その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

勇気の農業

2009-07-31 12:04:04 | 暮らし
本日の時事通信トピックス。
イギリス食品基準庁の委託研究を受けた「ロンドン大学衛生熱帯医学大学院」の文献精査研究によると有機農法ほか、栽培方法の違いによる栄養価に有意な差が出ないとの結果が出されたとか。
ん~。でも、これって当たり前じゃねぇ…。人間の場合、肉が好きだったり、嫌いだったり、嗜好の違いによって栄養摂取量も個々に違ってきますから、結果的に血液の中性脂肪値が高いとか、コレステロール値が高いとか、中高年にとっては気になることになりますが、このことは、基本的な筋肉組成にまで影響するとは思えない。(脂質の高い肉ではあるが、筋肉の組成は変わらないという意味で…。)植物の場合は、根から濃度勾配によって、体内に水溶成分が取り込まれるのだから、栽培方法で体組成が変化するとしたら、これはエライこってす。
ただし、見出しが気に入りません。『「有機」に健康効果なし』
これもまた、いかがなものかと思います。「有機野菜」を志向される方々は、化学肥料の合成途上で発生する合成副産物や化学農薬(生物農薬もあるので、敢えて化学としました。)そのものの毒性に疑問を呈しているのであって、栄養価ベースを問題視している訳ではないことを、まったく理解していない見出しであります。
           
おそらく、私がこれから田圃に散布するであろう殺虫剤は「カメムシ」や「ツマグロヨコバイ」には有効であっても「イナゴ」を殺傷するには、効果が薄いと思われます。農薬(殺虫剤)の対象害虫…選択性が高まったことによるものです。かつて、レーチェル・カーソン女史が発表した『Silent Spring』によって、農薬の有害性が一般知識化するとともに、一方ではヒステリックな程の農薬脅威論が展開され、農薬=悪との極論まで発言される方もいらっしゃる。農薬に毒性が無いなどと正当化するつもりはありません。元々、農薬(人間の医薬品も同等でありますが)の安全基準は、LD50値(エルディーフィフティ値)という摩訶不思議な数値で正当化されているので、農薬自体が安全か危険かという議論をしても、平行線をたどるしかないのであります。一握り1,000粒の米の中に2粒のカメムシ吸汁米が混入すると1俵当たり600円の価格低下(一等米から二等米への格下げ)となるのである。ならば、カメムシが出ようが出まいが、10a当り一袋1,000円にも満たない農薬を散布した方が得ではないか…農家収入を考えれば、行きつく結論は簡単なのである。
ちなみに、我が家の飯米だけは、この農薬を撒きません…などという反則技は、我が家では行っておりませんがね。
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一服

2009-07-30 17:10:00 | 暮らし

秋田県在住の「風花」さんのブログを拝見し、子どもの頃の原風景を思い出しました。
『一服』とは、文字通り「お茶一服」「煙草の一服」であり、転じて休憩を取ること。今では死語と成りつつありますが、我が在所では仕事の合間に休憩を入れる合図として「煙草にすっぺ…」という言葉を使いました。
コロンブスが、約500年前にアメリカ大陸から持ち込んだ「たばこ」は、瞬く間に広まったものの、今ではその有害性から、煙草を吸う者は『バーバリアン(野蛮人)』の扱いであります。
肺ガンや循環器系疾患の原因となり「百害あって一利なし」とまで言われる「煙草」ですが、一利があるとすれば、精神の安定作用…休息と言えるかもしれません。
           
男の子として生まれたものの、存外、泣き虫に育ってしまった私に、亡くなった祖母は、良く英雄伝を語り聞かせてくれました。おそらく修身の時間に自身が習い憶えたものでしょうから、お話は「曽我兄弟」であり「楠木正成」であり、時として「忠臣蔵」であります。主君に対し忠節を尽くす…幼児体験は、知らぬ間に私の内なる所に根付いてしまっているかもしれません。そうした話とは別に、お伽噺の世界で良く出てくるのが『きつね』に化かされる話。
今の子どもたちに「キツネやタヌキが人を化かす」などと言っても、興味を示すこともなく、このことは、キツネやタヌキが、既に動物園の生き物であって、身近な存在では無いことに起因するものではないかと思います。
宮崎駿監督や高畑勳監督による『となりのトトロ』や『平成狸合戦ぽんぽこ』に描かれる原風景は、私の幼児体験と重なり、勝手に昭和30年代がモチーフであろうと解釈しておりますので、こうした年代でもないと「キツネが人を化かす」話題など通じないのも無理がないのかもしれません。
           
