その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

努力は報われる?

2022-07-31 08:07:51 | 転職

「ケイトウ」の花言葉に「気取り屋」が…

「ケイトウ(鶏頭)」は、中国を経由して奈良時代には渡来したようでありますなぁ。鶏のトサカにも似た花の形状から「鶏頭」という名がついたと言われておりますが、今では多様な園芸品種が出ておりまして、画像は『おやじぃ』が子どもの頃から見慣れた『古いタイプ』のケイトウの花に思えるのでありますが…果たして、鶏のトサカに見えますかねぇ^^;
さて、「何が問題かわからない。」と発言し、物議を醸しだしている福田自民党総務会長でありますが、その前提条件が「ある団体から強い影響を受けて政治を動かしているのであれば…」ということであって、一部の発言箇所だけを切り取って、「何が問題かわからない。」という部分だけを問題視することに『おやじぃ』は疑問を持っているだけである。霊感商法や献金問題など、信者が『被害』と感じれば問題ではあるけれど、『幸福感』を感じているとすれば『問題』と言えるのか?骨董品の『壺』に数千万円の値が付いたとしても、「へぇ~!」と驚きを持って眺めているけれど、『おやじぃ』は買い求めたいとは思わない。(買うだけのお金も無いけれど^^;)喉から手が出るほど欲しい人には、それだけの『価値』があるのだろうから…。一方、安倍元総理を銃撃した容疑者に関しては、教団の『二世被害者』として、減刑の声も多数上がっているのだとか…これまた、疑問を感じている。マスコミから流される容疑者の境遇については、同情の余地もあるけれど、それはまだ、本人の言葉ではなく「裁判」の過程で事実が明らかにされるべきだと思うのでありますけれどね。このように、一部発言の「切り取り」や「取材」で世論が誘導され、「右向け右!」と言われれば、無条件に右を向いてしまうような世の中の方が余程怖い社会だと思っているんですけれどね…。


努力が報われ「生ビール」に変わったら…

はてさて、誠にちっぽけな志でありますなぁ^^; 今、「努力は必ず報われる。」などと教え諭す先生(大人)は居るのだろうか?「報われない努力はある。しかし、成功者はすべからく努力している。」とか「報われない努力は、努力とは言えない。」と語れるのは、やはりその道の成功者の言葉にしか思えない。一般庶民は、日々の生活のためにアクセクと働き、『ちっぽけな幸せ』を感じて生きている…その道のトップに立とうなどと考えてもいませんもの。(これは『おやじぃ』の場合ですけれどもね^^;)『一億総中流社会』と煽てられていた内は良かったのだけれど、今や貧富の差によって、スタートラインから差が設けられてしまっている。この差を子どもたちに『努力』で埋めろと言われても、相当な体力と能力がなければ埋められないと思うのでありますよ。(努力を重ねて這い上がる子どもたちも確かに存在する。)
だからこそ、スタートラインや走るための条件(教育)くらいは、平等であって欲しいと思うし、それを叶えるのも政治の力だと思うのでありますけれどね。「幸運と不運」は確かにあるし、『不遇な境遇に生まれ育ってしまった』ということもあるだろう。『結果の平等』を求めるつもりは毛頭ありませんけれどね、『差を埋めるための努力』ではなく、『努力の結果が今の自分である。』と胸を張れる社会であって欲しいんだわなぁ…『機会の平等』を求めていくことも『おやじぃ』たちの務めであったんだよなぁ…。

#戦争反対 ケイトウ…「傾倒」…国が傾き、倒れるまで戦うことに何の意味があるのかなぁ…。

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何が問題なのか…?

2022-07-30 08:15:28 | 転職

『朝生』…「アサヒの生」ならねぇ^^;

夜中、つけっ放しのテレビから、甲高い「怒鳴り声」が聞こえて目が覚めた。そうそう月末の金曜日「朝まで生テレビ」ね。今回のテーマは何だっけ?というより、声を荒げた時点でこの方は「議論」に負けているなや…なんて思いながら、また眠りについていた。
その道の「専門家」と言われる方々だから、それなりの自説があるのは理解できるのだけれど、相手に受け入れられないと「怒鳴り声」に変ってしまう。(というか、そのお相手も自説を持っていらっしゃるから、初めから意見を聞こうなどという姿勢もないのだけれど^^;)評論家の立場なら、まぁ仕方が無いとしても、これが「大学教授」という肩書がついているとその学生さんも大変だわねぇ…教授の自説に沿ったレポートを提出しなければいけないだろうから^^;(反論を試みても良いのだけれど、そのためにはそれなりに勉強しなければいけないし、大勢に従っていた方が楽である。まずは及第点を取るためだけの講義ならばね^^;)
さて、自民党の福田総務会長が某宗教団体との関係性について「何が問題かよく分からない。」という主旨の発言をして物議を醸しているようである。(爺さんの代まで遡って叩かれていますから^^;)正直なところ『おやじぃ』にも「何が問題なのかよく分からない。」 霊感商法や法外な献金問題…我が身に降りかかれば、確かに問題ですが、少なくとも信者と言われる方々は『幸福感』に浸っているのではなかろうか。「マインドコントロールされている。」「騙されている。」…したがって、一般国民(大勢)の価値観(幸福感)に従うべきである。とまぁ、マスコミの論調も分からなくはないけれど、『犯罪組織』として認定されている訳でもなく、「思想信条の自由」をこの国は保障しているのだから…。『被害』を受けたなら訴えれば良く。『被害』に合わないように報道するのも自由…なんてね。問題(被害)が起こってからでは遅いかぁ…「報道(言論)の自由」が「思想信条の自由」を糾弾する。その内に自己矛盾に陥ってしまうのではなかろうかなんて心配してあげているんです。(余計なお世話^^; 被害を良しとしている訳ではありませんけれどね。)


