「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「骨董・新古美術・我楽多余市」余聞

2018年08月13日 19時03分25秒 | 骨董・古美術
「骨董・新古美術・我楽多余市」余聞



「木彫の恵比寿像」
東京浅草「浅草寺」脇の磯蔵酒造直売処・日本酒文化専門店・窖(あなぐら)の店内に安住の地を得た。

水戸市泉町・スマイルタワー3階で7月28日~8月6日まで開催された「骨董・新古美術・我楽多余市」はFacebookのみの広報(一部の友人には電話連絡も)だったが、多くの友人に来ていただいた。
来訪者によるFBやブログにアップされ、会場の様子など良い記念になった。

「モノを肴にした語り場」ではあったが、「蒐集品の身の振り先」の意味合いもあった。
磯蔵酒造ブログ【蔵人日記】の2018年08月07日「蒐集家の宿題」と題した記事は、過分なお褒めの部分もあるが「モノを肴にした語り場」
「蒐集品の身の振り先」など、当初の狙いを理解した内容なので、蔵主の磯貫太さんの了解を得て、全文を転載させていただくことにした。

磯蔵酒造ブログ【蔵人日記】の2018年08月07日「蒐集家の宿題」全文。

『買物が苦手な私は、モノを集める習性は持ち合わせていないが、しかし、モノを捨てるのも苦手なので、身の回りは、高校生くらいからの本やレコード盤を始め、中には今やサイズ的に着れない衣類まで、かなりの数の「お気に入り」で溢れかえっている状況。
カミサンこそ、そう言う事を五月蝿く言う性格ではないが、ワタクシに何かあった際に「誰が片付けるのか?」を考えると、気が重くなる。

そんな先日、ワタクシが高校生の頃より遊んで頂いている、とてもファッショナブル(この言葉は彼のためにこそ有る!と断言しよう)で、個性的で、人間味あふれる友人(父と同世代だがあえて今回は友人と呼ばせていただき生意気を言おう)が、「骨董・新古美術・我楽多余市」と称し、長年集めた蒐集品の展覧会を開くというので、早速出かけて来た。

ギャラリーと称された雑居ビルの一室には、彼の80年近い人生を表わすかのように、彼が訪れた様々な場所、そして彼が関わったたくさんの人々、との思い出いっぱいな珍品の数々が処狭しと並んでいた。
魅力的な品々に「売るのか?」と訊けば、「欲しいと言うなら、その人間と話し、所蔵するに相応しいかどうかを判断する。値段は交渉次第だ。」と、恐ろしく高飛車な「我楽多余市」だ。

そんな展覧会で彼は、訪れた客に蒐集品にまつわる四方山話を嬉しそうに話し、時には客が差し入れる酒(彼は街で無類の呑んベエで知られている)を、待ってましたとばかりに、用意してあった(笑)ぐい呑みで、人生の機微を肴に一杯やりながら、そこにいた「友人を友人に紹介し友人にする事」を、心から楽しんでいるようだった。

そして、しばらくして気づいたのだが…しまいには「これはあんたに似合うな」とか「これはあそこに置いて欲しいな」とか言いながら、蒐集品の嫁ぎ先を強制的に決め、無料配布しはじめ…いや、そのほうが多いのではなかろうか!?

そうかっ!こういう身の回りの整理の仕方(彼はまだまだ元気ですが)があったのかっ!
カッコイイ男はどこまでカッコイインダ?!

と、心底感心したので…久しぶりに仕事とは関係ない長文を書いてみました。

因にワタクシは「お前は人と盃を交わしてばかりだからな」と、随分と時代のある「盃洗」と、
そして「浅草の窖に似合うぞ」と木彫りの「恵比寿さん」をお預かりした。

写真がその恵比寿さん。
浅草は「日本酒文化専門店 窖」で皆様のお越しをお待ちしてくださっております。
私が長年お世話になっている楽器屋さんが「良い楽器はお金を払って一時期借りているだけ。
一緒に墓に入れるなんてもってのほか。
必ず次の弾き手に渡す義務がある」と言っていたが…

これらを、何時、何処の誰に、どうやって引き継ぐのか…
それは彼が私にくれた大変な宿題。』
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須藤文彦さん講演会@水戸南町「茨城新聞 みと・まち・情報館」

2018年08月13日 05時53分31秒 | 水戸の今と昔
須藤文彦さん講演会@水戸南町「茨城新聞 みと・まち・情報館」









8月11日(土)10時30分から、水戸南町「茨城新聞 みと・まち・情報館」で「再発見!坂道と水辺が織りなす水戸の風景」と題する講演会が開催された。講師は『水戸まちづくりの会』事務局長の須藤文彦さん。





平成11年3月に設立された同会は「上市に橋なし、下市に坂なし」という水戸に古くから伝わる言葉に注目し、水戸の歴史的遺産としての坂道と橋について調査研究を続けている。
「上市・下市」という呼び名も、水戸の独特な言い回しだが、最近では使われな傾向なのも寂しく感じる。

研究の成果を、平成14年3月に『水戸の坂道』として発行した。
平成23年に『水戸の橋ものがたり』の発行。
この度、およそ7年がかりで『水戸の坂道、水辺の風景』を上梓した。

須藤さんは、お笑い芸人が良く使う、パラパラとスケッチブックをめくる手法で分かりやすく解説した。









文化の定義・地質と水脈・水戸の三ハカセなど、広範囲にわたる話に満員の聴衆は魅了された。



学者でないからこそ出来ること、を実践した「水戸の三ハカセ」と呼ばれた三人の方々。

『明治大正の水戸を行く』 (1959年)の著者・前田香径さん。
『泉町物語』の著者・望月芳雄さん。



『水府巷談』『水府異聞』『水府綺談』の著者・網代茂さん。
新いばらきタイムス社の副社長として、記者の目と耳をもとにして水戸を描いた三部作は、水戸市史とは違った角度からの切口で水戸を知ることができる。

と三氏が書き残した著作によって往時のことを知りえる、と業績を称えた。



『彰往考来』は徳川光圀が唱えた。
「過去をあきらかにして、未来を考える」との意。



歴史を知ることにより、水戸誇れる町に、との願いが込められている。



聴衆として参加していた「水戸の井戸博士」西原 昇治さんが水戸の地層がいかに水を貯える地形であるか。
などを補足説明、台地でありながら1本の水路もなく、井戸のみで生活用水を賄った「水戸・上市」の地形と地層の特殊性をわかり易く解説。



ゆるく、毎月第一・第三土曜日に開催される「水戸まちづくりの会」。
次回の集いに参加の呼びかけもなされた。

聴講の多くが出席してみようと思ったに相違ない。

水戸南町「茨城新聞 みと・まち・情報館」では講演会やコンサートなどが毎月開催されている。
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