岐阜県揖斐郡池田町田中字野中80番地
すでに、養基神社については、石亀神社その2で書いています。
ゴールデンウイークは、ほとんど仕事していたので、息抜きに半日ほど時間を作って訪問してきました
周りは水田です。西を見た所ですけど、伊吹山と思います。
鳥居を過ぎるとすぐに「山神」様です
そして拝殿
拝殿の後ろに行きます
本殿です
西に廻ると
南には、金生山が見えます。かなり削られていますね。
最初この山を見たときには「なんてことするんだ」と思いましたよ。
もう一度、レイラインを見てみましょうか
養基神社から朝鳥明神までは、約4.2kmほど。
時間の流れを推測すると、レイラインの測量者たちは、サタヒコ(猿田彦)の死後、
猿投神社近くにある「大碓命墓」とされている場所にサタヒコの墓を作り、
その後、彼とアメノウズメ(アジサハヒメ)の子である神大根王(カムオホネノミコ)
の住む伊久良河宮に来ます。
そこからの、レイライン上にこの養基神社を建て(この時点ではまだ神社ではないかもしれません)
サタヒコの墓(大碓命墓)からのレイラインを測量して、そこに朝鳥明神を建てた。
そのような流れでどうでしょうか。
猿投神社からのレイラインを見てみましょうか
そして、猿田彦の最初の墓(大碓命墓)からのラインです