「何が問題なのか分からない^^;」

7月初めに受けた「人間ドック」の結果票が返って来ました。血圧は少々高め…その他、数値の変動はあるけれど「何が問題なのか分からない。」しかし、長引く体調不良…やっぱり精神的な部分が大きいのかも知れない^^;
どこか数値に引っ掛かりでもあれば、今度ばかりは受診しようと思っていたのだけれど、少々、拍子抜けでありますなぁ。「究極の問題解決方法は、問題を問題視しないことである。」と語った人がいる…なるほど。昨日、量販店で旧知のT君に会いましてね。彼は2歳年下のはずでありますが、若くして軽い脳梗塞になり、その後を心配していたのでありますが、比較的元気そうでしたよ。(但し、回復して再就職したものの、今度はパワハラで仕事を止めたらしい。)
人にはそれぞれ『問題』があって、その『問題』を解決するためにもがきながら生きているに違いない。ようやく「病気」から回復し、勤め始めたら今度はパワハラですか…「問題を問題視しないこと。」などと言われましても、相当な『鈍感力』がないと生き残っていけませんわなぁ。寄り添ってくれる「人」を信じる場合もあれば、救いを求めて「宗教」にのめり込む方もいらっしゃる。その「宗教」まで否定されたなら、もがき苦しむ人は何を拠り所にしたら良いのでしょうかねぇ…。本当は「生ビール」が飲みたいのに、新ジャンルのビールで我慢している。お金が無いのでささやかな『幸福感』を代替品で我慢していることに慣れてしまっている。「朝まで生テレビ」の議論を聞いていたところで、世の中の風向きが変わり、戦争が終結するとも思えない。「朝まで生テレビ」よりも『アサヒの生』でひと晩飲み明かしたい…もう、そんな体力もないかぁ^^; 「何が問題なのか分からない?」と慣れさせられてきた生活に、何の問題も感じずに生きていることの方がやはり問題なのかも知れないよ(笑)

#戦争反対 討論会の「議論」のように、お互いに『聞く耳』を持たなければ、停戦なんぞ夢のまた夢だわなぁ…。

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語るに落ちる…とは^^;

2022-07-29 07:47:21 | 転職

「寝たふり」をするのが賢いかも^^;

28日、遂に東京都の新型コロナウイルス新規感染者数が4万人を超えました。そんな中、奈良県で3年ぶりで対面による全国知事会が開催されたようであります。「過去最多の新規感染者数…しかし、経済も社会も回さなければならない。」「感染症法上の分類の2類相当からの引き下げを…。」etc.と現状追認のような発言が報道されておりますけれどね^^;
『行動制限』が課せられていないのだから、全国の知事が一堂に会しても、十分な感染対策が取られていれば問題もありますまい。一般には「リモートワーク」を推奨しながら、自らは「対面」での会議を開催する…全国自治体のトップが対面で議論することには、それなりの『意味』があるに違いない。『語るに落ちる』とはまさにこのことである。と『おやじぃ』は、『語るに落ちる』を誤解、誤用しておりました。(この言葉を出すために前フリが長かった^^;)
「語るに落ちる」とは、「問うに落ちず、語るに落ちる。」という諺の前半部分が省略された言葉なんですと…聞かれると用心して白状しないけれど、自ら語り始めると油断して、思わず本当のことを言ってしまうことが本来の意味なのだそうだ。(『おやじぃ』は、『語るに落ちる』を『語る価値がない』という意味に取り違えていたのよねぇ^^; この場合「語るに足らず」が適切だったようだけれど、これまた慣用的ではないらしい。)
しかしなぁ「語るに落ちる」…全国の知事たちが、対面で語り合うことで、「リモート会議」では醸し出されない『場の雰囲気』を感じ取り、記者会見では語らない本音がポロリなどということがあれば、前フリの表現もあながち間違ってはいない^^; 「経済社会を回す。」ということが、本音だとすると、『おざなりの感染対策』と『なおざりの医療対策』かいなどと言葉遊びをしております。まぁまぁ、感染症に対して素人が勝手なコメントをすることは止めておこう。


