たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

内宮の鍛冶の場所

2022-11-01 06:41:46 | 猿田彦
今回は、内宮について考えてみましょうか。

今までの流れとして、最初は志登美神社もしくは上御井神社で、伊勢津彦が鍛冶を行っていた。

その後、サタヒコ(猿田彦)が伊勢に来てからは、下御井神社がその場所になります。

ところが、鍛冶の技術を見られたくないということで、山奥の瀧原宮に移動した。

月夜見宮から外宮に行く、神路通りには、「人々が夜に神路通を通るときは、神様に出会わないよう畏れつつしみ、道の真ん中を避け端を通った」という言い伝えがあります。

これは、鉄を運ぶことを秘密にするための話ではないだろうか。

瀧原宮では、交通が不便なことと、冬が寒いということで再び海の近くに場所を求めたと思います。

それが現在の内宮の場所と推測します。

それまで、三種の神器があった飯野高宮神山神社からの冬至の日の出の場所にその地を定めた。

さて、内宮の何処で鍛冶を行ったのでしょうか?



風日祈宮だけが、川を渡ったところにありますよね。

この場所なら、水も豊富です。しかも人を近づけないようにした場所と思いませんか?


コメント
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