たまにはぼそっと

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倭姫命(やまとひめのみこと)その5、 丹生

2018-03-16 06:44:17 | 神社

倭姫命とは、直接の関係はありませんけど、なぜ伊勢なのかと言うことに関係していると思うので

いろいろ調べてみました。



 まず、`丹"とは 赤色 の塗料,若しくは顔料

古代には、朱(硫 化水銀)が 防腐剤 として遺体 の保存 に利用 されてい た

また、不老 不死の薬として,水 銀や辰砂 が使われ ていた




丹生 とは,辰 砂 の別名で、それが採れるところ という意味でもあるそうです

そして、この生産に携わる者たちをも丹生と言ったようです

その人たちの集団が、丹生族とか、丹生部と呼ばれるようになったそうです


辰砂


こちらから少し引用させていただきます
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「古代ヤマトでいう丹とは 硫化水銀(朱)、四塩化鉛(丹)、褐鉄鉱、赤鉄鉱、酸化鉄(赭)をいい、その生産・精錬を主に生業とする部族を丹生族といったのである」
とした。
広い意味では、水銀はもちろん、金・銀・銅・鉄などの採鉱や精錬、土器製作や土木工事をも含む、凡そ土に関わるすべてに丹生部は係わっていたと思われる。

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丹を産する地は、中央構造線に沿う場所にあります。

九州の熊本県から大分県を通り、四国、紀伊半島、伊勢湾を通り長野県に至り

フォッサマグナの下を通り茨城県へとつながります。

このことから、丹生に関わる人たちは、九州から四国を通り淡路を経由して

紀伊半島にたどり着いたとされる説があります。




 さて、古事記、日本書紀からは、古代ヤマトの丹生地方の土着民に

吉野首(ヨシノノオビト)と言う氏族がいて、

その祖先は、古事記、日本書紀のどちらでも「イヒカ」という名の神とされるとあります。


イヒカは神武天皇の東征の途中で登場してます

そして、吉野首が水銀 または丹砂 の採取 をしていたと思われます。

この、吉野首が、九州から来た丹生部と呼ばれる人たちなのかははっきりとはわかりません。

ですが、どちらにしても大和朝廷と争ったという話が無く、割とすんなりと溶け込んだようなのです。


日本書紀のには以下のようにあります

日本書紀』天武十二年


「冬十月乙卯朔己未。三宅吉士。草壁吉士。伯耆造。船史。壹伎史。娑羅羅馬飼造。

菟野馬飼造。   吉野首。 紀酒人直。釆女造。阿直史。

高市縣主。磯城縣主。鏡作造。并十四氏。賜姓曰連。」


姓を賜って連としたようです。ここで、驚いたことには、「鏡作造」の名もあるんですね。

吉野首は、それなりの地位にいたようです。










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