どうするや「キュウリ苗」…

いや~意欲はあっても、外は猛暑日…とても作業が出来ません。(困った!)昨日のブログで、「某国の総書記が19日間姿を見せていない。」などと書いたら、「核戦争の抑止力を動員する準備が出来ている。」との演説内容が流れてきちゃいましたよ。『おやじぃ』は預言者ではないけれど、世界平和を望むなら余計なことは書かない方が良いようだ^^;
今まさにやらなければいけないことは、早くきゅうり苗を定植することでしょうに…こんなことを書いていると、「今年の抑制キュウリ栽培は諦めました。」という報告日記になりそうで怖いわ…。世の中、コロナ禍、ウクライナへの侵攻、物価高、集中豪雨etc.と暗い話題が多過ぎる。それぞれに、その日の思いを綴ったとしても、好転する兆しが見えず、何かなぁ、心が暗くなる話題ばかりだもの。こういう雰囲気の時って、力強い『リーダー』の発言や行動を求めがちになるのよねぇ…庶民の目線がバラバラな方向を見つめている時は、意外と平穏無事な社会なのかも知れない。それが、少々、間違った方向だとしても『その場の雰囲気で』とか『彼の言い分にも一理ある』なんて同調者が増えてしまうかも?
はてさて、お酒が入って口が軽くなり本音がポロリと出てしまう状態が「語るに落ちる」ならば、先行き不安な世の中で、強く熱弁を振るうリーダーの『語りに落ちる』…なんてぇことがないように、まずは、冷静に現状を見つめないとなぁ。キュウリの定植が最優先課題のはずだから、今朝はこの程度にしておこう(笑)

#戦争反対 ウクライナの情報機関、ロシアの情報機関、イギリスの報道機関とそれぞれの状況分析が微妙に違っている。当然と言えば当然なのだけれど…冷静に、戦争反対の『呪文』だけは唱え続けることにしよう。

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折り返し地点?

2022-07-28 08:25:51 | 転職

「抑制きゅうり」の苗は間に合いましたが…

のっけから「便」の話で恐縮ですが、健康のバロメーターでもありますのでご容赦を^^;
「便」は、約70%が水分で、食べ物の残渣が10%、腸粘膜のカスが10%、腸内細菌の死骸が10%で構成されているんですと。(関東中央病院HPより)1990年にイギリスで「ブリストル便形状スケール」という7種類の分類法が発表されておりまして、「なめらかなバナナ」形状が理想的とされているようであります。
「元気印」だけが取り柄の『おやじぃ』が、下痢症状に悩まされ(たぶん精神的なものに違いない^^;)労働意欲が著しく減退し、仕舞いには、空腹感はあるのだけれど食欲が湧かないという状態にまでなりまして、おかげさまで?初老のポッコリお腹が凹んでしまいましたよ。これではいけないと、お粥に『犬まんま』と、少量だけでもとお口から『餌』を詰め込んで来たのでありますが、下痢症状が改善されたと思ったら、今度は便秘…というか、栄養価の少ない食事で、腸が少量の『餌』から、必死こいて栄養素を「吸収」してくれているのではないかと思っております。人間の身体って不思議ですよね…無駄な養分や毒素は排出し、身体の維持に栄養が不足すると感じれば、何とか吸収しようとガンバル訳ですから…。(というよりも、早くお医者さんに診てもらえということの方が先なんだけれど^^;)
さて、注文を忘れていた「抑制きゅうり」の苗ですが、『オラだの農協』が何とかかき集めて下さいまして、昨日届きました。(ありがたい^^;)露地の「夏秋きゅうり」がまだ最盛期だというのに、晩秋にかけてのきゅうりを植え付けなければいけない時期…ハウス内は連日40℃超えでありますよ。こればかりは、我が農園の最後の『生命線』なので、諦めましたという訳にも行きますまい。何とかハウス1棟分だけは昨日耕運してみましたけれど、今度は吹き出す汗が止まらない。「熱中症」に注意しながら、身体にムチ打つしかないかと思っているところであります。(少しは意欲も改善してきたようでありますよ^^;)


「田んぼ」に行くのが少々怖い^^;

身体が不調(精神的なものも含めて)なのに、無理を重ねても仕方がない。身体がその『生命維持』に最低限必要なエネルギーを得ようと働いているように、農園維持に必要な最低限の働き方に変えてみる…生活費を捻出するには厳しい状態ではありますが、あれこれと口うるさく長男『ポン太郎君』に指示するよりも、『おやじぃ』が年々老化し、『弱さ』を見せることも彼の自立、自活のためには良い機会なのかも知れないと前向きに考えるようにしております。(いずれ、本当に動けなくなるのだから^^;)
はてさて、『動きがない』…新型コロナ新規感染者数の増加傾向は衰えるところを知らないし、某宗教団体と政治家との関りなど、視聴者の覗き見嗜好をくすぐる話題はあふれているじゃないか。(そうじゃなくて…)問題児、お隣の最高指導者の公開映像が19日間メディアに登場していないということなんですけれどね。このまま大人しく、『動きがない』ということが喜ばしいと思える指導者もどうかと思うのだけれど、むしろ不気味だわ。またぞろ、ドカンと余計な『動き』があるんじゃないかなんてね。(絶対、そういう『動き』に期待していませんから)
動けない『おやじぃ』が、『動きがない』最高指導者の心配をしていても仕方ありませんけれどね…どうかこのままジッとしていて欲しい。ジッとしていたら、途端に食っていけなくなる『おやじぃ』だから、こちらは何とか『動き出す』ことにしよう。きゅうり栽培も折り返し地点…「その件につきましては、折り返しご連絡申し上げます。」とまぁ、また、『丸投げ』を画策している『おやじぃ』ではありますけれどね(笑)

