埴輪(はにわ)は低火度で焼かれた土製品だが制作年代は異なる。
土偶は縄文時代に作られ、人物や動物を象った土製品。
妊婦の像などが多く、出産・豊穣(ほうじょう)・再生にかかわる用途であると考えられている。
埴輪は古墳に並べるために作られた土製の焼き物。
大きく分けると円筒の形をした円筒埴輪と人や物などの形につくった形象埴輪。
多様な埴輪が作られているが、彫刻的にみても素晴しいものが多い。
おそらく専門の工人が存在したのだろ。
僕は東海村周辺から出土した埴輪に憧れている。
現代の彫刻作品と比較しても遜色ない造形、焼成温度が高く焼き肌の美しさ。
日本有数のレベルと思っている。



山上鎮夫さん旧蔵の「武人の首」は東海村出土。
「鳥」の出土地は不明だが、円筒部と形象造の繫がりがよい。どちらも「古陶小集」より。

古代の東国の拠点と言われる群馬県は、かつて1万基の古墳が存在した。
出土した埴輪は、日本一の質と量を誇る。
8月30日まで展示総数約300点におよぶ「大埴輪展」を開催されている。
今回は国宝の「武人の埴輪」を初め重要文化財まで近畿地方から関東まで、西と東の名品が勢ぞろいした。
埴輪のような土製品は、移動による傷みが生じやすいこと、地震などに対する備えも重要なので展覧会が難しい。見逃すのはモッタイナイ。
水戸~高崎は160kmだが、北関東自動車道路が一部を除いて開通し、気軽に行けるようになった。2時間半で高崎市の郊外“県立公園・群馬の森”に。





芝生の公園に「歴史博物館」と「近代美術館」が併設されている。
今回は、2館を併用しての展覧会だ。
■ 第1部 ヤマト王権の埴輪
■ 第2部 東国をリードする上毛野の埴輪
■ 第3部 埴輪ギャラリー ~その造形と美~ 
関東の埴輪を見る機会は多いが、畿内の形象埴輪を見る機会は少ない。
家形埴輪や舟形の埴輪、兜のような蓋埴輪、鞆形の埴輪などは何れも想像するよりかなり大きく精巧で驚かされた。
同様に盾形や鳥形などもかなり大きい作が並んでいた。





群馬の出土品は、群馬と言う名が示すように古代から馬の産地と有名だったのであろう、沢山の大きな馬の埴輪が展示されていた。

群馬県出土で東京国立博物館所蔵の国宝「挂甲をつけた武人」も里帰りしての出品。
似たような「挂甲をつけた武人」も出品されているが、国宝に劣らぬ見ごたえがある。

髷を結った可愛らしい巫女の像、琴弾の男子像。
犬形、猪形、鹿形、水鳥形、牛形、鳥形などの動物類。

素朴な造型であるが、埴輪を通して古代人の世界を偲ぶことが出来る。
未知なる部分が多いだけに夢がある。
今後の調査により多くの新しいことが解明される楽しみもある。


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ミソハギの花

2009年08月17日 20時06分38秒 | 山野草
ミソハギの花



西の谷の小さな沼地の縁はミソハギの花が見ごろ。
2 枚の葉が交互に対生し、紅紫色の小さな花がきれいだ。
語源は禊萩(みそぎはぎ)とも溝萩(みぞはぎ)だとも言われる。
後者の語源が示すように,山野の湿地に生える多年草。
旧暦のお盆の頃に咲くのでボンバナ(盆花)と言う所も在るようだ。

ミソハギは川村記念美術館の庭園で知った。
それ以来、自生か栽培かは分からぬが、結構見かけることが多い。
西の谷には数年前に自生して、或いは何方かが植えたのか?
群生地が増え、暫らくの間楽しむ事ができる。