話が逸れてきましたが、祖母が幾度となく話し聞かせてくれたキツネの話。
そこには「○×村の△が騙された。」という具体的な表現もあるのですが、私にとって、△さんは見ず知らずの人であっても、何故かしら現実味を帯びた話として受け入れてしまったものです。
むかし話では「馬糞の饅頭を食わされた」「下肥の風呂に入れられた」となる所ですが、祖母の話は、森や山道で同じ所を何度も何度も歩かされたという話。そう、幾ら歩き続けても元の道に戻っているという話です。そして最後のオチは必ずこう言います。「そんな時は、煙草を吸うと良いんだど。獣は火が嫌いだから、煙草の小さい火でも、化かすのを止めて逃げて行くんだど…。」
昔のドラマでは、冒険家が森の中でオオカミに囲まれて、たき火の火をかざすシーンが良く出てきましたので、獣が火を嫌うという祖母の教えは、何故か現実味を帯びておりました。
さて、私も良い大人になって、現代風にこの話を解釈してみますと、人生色々な悩み事があるもので、出口を探るにも堂々巡りをしてしまうということが良くあるものです。そんな時は、考え方や物を見る角度を変えてみることが重要であり、一服つけてみなさい。煙草のような小さな火でも、闇の中では、一点明かりが射す場合があるから…などと、仕事中に喫煙所に通う自分を擁護する話題にすり替える私、夢屋であります。

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漂泊の詩人

2009-07-29 12:05:30 | 暮らし
日々生活の中にある変化を見続けながらブログにしたためるにも、そろそろ話題に困って来たところです。昨夜は円山応挙に逃避し、今夜は「俳聖」こと『松尾芭蕉』先生に逃げようと思います。
俳句は、五七五の十七音の中に、季節や情景を詠み込むものですが、『芭蕉』先生や『種田山頭火』は、人生を旅し、漂泊する詩人であります。日々の変化を求めるためには、日常的なものから異日常的なものに漂泊する必要があります。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
実に有名な『芭蕉』先生の代表句を、夢屋の日常に置き換えるとこうなります。
           
かつて我が家の子供たちが、魚やカブトムシを飼った水槽は、いつの間にか忘れ去られ、庭の片隅で古池となりました。
           
今年、生まれたアマガエルは、恥ずかしげに人目を忍び…
           
夏の暑さに耐えきれず、涼を求めて古池に飛び込み、行水するのでした。
           
音も立てず行水を終えたアマガエルは、涼風に吹かれ何かを思うのであります。

芭蕉が旅した時代、人の気配を感じ古池に飛び込む蛙は『トノサマガエル』に他ならない。私の日常的には、池は田圃の水路であり、私が畦畔を歩く足音に脅え、トポン、トポンと次々に蛙たちは水路に飛び込むのである。絵コンテ的なイメージは出来上がっているのでありますが、何せ草の中に潜み、水路に飛び込む蛙をカメラに捉えるのは至難の業であります。
私の絵コンテに沿った画像が撮れ次第、また珍解釈を披露したいと思います。
さて、私のPCは「ふるいけ」を変換すると「古い毛」と変換されてしまいます。そこで一句『古い毛に カツラ止まらぬ もどかしさ』 音も情景も季語もない駄作であります。