#戦争反対 感染者数のピークが見えれば安心もできる…戦闘行為のピークはどこだ?ここが「折り返し地点」というよりも、一気に停戦へと向かって欲しいものだけれど。

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カルトとオカルト

2022-07-27 08:41:59 | 転職

『四六のガマ』ではありません^^;

カエルの足(指)は何本?目に見える部分では、前足の指4本、後足の指5本が正解のようであります。(前足の指の場合、痕跡的な骨があって、5本も正解かも^^;)筑波山麓に生息すると言う『四六のガマ』は、後足に「番外指」と呼ばれる「瘤」があって、これが6本目の指に見えるらしい。(但し、筑波山麓のガマガエルに限ったことではないらしいけれど…。)こうして、『目に見える物』と『目に見えない物』があって、普段は特に意識して見ていないから、『四六のガマ』などと、その「希少性」を訴えられると、何故か『ガマの油』まで「希少価値を持つ物(特効薬)」と思い込んでしまうから面白い^^;
安倍元首相が凶弾に倒れて約3週間が経過しようとしている…テレビのワイドショーでは、犯人像に迫り、今まで忘れかけていた某宗教団体に焦点を当て、遂には、関係・応援のあった政治家さんのあぶり出しに躍起になっているようでありますなぁ。(当分、視聴率は稼げそうでありますよ^^;)今回ばかりは、現職閣僚、政治家さんも関係性(お手伝い)を素直に認めているようであります。(ウソをついて、後からバレた方がダメージが大きいもの^^;)反社会性のある宗教団体と関係性を持つことで、政治家としての姿勢・資質まで正すという『正義の御旗』を振りかざすマスコミでありますが…ちょっと待って!
米国の心理学者チャルディーニ博士という方が、「人をだます」6つの原則をまとめられているようでありますよ。その中のひとつに「返報性」というのがありましてね、ハードルの低いお手伝い(この場合、選挙応援かい?)に、今度は何かをお返ししなければ…という心理を巧みについた接近方法であると言えなくもないのでありますよ。顧客(信者・政治家)を上手くだますための手法のひとつかも知れない。


何かを見つめているのは確かである^^;

そして「権威」…人は権威に弱い存在である。30年前は、有名歌手、女優さんが結構入信されていましたよね。いわゆる「広告塔」でありますなぁ。ハードルの低いお手伝いに対する「返報性」の心理を巧みに利用し、次に、政治家としての名前(権威)を利用させていただく。一見、『持ちつ持たれつの関係性』にも思えるのだけれど、顧客(信者)を安心させ、新たな顧客(新規入信者)を増やすための巧みな『営業手段』と言えなくもない。(反社会団体の活動を熟知していて、乗っかっているという場合は別問題ですけれどね。)
『おやじぃ』の場合も学生さんの頃に勧誘された経験があるなぁ…集会への案内だったか、さほと高額でもない商品の案内だったか?身元確認と称してネームプレートを見たら、確か「統一教会」といったような団体名が書いてあった記憶もあるけれど「何だ勝共連合かい?」と言ったら「お前は、共産党員か!」と逆切れされて、商談は不成立…セールスマンとしては、まだまだ修行が足りない方だったようであります(笑)
はてさて、「カルト」とは、非科学的な主張をする集団や組織を指して使われることが多いのだけれど、宗教団体の初期形態と言えなくもない。それぞれの宗教が、他団体を「異端」とみなせば、すべての始まりは『カルト集団』だった訳なのだけれど、市民権を得て今があるんでしょうなぁ…ちょっと似た言葉に「オカルト」ってぇのがあるけれど、こちらの場合は、超自然現象や目に見えないことを指す言葉のようである。高額商品の売りつけは、ある程度予防線は張れると思い込んではいるのだが、『四六のガマ』商法に見られる「希少性」の法則…政治家叩きもよろしいのだけれど、『弱い人間』への近付き方(セールスの仕方)についてもメスをいれるべきじゃないのかなぁ…「選挙」の時だけは、政治家も『弱い人間』かもね(笑)

#戦争反対 信仰の自由は保障されなければ…けれど、宗教の違いも戦争の引き金にはなるんだよなぁ。

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究極のすねかじり?

