大正初期の代表的庭園・旧古河庭園
東京都北区、武蔵野台地の端の斜面と低地の高低差を利用し、和洋を巧みに使い分けた庭園が旧古河庭園である。古河財閥の創業者が大正6年(1917年)に自宅として造営した、大正初期の代表的な邸宅と庭園だ。現在は東京都公園協会が管理している。
北側の小高い丘の上はイギリスの建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)の設計になる古典様式で、屋根は天然スレートぶき、レンガ造りだが外壁は石で覆われ重厚な雰囲気だ。庶民がささやかな生活をしていた頃、財閥の総帥は巨額の資金を投じて、英国貴族の邸宅と同じような物を造り上げた。
コンドルは、明治から大正にかけて、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館などを手がけ、日本の建築界の発展に大きく貢献した。旧岩崎邸は上野不忍池の近くに在るが、未だ観た事はない。今のところ改修中らしいので、お色直しが済んでから訪ねてみたいと思っている。
本館を取り巻くテラスと芝生、中段の刈込が十分になされた植え込みの中はたくさんの品種の薔薇が植えられている。さぞや、バラの季節は見事なものであろうと思えた。
庭は庭師さんが春の草花の植えつけの作業中。庭つくりは常に手を入れることしかない。
一番低い所に造られた日本庭園は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛(1860-1933)の作庭。山間の湖沼を思わせる心字池を中心にして、10数メートルの大滝もあれば、枯滝ある。今は循環式のポンプを利用しているとのことだが、当時は井戸水を利用していたそうである。勿論、灯篭や岩組みも配されて、洋風庭園に勝るとも劣らない魅力がある。和と洋の両方を楽しめる貴重な庭で、2006年に国の名勝に指定されたのも肯ける。
洋館の内部の見学は往復はがきによる申し込み制とのことだが、一部は喫茶室に成っており、誰でも利用できる。時間の都合で、残念ながらお茶を飲む暇はなかった。
次回は、咲きそろった薔薇の花を眺めながら、ゆったりとお茶を楽しみたい。
東京都北区、武蔵野台地の端の斜面と低地の高低差を利用し、和洋を巧みに使い分けた庭園が旧古河庭園である。古河財閥の創業者が大正6年(1917年)に自宅として造営した、大正初期の代表的な邸宅と庭園だ。現在は東京都公園協会が管理している。
北側の小高い丘の上はイギリスの建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)の設計になる古典様式で、屋根は天然スレートぶき、レンガ造りだが外壁は石で覆われ重厚な雰囲気だ。庶民がささやかな生活をしていた頃、財閥の総帥は巨額の資金を投じて、英国貴族の邸宅と同じような物を造り上げた。
コンドルは、明治から大正にかけて、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館などを手がけ、日本の建築界の発展に大きく貢献した。旧岩崎邸は上野不忍池の近くに在るが、未だ観た事はない。今のところ改修中らしいので、お色直しが済んでから訪ねてみたいと思っている。
本館を取り巻くテラスと芝生、中段の刈込が十分になされた植え込みの中はたくさんの品種の薔薇が植えられている。さぞや、バラの季節は見事なものであろうと思えた。
庭は庭師さんが春の草花の植えつけの作業中。庭つくりは常に手を入れることしかない。
一番低い所に造られた日本庭園は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛(1860-1933)の作庭。山間の湖沼を思わせる心字池を中心にして、10数メートルの大滝もあれば、枯滝ある。今は循環式のポンプを利用しているとのことだが、当時は井戸水を利用していたそうである。勿論、灯篭や岩組みも配されて、洋風庭園に勝るとも劣らない魅力がある。和と洋の両方を楽しめる貴重な庭で、2006年に国の名勝に指定されたのも肯ける。
洋館の内部の見学は往復はがきによる申し込み制とのことだが、一部は喫茶室に成っており、誰でも利用できる。時間の都合で、残念ながらお茶を飲む暇はなかった。
次回は、咲きそろった薔薇の花を眺めながら、ゆったりとお茶を楽しみたい。