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うらめしや

2009-07-28 19:46:30 | 暮らし
夏の長雨はジメジメとして憂鬱なものですが、草木も眠る丑三つ時、暇を持て余し、円山応挙を模して幽霊画などを一幅。
下手な幽霊のモデルにされてしまった「カマキリ」さんこそ可哀そうではありますが、幽霊と言えば柳の木の下で、ややうつむき加減に両手を力なく構えるお決まりのポーズ。しかしながら、「カマキリ」の目力といい、恨みにやつれた撫肩といい、幽霊のモデルにはハマり役ではないかと悪乗りが段々高じてきました。
昔、(亡)湯川秀樹教授のエッセイでしょうか、国語の試験問題に使われたことを思い出しました。確か、物理学的に証明(否定)されていない物の存在を信じるか、信じないかといった内容であり、幽霊が取り上げられていたような記憶があります。
湯川教授の記述ではありませんが、ニュートリノ粒子は物質透過性が高く、質量も無いまたはあっても非常に小さいと考えられていましたので(当時)、その集合体は幽霊にはぴったりである。しかし、人を呪い殺してしまうほどの情念が、ニュートリノ粒子に宿るとも思えませんがねぇ。
           
幽霊と言えば、某工事事務所の伝説的な話。国道とは名ばかりの県境の峠道をパトロールしていた屈強の男性職員が、それも昼日中から、何人も幽霊を見るのであります。パトロール帰りの職員は、ただ、ガタガタと震え、自宅の布団にくるまって、恐怖から二度とあの場所には行きたくないと言う。大の男がこの有様なのですから、かなり信憑性の高い話ではあります。
その峠道は、かつて福島県喜多方市に至る道で、今では道路改良も進み、片道1時間30分程度で喜多方市慶徳町川前に行けるようになりましたが、20年程前は、この峠道か土湯方面を迂回し、喜多方市に釣りに出かけていたので2時間30分は有にかかっていました。
夜中の2時頃にほとんど睡眠も取らずに出発し、一日釣りをして帰るものですから、帰り道はどうしても睡魔に襲われます。一度、改良された新道のトンネルを通過中に居眠り運転となってしまったのでしょうか…トンネルの出口の方から黒い枠が、私の目の前に迫ってきました。
何と目の前に迫ってきたものは、亡くなった祖母の遺影でありました。
ハッとして、目が一遍に覚めてしまったのは言うまでもありません。居眠り中の大脳皮質が夢として見せたものか、はたまた祖母があの世から注意を喚起したのか定かではありませんが、ほんの数秒間の出来事で命拾いしたことは間違いありません。
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バカボンのパパ

2009-07-27 17:06:18 | 暮らし
『ムクゲ』の花で「コマルハナバチ」のお母さんが、花粉まみれになりながら蜜を集めている日曜日、お気楽「夢屋」は、会員登録しているへら鮒釣り堀『長者屋敷』の月例会に参加しておりました。
順位などに拘っている訳でもないのですが、一旦、竿を握ると隣のジイさんには負けたくないという闘争心がムクムクと湧き上がって来てしまいます。まだまだ、達観の域には到達出来ない世俗の人間であります。結果は62枚、総重量で20.6kg。約20人程の参加者で、さぁ何位でしょう…釣果発表の前にそそくさと帰って来ましたので順位は分かりませんが、おおよそ10位前後であろうと思います。
           
朝7時から午後3時まで、目一杯遊びましたけれど、我が家に戻れば植木の手入れ作業が待っています。梅雨時まで新梢が伸びますので、この時期刈り込みを入れます。植木屋さんに依頼すれば良いのでしょうが、大した庭木でもないので自分でやってしまいます。
           
昔は、鋏で刈り込んだのでしょうが、今は便利な「トリマー」がありますので、これを使わない手はない…ただし、素人が良くやる失敗をひとつ。電動式で楽なのは結構なことですが、調子に乗って刈り込むと電気コードも一緒に刈り込むことになりますので注意しましょう。我が家の古老も購入一日目にして、ご覧の赤丸のようにコードを刈り込んでおります。コードを肩にかけて、刃先に巻き込まないようにするのがプロの技です。
           
結果はこのような具合です。細部はハサミで整えてやる必要があるようですが、素人細工にしては、まずまずの成果です。
「マツカレハ」の幼虫を5匹ほど退治したのですが、余り気持の良い画像ではないのでUPしないでおきます。缶ビールを片手に枝ぶりを見ていますと、「上から2番目の枝を、もう少し下に誘引してやると、ボリュームがでるなぁ…。」などと、気分は植木屋「バカぼんのパパ」になっておりました。
「これで、良いのだ。」
           