2022-07-26 08:00:14 | 転職

「カバキコマチグモ」の巣の中では…

「脛齧り(すねかじり)」とは、親などから学資、生活費をもらって生活すること。「もう齧らせる脛もない。」というのは親の嘆き…『おやじぃ』もその一人かも知れない^^;
昆虫の世界での「子育て」と言えば、卵は産みっぱなしで「放任主義」のような気もするが、コモリグモ(昆虫ではないけれど^^;)の場合は雌が卵塊を運び(守り)、ハサミムシの雌も卵を守るという習性があるらしい。社会性昆虫といわれるハチやアリの場合は、家族集団で子育てをする習性があるわなぁ…。二十年近くも子育てをして、社会に送り出すのは人間くらいなものかなぁ?(二十年で済めば良いけれど^^;)
ベトナムに「チン・コン・ソン(2001年没)」という作曲家がいて、1960年代後半に「坊や大きくならないで(邦題)」という曲を子どもの頃に聞いた。歌っていたのは「カルメン・マキさん」だったかなぁ。子どもの成長に目を細めるのが親だと思うのに、「お前が大きくなると いくさに行くの…いつかは きっと 血に染まるだろう♪」という和訳の歌詞が衝撃的だった記憶がありますよ。当時は、ベトナム戦争真っ只中…50年以上経っても、母親の願いは届かず、戦争・紛争というものが無くならないことが悲しい。
さて、ヨシの葉を綴った「カバキコマチグモ」の巣の中では、母グモが卵を守り、子が生まれると(孵化すると)自らの体液を子に吸わせ、最期の時を迎える。前述のハサミムシの母親もまた、自らの肉体を子に食べさせ『子育て』とする習性があるようである…これって『究極のすねかじり』?厳しい自然界(ある意味では戦地)に送り出しはするけれど、「種の保存」のための習性であって、子どもたちの「命」を戦地に送り出している訳ではないと思うのでありますよ。


安全に暮らしていれば『カエル』なくても^^;

さて、今朝も新型コロナウイルス感染症の話題。(だって、拡大する一方だもの。)そろそろ、感染症分類、取り扱いを2類から、5類(インフルエンザ並み)へという意見が流れ始めている。『おやじぃ』の気分も、世間の風潮に流されて次第にそんな色に染められていく…。ただね、別の角度から考えて見ると、今は、ワクチンも治療費も入院費も国が出してくれている。(当然、税金で賄われているのだけれど。)もしも、5類に『格下げ』されたなら、医療機関の負荷は減るかも知れないけれど、現行の制度化では途端に医療費3割自己負担、7割の公費(国保・社保)負担という問題が出てくるんだよなぁ…。季節性インフルエンザ流行の多少でさえ、国保会計は右往左往しなければいけない状態だから、コロナ感染症の医療費負担を求められたら、会計は破綻してしまうに違いないのでありますよ。国保税は目的税だから、所要額は市町村(県が取りまとめ)で調達しなければいけない。国全体(国民全体)で負担を薄めるか、個人・市町村単位で負担を求めるか…当分の間、親(国)のすねをかじらせてくださいということになると思うけれど。(柔軟な発想をすれば、新型コロナ感染症に関する医療費は国が補填しましょうという制度改正もアリかとは思いますけれど。)
はてさて、介護保険の負担も上昇し、国保税も天井知らずで上昇したならば、これまた庶民にとっては暮らしづらい世の中になってしまう。(現行制度では、国保税に上限が設けられているから、お金持ちには、意外とお安い目的税となっているんですけれどね。)親(国)のすねをかじっても、そのツケは回りまわって、子ども(国民)に来るのは分かっているのだけれど、出来るなら『すねはかじりたい』…『坊や、病気(コロナ)にならないで』と唄ってみても、いつどこで罹患してもおかしくない状況ですからねぇ…。

#戦争反対 父親だって、子どもを戦地に送りたいなどとは思っていない。

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水に流して…

2022-07-25 09:35:37 | 転職

「刺し身コンニャク」と「豆腐」ですが…

過去にあったことを、すべてなかったことにすることを、「水に流す」と申しますが、「禊(みそぎ)」…「水濯ぎ(みずすすぎ)」が語源となっているらしい。最近では「禊」などと言うと、政界の用語になったような帰来もありますけれどね^^;
恒例の晩酌会で出た「コンニャク」と「豆腐」…「コンニャク」はその約96%が水分であり、残りは「グルコマンナン」なんですと、こちらは水にも溶けず、消化もされずに体外に押し出されてしまう。一方の「豆腐」は、80~90%が水分で低カロリー…それぞれ、「水」を食べているような食品なんですなぁ。体調不良で、ほぼ絶食状態のような日々が続きましたけれど、ようやくご飯が食べられるようになりました。そろそろ、栄養価の高い物を…アハハ、「水に流す」というよりは、『水を流す』ような食生活でありますよ。はてさて、体力を回復して、後半戦に挑まなければと思った次第でありますが…。
まずは、今の生活態度(気持ち)を切り替えて、少しはお仕事に取り組まなければ…と「抑制キュウリ」の植え床準備をしてみましたけれど、ハウスの中は40℃超え。今度は「熱中症」で動けなくなりそうだから、短時間で作業を切り上げる。徐々に、徐々にと思いつつも、苗は水曜日には届くはず。何とか間に合わせようとは思うのだけれど、サボったツケは、倍以上の労苦として圧し掛かるようであります。早々に諦めてしまうのも、ひとつの手ではあるのだけれど、必ず後悔するだろうから、まずは出来るところまでやってみる。「植えなければ(蒔かなければ)採れない。」と自分自身にムチ打っているところでありますが、これまた『気合』の世界でありますことよ(笑)


