48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

定年を迎えました

2023年07月06日 00時30分15秒 | オッサンの日記
6月30日 金曜日 定年を迎えました

日付が前後するのですが、6月末で定年を迎えました。

まさか自分が定年を迎えるとは驚きです。
学生時代から定住する事なくフラフラしてて、
「俺みたいなボウフラは定職に就かず、バイトしながら好きな事して、最後には野垂れ死にするんだろうな」
なんて思ってました。
だから失業期間以外は、ずっと真面目にサラリーマンしていた自分が不思議なのです。

今まで勤めた会社は4社。籍のあったオヤジの会社を含めると5社になります。
大学卒業後に入った最初の会社は、仕事も面白くてずっと勤めたかったんですけど、倒産寸前になり逃げ出しました。26歳から32歳まで6年間在籍。
2つ目はブラック企業。6年間のサービス残業時間が8千時間を越えました。月間労働時間が360時間という記録を作った事もあります。33歳から6年勤務。最後は体が壊れた。
3つ目は田舎にUターンして勤めたのですが、これもブラック企業。「1週間家に帰れない」「1か月休みなし」というのがザラにあった。ここは3年で事業所が縮小・売却。
4つ目で今の会社に拾っていただき、17年間という長きにわたってお世話になりました。

まあなんて仕事運の悪い男なんだろう(笑)。4つの就職先で1つが倒産寸前(一応今も細々と残ってます)。2つがブラック企業(笑)。

仕事運が悪いと言えば、最悪だったのがうちのバカ親父の会社(笑)。
私の高校時代に会社を設立したのですが、最初の商売が軌道に乗り、オヤジも天狗になってたんでしょうね。「まだ早い」「もう少し軌道に乗ってから」という周りの声を無視して、4年後に莫大な投資をして新規事業を始めました。
で、この新規事業が大外れ大赤字だったので1年で撤退。莫大な借金だけが残ってしまいました。黒字である最初の事業の収益では、借入金の返済が全く足らない状態で、にっちもさっちも行かなくなった矢先に、オヤジの心労が重なって心臓マヒで死亡。

元々オヤジとオカンには育児放棄された経験があるので、
「オヤジの会社?知るか!俺は関係ない。遺産放棄するもん」
って叫んでたんですけど、蓋を開けたら会社の登記簿には役員として私の名前があり、百五銀行鵜方支店からの借り入れ1億4千万の保証人の欄には、しっかり私の名前が記載され印鑑も押してあった(注:実印登録も勝手にされていた)。
「なんじゃこりゃあ!」
「勝手にしやがって、ふざけるな!」
と叫んだものの後の祭り。
破産宣告して逃げようかな?いや逃げられない。逃げるわけにはいかない。
というわけで1年間大学を休学し、借金の整理と会社の売却で走り回ってました。
この時の悪夢のような経験が、私のアイデンティティの下地になります。

1年後に買ってくれる会社が奇跡的に出てくれたので、会社も借金もぜーんぶ差し上げて(押し付けて)逃げました。
借金が1億4千万で、資産が土地4千万・建物2千万ほど。差額がマイナス8千万なのに、どうして会社を買ってくれたかって?
実はバブル景気に入り始めたことでして、土地の値段が上がり始めていたのです。で買ってくれた社長さんも、
「まだ安いけど値上がりを見込めるし、周囲の土地も含めて(周りも買ったらしい)、新しく開発するぞ」
という理由を言っておられました。
周りの大人たちはね、「もう少し待ったら、絶対値上がりしてプラスになるよ」とか言ってくれたんですけど、早く大学に戻りたかったんです。若い貴重な自分の青春時代を、こんなくそみたいなド田舎で、しかも好きでもない仕事を2年も3年も続けるわけにはいかない。
人生逃げるが勝ち(笑)。
なーんにも残らなかった。借金も残らなかったけど、資産も残らなかった。あははは。

で、うちから大赤字の会社を引き継いだところは、未だに野原のままです(笑)。開発もなにもされてません。売却もしていない (笑)。
ババ抜きのババを押しつけたようなもんですな。
土地の値上がり・株の値上がりって、タイミングを逃すとこんなもんです。素人には判断が無理だと思う。
ホリエモンさんなんかが、動画で「若い人よ、起業しよう!」って言ってますが、成功するのは10人に一人で、残り9人はうちの親父と同じ失敗者。商売ってホントに難しいです。

さて大学に戻った私は、悪夢のような1年間の経験で、
「もう競争社会には戻りたくない、戻らない」
と決心。
アルバイトしながら学費と生活費を稼いで、下手糞な小説書いて同人誌作ったり、絵を描いて山に行ったりしてました。
貧乏でしたが好きな事して生活し、「俺はこのまま好きな事して野垂れ死ぬんだろうな」と。一生フリーターでいいや(当時はフリーターという言葉が無かった)。
ところがどっこい、卒業してフラフラしてる時に、縁あって登山用品などを販売する会社に就職し、いつの間にか店長になり、転職した今の会社でも(下っ端ですが)課長という名の付くものになってしまいました。
新入社員相手に偉そうに、
「ランチェスターの法則は」
「ドミナント戦略ってのはね」
なんて講釈垂れてるんですよ(笑)。どう見てもジャパニーズ・ビジネスマンですわ。
世の中どう転ぶかわかりません。

さて今後の仕事はですね、一応延長雇用になる予定です。
給料がガタッと下がるのですが、子育ても終わったし、趣味が柔道・マラソン・キャンプなどお金のかからないモノばかりなので、大きな買い物をしなければ何とか生活できます。
今は介護で忙しいのですが、オカンが死んで暇になる頃には、同居している義父から畑仕事を引き継いで、いろんな野菜も作りたいです。

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