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未知との遭遇

2009-07-26 17:17:47 | 暮らし

国際宇宙ステーション(International Space Station)に日本の実験棟「きぼう」が着々と建設される中、人知れず『夢屋王国』内にエイリアン(Alien)の侵略的前線基地が建設されていました。
           
昔の宇宙ステーションのイメージは、無重力空間でも歩行を可能にするため、ステーション自体を回転させ遠心力を働かせるという形態が一般的でしたが、実験棟「きぼう」は、むしろ無重力状態での実験が重視されていますのでISSの形態はまったく異なっており、今の子どもたちに画像を「宇宙ステーションみたいだろう…」などと聞いたとしてもイメージ出来ないかもしれません。
ならば、これはどうだ…。
           
侵略基地から出てきて、船外活動をする「エイリアン」のクルーです。正直、これにはびっくりしました。ボランティア作業後、カヤの葉に止まった「ゴマダラカミキリ」の表情を撮影しようとカメラを取りに戻ったものの、カミキリムシは何処かへ飛び去り、現れたのがこのクルー。大きな目をした、ヘルメットを被ったような蜂…いや「エイリアン」を見たのは初めてです。
           
んにゃ~。こいつも知らん…船外活動をするクルーNo.2です。翅や触覚の感じからアブの仲間ではないかと思うのですが、触覚の先が二股に分かれており、また不思議な探索活動を行ってから、飛び去っていきました。
           
振動を利用して情報収集しているクルーNo.3は、通信兵のようであります。移動性は低いものの「夢屋王国」内に無数に散らばり、長雨にも負けず、情報収集に努めているようであります。
このように「夢屋王国」がエイリアンの侵略を受けようとする中、王国内の防衛を一手に引き受けている『アメリカガメラ国防相』は、相変わらず、国王の与える「魚肉ソーセージ」に満足し、肥大(成長)を続けております。
『グラジオラス』の花言葉は「用意周到」だとか…そろそろ防衛大綱を定めてもらいたい頃です。

 

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おじさん’s 21

2009-07-25 19:19:19 | 暮らし

ぐずついた天気ではありますが、夜中の雨がウソのように晴れ上がった土曜日の朝です。ぬかるんだ畑の草むしりは、今日も遠慮(サボリ)しておきましょう。
我が家の草むしりも心配ではあるのですが、今朝は6時から河川堤防の草刈りボランティアです。団体名は「糠野目桜会」…どうも893さん方面の団体と間違えられそうですが、気の良いオヤジたちの集団です。思想信条・政治的な思惑一切ありませんので、御断りもなく『おじSun's 21』メンバーをご紹介いたします。(命名は、おじサンズ トゥウェンティワンのほうが格好がいいと思います…)

           
ちなみに「あの世に近い方々が前に並べ…」というリーダーの命令に素直に従う気さくなオジサンたちです。立派な看板も今年出来上がりました。さすがに板面は、専門の看板屋さんに依頼したそうですが、会員である大工さんが屋根付きの木枠を製作してくれて、建設屋さんが単鋼管と自在ラチェットで設置完了。行政が絡むと「やれ、基礎コンを入れろ…景観に配慮しろ…流下障害物は設置してはいけない…。」と文句が無数に出てきそうですが、オジサンたちは、めげない・負けない・ブレない。なんたって、お金や思惑で活動してませんから…。思惑…?唯一あるとすれば、来年もこの桜の木の下で、花見(酒盛り)をしたいというくらいでしょうか。こんな団体だから長続きするのかもしれません。
「おい、夢屋。朝6時に良く起きられたな…。」(チョイ悪オヤジ)
「おら、毎朝5時起きだよ…これでも田圃仕事してんだから…。」(夢屋)
「…。」(チョイ悪オヤジ)
「だから、昼間職場で居眠りしてんのさ…。」(夢屋)
「やっぱりなぁ、おれが言う前に言ったな…。」(チョイ悪オヤジ)
こんなやり取りは日常茶飯事。年齢差や社会的地位なんて、この場では何も関係ないですから。そして、本日の報酬は、缶コーヒーひと缶と草刈り機械の替刃一枚。
           