「為せば成る、為さねば成らぬ…」

『気合』(実に昭和臭のする言葉^^;)という言葉を笑いながら、結局のところ、奮起する気持ちが出ることを待っているのだから、さらに笑いが噴き出してしまいます。(それでも気持ちの持ちようという考え方は持っている^^;)
まだまだ増え続けるであろう新型コロナ新規感染者数を追いながら、それでも「行動制限」には否定的な政府の対応に注目しております。(今回ばかりは強い意志を感じるぞ^^;)元々、飲食店がやり玉に上げられたのは、感染経路を追い掛けて、マスクを外して感染者と接触した機会を思いつく限り拾い上げた結果なのではなかろうかなどと素人ながら考える。(因果関係を否定している訳ではありません。)…最近では、当初、感染事例の少なかった子どもたち若年層の感染事例が増加し、結果的に「家庭内感染」というキーワードが急上昇してしまい、「行動制限(飲食)」をしても意味がないという方向性が出て来てしまったんじゃないかと。素人判断は危険である…だからこそ、「社会経済活動の回復」という曖昧な表現ではなく、具体的な考え方を庶民に示すべきときではないかと思うのですけれどね。
『当初より重症化率が低下し、インフルエンザ並みの疾患となっている。』とは、今は口が裂けても言えないかぁ…責任取れないもの。けれども、政治家の皆さんは『禊ぎ(選挙)』という、『水に流す術』を持っていらっしゃるじゃないですか…『あの時の選択は、あの状況下では仕方がなかった。』と過去を振り返ることも出来る。『気合』と『根性』で、コロナに立ち向かい、従順な庶民は、政府方針に自主的に協力してくれるなどと言われても困るもの^^; もう既に、自主的な『行動制限』はし始めていると思いますけれどね。

#戦争反対 『水に流して』仲直り…大人の世界では難しいよなぁ。

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ふたりで半分こ

2022-07-24 09:06:29 | 転職

「おお、本物の鰻!」友人の差し入れですが…

確か『半分こ』の歌があったような気がする。しかし、記憶が曖昧であります。調べてみると1981年頃にNHKで放映された「名犬ジョリィ」というアニメのエンディングに流れていたとのことであります。その頃、『おやじぃ』は、まだ学生さんであったから、幼児番組を観ているはずもなく、その後、結婚し、子どもが産まれてから耳にしたに違いない。
「ビスケットいちまい あったら あったら ジョリィとボクとで 半分こ♪」という歌詞で始まる^^; アニメでは、原作に出て来ないブッチーという小型犬が追加されているようですなぁ…。実は、これが中々ややこしい。ふたり兄弟ならば、仲良くビスケットを半分こ、あめ玉も半分こ…しかし、あめ玉が3個だったら?兄が2個取り(年長者の特権^^;)弟が1個の場合もあれば、大人?の兄が弟に1個譲る場合もあるかも知れない。豪快な解決策としては、兄が先にあめ玉を半分舐めて、頃合いを見て、弟に残り半分を舐めさせるという方法も…(今の親御さんは、決してこうした解決策を推奨しないとは思うけれど^^;)『おやじぃ』の子どもたちは、3姉弟だから、一枚のビスケットを3人で分けることの方が難しい。分けることが難しい場合は、関係のない『おやじぃ』が仲裁に乗り出して、ビスケット一枚を半分にして、さらに半分にして4人で食べる…そうそう、仲良く分け合わないと結局、自分の取り分が何故か減ってしまうという大事な教訓でありますよ。(なんてね^^;)
さて、世の中は「土用の丑の日」…友人『イチオ君』が「うな重」を差し入れてくれた。みんなで仲良く半分こ(いやいや、みんなで3分の1に…)0.333…通常は割り切れないはずの「3分の1」なのだけれど、ご飯も入れて概ね3分の1として分けられる。お値段も1.980円と3の倍数であるから、ひとり当たり660円と分けられる。(高いよねぇ^^;)がしか~し、『おやじぃ』の取り分は『尾っぽ』の方かい?と、今度は気持ちが割り切れない…そんな卑しいことを言っていると、その内、『お声掛け』も『お友だち』も無くしてしまいますから~という『半分こ』のお話でありますよ(笑)


