『極私的昭和』大曾根克彦著(2023年1月)
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表紙・裏表紙
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目次
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自選俳句200句(1990年~2022年・308頁~336頁)
奥付
茨城新聞社、産経新聞の記者を経てタウン誌「月刊みと」の編集人を務めた後、1982年からフリーランスとなり多分野にわたる執筆活動を続けた。
常陽芸文センターの機関紙『常陽芸文』の仕事はフリーになると同時から参加し茨城県及び近隣の歴史・文化・自然・人物などの紹介、発掘と掘り起こした。
画家・福地靖さんを尊敬し、交流は長きにわたった。
『福地靖とその時代』をテーマに単行本の刊行を目指していた。
本書においても55頁に渡り論じている。
福地さんと同様に「日めくり俳句会」の有力なメンバーで社会を鋭く切り取った俳句も多かった。巻末に自選200句を掲載している。
それぞれの頁を読み進めると大曾根さんの声が聞こえるようだ。
大曾根さんの文章は、日頃の語り口が文章に成っている。
読み進めば、沢山の思い出が連なる。
僕が大曾根さんと知り合ったのはタウン誌『月刊みと』4号(1973年)の頃に始まるから約50年に及ぶ。
1981年1月號から『身辺古玩』のタイトルで骨董にまつわる話題を写真付きの見開き頁で紹介する企画を持ち込み、1年間連載する無謀なたくらみを実現した。
俳句と古器に季節の花を挿して写真を撮影した。
ニコンのカメラまで購入するほどに入れ込んだが、いい思い出で、雑文を書くキッカケとなった。
一月尽私的昭和の本届く 破髯斎
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表紙・裏表紙
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自選俳句200句(1990年~2022年・308頁~336頁)
奥付
茨城新聞社、産経新聞の記者を経てタウン誌「月刊みと」の編集人を務めた後、1982年からフリーランスとなり多分野にわたる執筆活動を続けた。
常陽芸文センターの機関紙『常陽芸文』の仕事はフリーになると同時から参加し茨城県及び近隣の歴史・文化・自然・人物などの紹介、発掘と掘り起こした。
画家・福地靖さんを尊敬し、交流は長きにわたった。
『福地靖とその時代』をテーマに単行本の刊行を目指していた。
本書においても55頁に渡り論じている。
福地さんと同様に「日めくり俳句会」の有力なメンバーで社会を鋭く切り取った俳句も多かった。巻末に自選200句を掲載している。
それぞれの頁を読み進めると大曾根さんの声が聞こえるようだ。
大曾根さんの文章は、日頃の語り口が文章に成っている。
読み進めば、沢山の思い出が連なる。
僕が大曾根さんと知り合ったのはタウン誌『月刊みと』4号(1973年)の頃に始まるから約50年に及ぶ。
1981年1月號から『身辺古玩』のタイトルで骨董にまつわる話題を写真付きの見開き頁で紹介する企画を持ち込み、1年間連載する無謀なたくらみを実現した。
俳句と古器に季節の花を挿して写真を撮影した。
ニコンのカメラまで購入するほどに入れ込んだが、いい思い出で、雑文を書くキッカケとなった。
一月尽私的昭和の本届く 破髯斎