ここは正式名称『一般県道米沢県南公園自転車道線』という立派な自転車専用の総延長23.9kmに及ぶ県道です。高畠町の旧高畠電鉄線跡地を利用した『まほろばの緑道』を中核にサイクリングロードとして整備したものです。私たちがボランティアで管理している区間は約2km。その他、河川堤防沿いにも桜並木を植栽しております。「金もねぇ、知恵もねぇ。けれども体力だけは、まだ残ってるオジサンたちの作業です。」さぁ、衆議院議員選挙もあと35日後ということですが、国政に参加意欲のある候補予定者のみなさん、「よろしく、よろしく」とばかり連呼していないで、たまにオヤジたちと汗流してみませんか?そこから見えてくるものもあると思いますよ…。
本日の標題『ムクゲ』の花言葉は、「尊敬」そして「信念」であります。
「信念無くして立たず」その位の気概がない人は、「先生」と尊敬される対象とは成り得ませんよ…^^;

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雨に唄えば…

2009-07-25 05:57:09 | 暮らし
「I'm singin' in the rain  Just singin' in the rain ~ 」
今夜は横文字でスタートします。人は天の力の前に、己の無力さを感じた時、泣き顔ではなく、むしろ歪んだ笑い顔になってしまうことがあるものです。5年前の冬のことでしょうか?信越地方や東北地方を襲った大雪は、連日雪かきをしても収まることを知らず、お隣のお父さんと毎朝、顔を見合わせては歪んだ笑い顔をお互いつくったものでした。
今年の長梅雨には、もうそろそろ辟易してきていますが、九州北部や中国地方の豪雨被害に見舞われた方々を思えば、文句を言ってもいられません。
           
夢屋王国の「アマガエル執政」も時として真剣な顔つきをします。何を考え、何を狙っているのか分かりませんが、今日は何やら真剣に見えます。
           
雨が続き、湿度が高い状態が続くと『いもち病』が気になりだします。この程度の病斑は、まだまだ、どうといったこともないのですが、出穂期に蔓延してしまう『穂いもち』は、品質の低下や減収という壊滅的な打撃を与えます。「宮沢賢治」が「サムサノ ナツハ オロオロアルキ」と詠った光景は、ヤマセによる冷害(登熟不足)と病害を心配し、地元の水田を歩きまわる様を詠ったものであろうと思いを馳せるのであります。
お気楽な国王も、そろそろ心配になってきました。
           
何故か、突然現れる「夢屋王国の『セロ弾きのゴーシュ』」
音程の合っていない『ゴーシュ』は、色々な生きものに出会いながら、自分の姿に気付き、人々に感動を与えるセロ弾きとなっていくのですが、「宮沢賢治」もまた、岩手県花巻の田圃を巡りながら、人々に感動を与える詩人となったのかもしれません。
「I'm happy again I'm laughin' at clouds ~」なんて唄っていたとすれば、笑っちゃいますけどね!
(時代考証は、まったくいい加減です。)


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王国内の見えない敵

2009-07-24 22:24:40 | 暮らし
山形は梅雨明け宣言も出されていないというのに、あと2週間ほどで「立秋」を迎えます。これから夏本番、小学生だってこれから夏休み(我が在所の夏休みの始まりは、やや遅いのです。)だというのに秋の話題とは…トホホ。
本日、夢屋国王の思考回路は、「雨が続いて草伸びた」→「ハヨ、草刈りせねば」→「あれ、花菊が咲いた」→「お盆が近いよなぁ」→「立秋って何日だっけ」→「出穂(シュッスイ)期が近いよなぁ」→「カメムシ出るかなぁ」→「草刈り急ごう」…と堂々巡りを続けます。
           
お得意の虫の話題に移りますが、画像は『ブチヒゲカメムシ』です。昆虫図鑑では「コメも食害する。」と紹介されておりますが、私が恐れているカメムシは、「アカスジカスミカメ」・「アカヒゲホソミドリカスミカメ」・「ホソハリカメムシ」といったお歴々です。(詳しくは、宮城県病害虫防除所HPをご覧下さい。http://www.smile.pref.miyagi.jp/byogaityu_gazo/frame_suitou.htm
『ブチヒゲカメムシ』などは、まだ可愛いものです。なぜなら、私が恐れるカメムシは、目に見えないほど小さく、そしてまた、日中、草むらに潜み、夜、活動するという意味で、二重にその姿を見せない生活を行っているからに他なりません。
           