久し振りに、西の谷の清掃仲間のFさんやSさんと顔を合わせた。
大分きれいな状況にはなったが、問題はたくさんあるようだ。

ともかく、西の谷が、折々の草花がさらに楽しめる公園になれば、と願っている。


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8月15日。終戦記念日

2009年08月15日 15時49分15秒 | 生活
8月15日。終戦記念日

1945年8月15日、昭和天皇が国民に終戦を告げる玉音放送が行なわれた。
水戸が8月2日未明に空襲に遭った、わずか13日後のことだ。
大戦で犠牲になったのは約310万人といわれるが、全ての国民が悲惨な体験を強いられた。
それから64年、戦争を知らない人が多くを占める時代となった。

僕とて終戦の時は4歳。
勝田市の軍需工場が米艦隊の艦砲射撃を受けたのは7月17日、母に背負われて千波方面に避難したこと。
間もなく水戸も空襲を受けるだろうと、母と姉と父親の故郷・栃木に疎開した。
その途中、今思えば小山駅かもしれないが、列車待ち合わせでホームで夜を過ごしたこと。
など、断片的なおぼろげな記憶。



戦後間もなく、水戸駅前から銀杏坂を望む。

戦後の焼け跡が残る町、バラックの家。
食べ物を含め全ての物が不足していた事はよく憶えている。

戦争の悲惨さを体験した人は年々少なくなる。
二度と過ちを繰り返さない。戦争体験を風化させないための企画が多く組まれている。
積極的に見聞して語り継いでゆきたい。

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第49回水戸黄門まつり花火大会

2009年08月15日 15時37分15秒 | 水戸
第49回水戸黄門まつり花火大会



悪天候のために延期されていた第49回水戸黄門まつり花火大会。
先週とはうって変わって好天に恵まれた。
友人宅は千波湖畔を見下ろす絶好の場所。
湖畔はたくさんの見物客、、付近を通る県道は車が連なる。

久し振りに顔を合わせた友人達と、飲みかつ食べながらの花火見物。
日本一の花火師・野村花火工業のてによる約4100発の色鮮やかな大輪が夜空に咲き乱れ、湖面を彩った。

特にフィナーレのミュージックスターマインは光と音の競演。
大音量のスピーカーから流れる音楽に合わせ、大小さまざまな花火が連続して打ち上げられ、圧巻であった。

終了後も友人達と尽きぬおしゃべり。
延期されたので、月遅れのお盆期間と重なった。
帰省中の家族が揃ってという方々もいたであろう。
花火は単独で開催するのも一つの手かもしれない。



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「鍵善」の「くずきり」

2009年08月14日 12時38分18秒 | 食べ歩き
「鍵善」の「くずきり」真夏の京都に何度か旅した。
古美術・骨董の虫が取り付き、寝ても覚めてもそのことを考えていた。
奈良や京都は日本の美術の本拠地、暇を惜しんでは通った。



現在の鍵善の店舗。

鍵善のくずきりを始めて食べた想いでは今も忘れられない。
当時の店は、今より小さい木造の2階建て。
1階脇の階段を上がると、二階が小さな喫茶室。




憧れの、くずきりは信玄弁当の器を模した累鈿製の器で供された。
しかも、デザインは同じではない。
この器は今でも多分同じだろう。
最近は、奈良や京都が遠くなり、訪れるのは数年に一度ななってしまい「鍵善」にもご無沙汰だ。

螺鈿の蓋をとると、水中にカチ割りの氷と葛きり。
葛はひも状で不定形に切られ、透明な白魚の如く泳いでいる。
内側は赤の漆、その涼しげな美しさは食べるのが、もったいないと思えるほどであった。
黒蜜にからめて食べるのだが、濃厚な黒みつではあるが、氷と水で薄められ丁度よい甘さになる。

その後には、暑いお茶が供された気がするが。
とにかく暑い京都を歩き回った旅人には疲れなおしの、その日の旅を振り返る憩いの場であった。



その日に帰る予定であれば、青竹に入った水羊羹を家族への土産とした事もある。

葛きりは今では一般的な食べものとなったが、昭和の初期に鍵善が考案した食べ方らしい。
暑い夏になると、無性に京都が懐かしくなる。

今日は、久し振りに暑くなった。
台風の影響で延期になった『水戸千波湖の花火大会』も大丈夫だろう。
月遅れのお盆。先祖や知人や友人を偲びながら花火を観るとしよう。

鍵善良房のHPは


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