「ほうずき」には「偽り」という花言葉も…

「偽り」…「ほうずき」の実は大きく見えても、中身は空洞で思いの外小さいというところから、そんな花言葉もあるらしい。それなりの成果・報酬(ビスケットや鰻)があるのに、さらに欲をかくから取り分が少なくなってしまう…世の中、結構そういうこともあるようだ^^;
一時期ハマった「パチンコ」なんて最たるもので止め時が重要…「もう少し出るはず。」などと言う根拠のない欲をかくと元も子も無くすなどというが日常茶飯事ですわなぁ。「みんな仲良く半分こ」ならば、勝つ者半分、負ける者半分半分であるけれど、基本、胴元と打ち手で仲良く半分こ(実際には、胴元の取り分の方がはるかに大きい^^;)を取り合っている訳だから、勝ち抜けするのは至難の技でありますよ。勝ったときだけの高揚感だけが残像となり自慢し、負けたことは口外しない^^;(『おやじぃ』の場合は、予習復習をして臨んだから、結構勝率は高かった気がするのだけれど、それでも通算ではどうなのか…これまた高揚感だけが残っているのかな^^;)
はてさて、パチンコにつぎ込むほどのお小遣いもなく、お小遣いを増やす手立ても無くなっておりますけれどね。物価さえ安定してくれてさえいれば、低賃金でも何とかやり繰り出来たのだろうけれど、この先どうなることやら?『儲けはみんなで半分こ』ならば、そりゃ~笑顔にもなれるけれど、中小・零細企業では『儲け』なんざどこかに消えてしまっている。「ふたりで半分こ」の歌の続きに「ためいきつきたく なったら なったら なやみもふたりで はんぶんこ♪」と後半に続くのでありますが、国と庶民が「なかよく 半分こ」に出来るのは借金だけかも…いや~それさえも『半分こ』になったりしないだろうなぁ。胴元はしっかり権益を確保し、「ツケ」は一方的に押し付けられるものでありますから(笑)

#戦争反対 国土を『仲良く半分こ』という訳にもいきますまい。「痛み分け」なら『半分こ』かなぁ…代償が大き過ぎますよ。

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『正解』のない社会…

2022-07-23 08:44:03 | 転職

1年前の画像ですが…同じことの繰り返し^^;

海の日を含む3連休…そして、子どもたちは夏休みに突入^^; 久し振りに『行動制限』のない夏休み、親御さんたちも今年こそは、思い切り遊ばせたい(勉強させたい?)と思っていた矢先の新型コロナウイルス新規感染者数の急増であります。
この3年間で変化したこと…ワクチンが開発され、高齢者や既往症を持つ方の重症化率が少しは改善されたこと。当初は、若年層の新規感染事例が稀であったのに、子どもたちも感染者数が増えていること。現時点では、新たな『行動制限』は行わないとの方針が岸田首相から示されたことかなぁ?(マスクや換気の有効性など、その他諸々^^;)
田舎では人口も少ないから(少々、自虐的^^;)新規感染者数も都会のそれと比べれば微々たるものでありますが、それでも増えている。飲食や行楽といった『行動制限』が要請されないのはありがたいのだけれど、身近な「医療」がひっ迫している…地方では数少ない救急医療の担い手である市立病院の救急外来や一般診療が、一部制限され始める。今のところ医療機関のお世話にはなっていない『おやじぃ』ではありますが、ホントにこれで大丈夫なの?などと素人ながら心配しておりますよ。『行動制限』は鬱陶しいが、身近な「医療」がひっ迫するのは困る…これって、人の二面性?『行動制限』という要請(ルール)が設けられると懐疑的になるくせに、『行動制限』がないと途端にどうすべきか悩んでしまう。これって、無意味にも思える『校則』に従って生きて来たツケが回って来たのかしらなどとも思ってしまう。「だって、行動制限(校則)が無いんだろう!」と言われた途端に返す言葉を失ってしまう…知らず知らずの内に『同調圧力』の一翼を自分自身も担っていることに気付くのでありますよ^^;


口々に文句を言うのは簡単だけれど…

さて、こうしてみると『おやじぃ』自身が『まわりの眼』を気にしながら生きているということに気付かされてしまうのでありますなぁ^^; 「マスク着用」は、今やルール・マナー化されて、もはや「ノーマスク」でお店に入ることなど無いし(一部、マスク不要論者もいらっしゃいますが^^;)、「三密の回避」…元々、友だちも少ないし、お金が無いから「飲み屋」に行くことも無いし、「換気」…基本、外仕事ですから^^;
ひとつ一つに文句を垂れながら、『暗黙の了解事項』となった感のあるルールには従って生きている。スポーツ界や芸能界での感染拡大もニュースにはなるけれど、かと言って、全体が中止という措置は取られていないから、留まるところを知らないような雲行きではありますが、もしかすると、口にしないだけで、諸外国のように規制しない『グローバルスタンダード』というやつに大きく舵を切っているのかも知れませんなぁ…こういう場合、新たな『行動制限(校則)』は設けませんと談話するのではなく、「社会経済活動を維持するために、今までのやり方とは変えてみました。」と言っていただかないと『行動制限(校則)』に従うことが善と思い込んで来た『おやじぃ』は混乱してしまうのでありますよ。
はてさて、困った困った…最近の「教育」は、正解のない課題に対して、自ら解決策を模索することなんですと。戦後の『昭和教育』に、どっぷりと浸かってしまった『おやじぃ』からしてみると、『正解』が無いと困るんです^^; 未だ未解明な部分の多い新型の感染症対策に『正解』を求めることが無理難題というものか…これからも、そんな『正解』のない社会が続くのでありましょうかねぇ?