夢屋王国の昨年度作付米「はえぬき」1,000粒です。一粒一粒数えました。(やはり、暇人です…^^;)私のさほど大きくもない手で軽く一握り。この量の中に、一粒でもカメムシの吸汁米(斑点米)が混入すると、2等米に格下げされてしまいます。米穀検査基準に定められた着色米混入率を解りやすく説明するとこうなります。
結果的に、目に見えない敵に対して脅え、そして防除薬剤を散布せざるを得なく成ります。さらに、最も怖いのは、生産農家の人々が、これら加害カメムシの姿を、おそらく知らないであろうという現実です。目に見える敵、例えば『コバネイナゴ』であれば、その食害は、大量発生していない限り、夢屋国王の寛大なる御心により許容されますが、目に見えない敵に対しては、発生が確認されてからでは対処が後手に回ってしまいます。他人様の耕作放棄地の草刈りまでしなければならない原因はココにあります。「それならば、作付している稲に薬剤散布をせず、耕作放棄地に薬剤散布をすれば良いではないか。」確かにその手もありますが、そのことは、無実の罪を着せられた『ブチヒゲカメムシ』などの大量無差別殺人につながりませんか…?
           
『やれ打つな 蠅が手を擦る 足を擦る』(一茶)ってね。
家の中では、不衛生で邪魔なハエでも、かぼちゃの葉の上で命乞いをするハエに、薬剤を撒く必要はないと思ってしまうんですよ。
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夢屋の秘薬

2009-07-23 19:49:00 | 暮らし

46年ぶりに日本で皆既日食が観察できるというのに、朝から小雨まじりの天気となり、ほぼ絶望的な思いで11時を迎えました。「奇跡は起こるものではなく、起こすものだ。」などとうそぶいてみても、こと天気に関してはどうにもならないもの。しかしながら、厚い雲に切れ間ができて、奇跡的に部分食を見ることが出来ました。
さて、そんな朝の庭先に『オトギリソウ』が咲きました。オトギリソウは、日中に花開き、夕方には閉じてしまうので、勤め人の私では中々ご紹介できませんでした。『オトギリソウ(弟切草)』には伝承があって、葉や花に散らばる黒点は、鷹匠がその弟を切り捨てた際の血の跡であるとか。無数の黒点がありお世辞にもきれいな花とは言えないのですが、少々、私の思い出話があります。
既に亡くなった私の祖母は、オトギリソウを35度のホワイトリカーに漬け込んで『オトギリ焼酎』と呼んで、傷薬として愛用しておりました。切り傷はもちろん、虫さされ、時としては胃潰瘍にも良いという万能薬であります。胃潰瘍?まぁ、胃壁の炎症(傷)と思えば、『オトギリ焼酎』は特効薬であります。(あくまで、民間療法です。)
庭先や畑に繁茂していたはずのオトギリソウは、祖母が亡くなった時、何故かしら消失しておりました。あれだけ信心・愛用していたオトギリソウをあの世とやらに持たせてやりたい。そんな思いでやっと見つけたオトギリソウ二株を棺に入れてあげた思い出があります。
            
奇跡と思い出の雨の朝、田圃の稲の葉を上手にまとめて「雨宿り」するクモを見つけました。朝靄に包まれた1週間前の田圃には無数のハンモックが浮かび上がりました。晴れた日でもなく、雨の日でも見えないクモの巣が、朝靄で白く浮かび上がったものです。残念ながら、こういう時に限って、カメラの電池切れを起こしたりして撮影できないということがままありまして、後悔することとなるのですが、そんな時は、さっぱりと諦めるしかない…次の奇跡と小さな変化を求めて、明日に賭けよう。
夢屋の秘薬『オトギリソウ』の花言葉は、「迷信・信心」であります。
「イワシの頭も信心から…」明日もまた良い事があるでしょう。

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