その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

でんでん虫の悲しみ

2020-07-07 05:58:59 | 転職

カタツムリの背中には大きな「肺」がある!

北の宮沢賢治、南の新美南吉と称される児童文学作家「新美南吉」は、29歳の若さで他界している。代表作に「ごん狐」がある。彼の短い生涯の中で書かれた「デンデンムシノカナシミ」に、「新美南吉」は「でんでん虫の殻は悲しみで出来ている。」と書き残している。しかし、独り嘆く「でんでん虫」の仲間たちも皆「悲しみ」を背負っていると語ったとか…。
貧しい家庭に生まれたことを嘆く者にも、裕福な家庭に育った者も、それぞれに「悲しみ」を背負っている。一時の権力の座を手にした者には「孤独」という「悲しみ」が付いて回る。人には「悲しみ」と同じ分だけ「喜び」がある。生きてさえいれば、必ず「喜び」に出会えるはずである。未来を担う子どもたちには、「悲しみ」の先にある「喜び」が得られることを信じて生きて欲しい…決して、自ら死を選ばないで欲しい。あなたの「死」は、また別の人の背中に「悲しみ」という重い殻を背負わせてしまうことになるのだから…。(実姉五七日の日に想う。)


これからは「ドローン」だよ^^;

さて、実姉を失って35日…早いものであります。「五七日」は、閻魔大王が故人の生涯を裁定し、天国行きか地獄行きかを裁判する日なんですと。だから近親者は「故人は良い人だった。」と応援弁護してあげなければいけない。しかし、姉の場合は助産師として、多くの新たな命を世に出すお手伝いをしてきたのだから、そのことだけでも善行として、「天国行き確定」と勝手に解釈しているのでありますけれどね^^;
いつまでも「悲しみ」に暮れている訳にもいかない。主力作物である夏秋きゅうりは、そろそろ『おらだの農協』に出荷できるほどの本数を数えるようになりましたし、加工用の「京南蛮」も、長男『ポン太郎君』に収穫させたら、ひと籠一杯になりました。これから3ヶ月は、毎日収穫の日々が続くのでありますよ。悲しんでいる暇もなければ、収穫の喜びを感じる暇もない日常がそこにある。そうこうして日々過ぎていくのかも知れません。
最近、めっきり会話の無くなった『夢屋夫婦』でありますが、昨日は姉の嫁ぎ先に行く道すがら、今までのことを振り返り会話を交わしました。オッカーは今まで語ったことの無かった「東京行き」の理由など語っておりましたけれど…「良かったねぇ、東京に行ったことでこんなに良い人に巡り合えたじゃないか。」と半ば強制的に幸せを説き伏せた『夢屋農場長』でありましたとさ(笑) さぁ、これから雨で一気に伸びた田んぼの草刈りですわ^^;

コメント
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