#戦争反対 戦争終結のための『正解』は無いかも知れないけれど、「戦争反対」と訴えることは「正解」だと思いたい。

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ケチの度合い^^;

2022-07-22 08:06:19 | 転職

「うなぎの蒲焼き」は画像で…(笑)

明日は、「土用の丑の日」…うなぎにとっては受難の日であります^^;
WWFジャパン(環境保全団体)のHP情報では、日本のうなぎ消費量は年間5万トン(2016年統計)で、蒲焼きに限っていうと約40%が「土用の丑の日」に消費されているらしい。一体、日本中で何匹のうなぎが焼かれていることやら?
ちなみに、うなぎの消費量と農業就業人口には「負の相関」があるとのことで、うなぎは「都市型の食べ物」と解説される方もいらっしゃる。最近では、スーパーの店頭やコンビニで予約販売などということもありますけれど、こちら山形では『上等な』お客様だから「うなぎ」でも…などと言うことは無かった。(大体、うなぎ屋さんがありませんから^^;)「お客様だから、中華(ラーメン)でも取るか?」というのが「おもてなし」のせいぜいだったような気がする。(最近では、出前をしてくれるラーメン屋さんも近所に無くなってしまったのでありますよ。)
さて、上方落語に「始末の極意」という演目がある。(この場合の「始末」とは「節約」の意ですと。)うなぎ屋の前で匂いを吸い込んでご飯を食べる。匂いの代金を請求に来たうなぎ屋に、お金の音でお代を払うというアレですなぁ…そんな類のケチ(節約)話が沢山出て来る。亡き我が親父が、お金を貯める秘訣として「握った物は絶対離すな…。」という教訓を語ったことがありましたが、そのお話もこの落語が原典だったかなどと今頃になって気付く。我が大先輩(お金持ちだと思っている^^;)の場合は『さんかく』を極意と話されていた…「義理欠く、人情欠く、恥をかく」の『さんかく』なんですと。勤め人時代のつながりで、頂いた義理は返さなけれないけない。困った人は助けなければいけない。(お金の支援はできないけれど^^;)売り上げをあげるために、恥と汗をかきましょう…そろそろ飽きてきたけれど。とまぁ、お金持ちへの道は程遠いようでありますよ(笑)


サルはサル、鰻は鰻の運命かい?

まぁまぁ、「日々何とか食べていけて、これからの人生を楽しまなければ。」と始めた『お百姓さん』稼業だから、『大儲け』なんぞ望んでもいないのだけれど、「始末の極意」に出て来る人々は、実にケチである^^;
酒、煙草は言うに及ばず、奉公人の数、我が女房までも無駄に思い出し、最後は自分自身も無駄であると思って消えてしまう…一体、何を残すと言うのでしょうかねぇ? 「老後の資金2,000万円不足」なんて書かれると、せっせと貯蓄しなければとか、資金運用して利殖に励まなければと素直に考えてしまう。『儲け』とは「信者」と書く…人を信じるのか、お金の力を信じるのか、宗教を信じるのかは別にして、「損せぬ人に儲けなし」という諺もあるくらいだから、ここいらで一念発起、一発勝負に出てみますか…止めとけ、止めとけ、大ケガするのがオチでありましょう^^;
今ある物(資金)を極力減らさないで生き延びるか、今ある物(資産)を増やしていくか、人それぞれの考え方はあるのでしょうけれど、「土地神話」は崩壊し(田舎では、農地は資産価値を持たない^^;)、「年金財政」も先細り…国(政府)を信じた結果が今なのか、一億総中流社会などと浮かれていた自分が悪かったのか? デフレ社会(低金利社会)にどっぷりと浸かり過ぎて、インフレ社会では、お金さえも価値を失ってしまうことをとんと忘れておりましたからねぇ…。
店頭の蒲焼きのポスターで、ご飯を食べてみますかなどと、冗談を言っていられるのも今の内…『おやじぃ』自身が信じられない今、若者たちは何を信じて生きれば良いものやら?

#戦争反対 銃を撃ったら銃身がすり減る。ミサイルを発射したら大金が吹き飛ぶ…世の中、ケチばかりだったら戦争も起こらないかも?

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