その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

無理が通れば…

2009-09-29 08:42:42 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」23日目は…『む』
「江戸カルタ」では、『無理が通れば道理が引っ込む』であります。
さて、『道理』とは物事の正しい道筋であり、人として行うべき正しい道ということになりますが、この世の中、何が正しくて何が過ちなのか、ほとほと困惑してしまうことが多いものです。
『一寸の虫にも五分の魂』などと言いまして、「3.03cmの虫にも1.65cmの志がある」…そういう単位の問題ではないことは確かであります。正誤の曖昧さというべき問題なのですが、白黒を付けない灰色が大好きな日本人にとって、旗色を鮮明にするということは、中々難しい問題であります。
           
一昨日、稲刈りを終えた我が家の田圃は、稲刈り後の稲わらで一杯になり、天気予報を見ながら、昨日、乾燥し燃える分だけ大急ぎで燃やしました。いわゆる「野焼き」であります。本来の『野焼き』は、牧草地や畑の雑草を焼く春作業であり、季語としては春を指す言葉でありますが、いつの頃からか、稲作の秋の作業となってしまいました。耕地に稲わらを入れることは、土壌改良につながるような気がしますが、ケイ酸質の強い稲わらは、東北の雪の下では十分に分解せず、そのまま耕作を続けると夏場に「湧く(メタンガス発酵)」ことになります。冠水作業をすることによって、発酵を抑えることが出来るということも聞いたことがありますが、私はその方法を知りません。各農家でヤギや羊、牛を飼育していた頃は、敷きワラとして利用もしておりましたが、半農半サラリーマン化した現在において、有畜農業を実践することなど無理があります。ましてや田舎でも住宅地化した居住地で家畜を飼うなどということは、迷惑千万な行為と言われることでしょう。
循環型の農業が本来の姿であろうなどと主張したとしても…むしろ、どこかに無理が生じる。曰く『道理を追求し、無理が生じる』が今風の農村風景となっているのかもしれません。
           
月曜日の夜から難しい話をすると、一週間、身が持ちませんので、得意の笑い話を一席。今時、ボンネットを開けてエンジンを冷やす光景など目にしませんが、今朝方自慢の「ボロクソワーゲン」(同郷、山形の「さくらの季節」さん命名)に、液漏れを発見したのですが、整備士がエアコンの水漏れだろうと主張しますので、我が家の古老を見舞いに病院まで出かけますとオーバーヒート状態(エンジンは焼き付きませんでしたが…)。エンジンクーラント(ラジエター液)が完璧に抜けておりました。
           
病院駐車場で煙草をくわえながら、妻の迎えを待つ夢屋…。背中にオヤジの哀愁が漂っております。
「ホーホッホ。エンジン焼き付かなくてラッキー
世の中、常に前向き、肯定的に…。記念撮影しながら笑える自分が好きさ~って、「無理を通して、道路渋滞」しなくて良かった…ホッ。

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ああ人生に涙あり…

2009-09-28 21:35:15 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」22日目…『ら』
「江戸カルタ」では、『楽あれば、苦あり』…楽しいことの後には苦しいことがある。苦楽相伴うことの例えであります。
苦楽という言葉を聞きますと、何故かあの歌「人生楽ありゃ~苦もあるさ~♪」ご存じ『水戸黄門』のテーマソングが頭に浮かびます。しかし、歳を重ね人生に小狡さを覚えた「夢屋」は、歌詞を変えて歌います。「人生、生き方次第で楽出来る~♪ジャジャジャジャンジャン。」
日本人という者は努力を尊び、楽をするということが罪悪のように感じる国民性があるようです。しかし、どうしたら楽が出来るだろうか…という考え方が、炊飯器を生み、洗濯機を生みました。未だに、ご飯を薪で炊いて、手で洗濯しなければならないとすれば、日々、生活の余裕と言う時間が、その作業に費やされてしまいます。
           
本日、6ヶ月の悪戦苦闘の末「夢屋米」を脱穀調整しました。単純反収は769kg…12.8俵です。これは、我が家の古老が長年に亘って土づくりをしてきた貯金の成果であり、小規模面積で適正な水と肥培管理が出来ることから達成出来た収穫量であります。残念ながら、乳白米が入っていて等級にどう影響するか…明日の米穀検査の結果がやや心配です。
近くのスーパーにて、当地、置賜産「はえぬき」が10kgで3,980円…60kg換算で23,880円。昨年の山形産「はえぬき」一等米の出荷価格は12,300円でした。わざわざ、灯油を焚いて機械乾燥させ、適正水分値15%以下に抑えろとの集荷業者さんからのお達しです。天日乾燥の方が旨いに決まっている…けれども、杭がけ天日乾燥させる手間に価格が追い着かないのであります。
           
土の中から「ケラ男」が顔を出し、こうした世情をケラケラと笑います。
人生、楽ばかりなら、それに越したことはない。「ケラ男」は、土の中で草の根やミミズを食べているものと思われますが、決して自らの人生を惨めだとか不幸であるなどとは感じていないと私は思うのであります。
この半年間の悪戦苦闘は、苦労とは思わなかった…むしろ、日々の変化を肌で感じることが出来て、楽しいとさえ感じました。いづれ訪れるであろう退職後の日々に、こうした作業に取り組めることが喜びとなる日も来るのではなかろうか…しかし、あくまでも赤字の趣味としてではありますが。
あと10年間が、日本農業の正念場ではなかろうかと私は思います。老人たちが支えてきた中規模な農家は、担い手の老化と共に、一軒また一軒と米作から撤退していきます。
「人生、苦も多いが、涙の後には、楽も来る。」若き農業後継者たちにエールを送る夢屋であります。
(あれれ、生き方次第で、楽が出来るはずでは…^^;)

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泣きっ面に蜂

2009-09-27 20:53:30 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」も21日目、『な』…「江戸カルタ」では、お題の『泣きっ面に蜂』であります。
半年掛かりの我が家の水田作業は、目出度く稲刈りを終えました。
春先の除草剤爆撃事件や殺虫剤に対する疑問など、試行錯誤を繰り返しながら、何とか収穫の日を迎えたのであります。
夢屋国王は、上機嫌で、夢屋一座の劇団員に、秋の収穫に感謝する仮装の宴を催させたのでありますが…、
           
昨日のお題「猫に小判」を体現してくれた「桃太郎侍」
「日本一」の一が隠れているところがミソでありますが、小判を3枚小脇に抱え、鬼が島の戦利品を誇示するあたり、夢屋国王もかなりご満悦であります。
「桃太郎とくれば、犬・サル・キジが付き物…誰かある…。」
「キジだ!キジだ!キジになるんだ…。」
アマ劇団員が、自己暗示をかけて変身を遂げました。
           
ん~惜しい。脇の下に白い羽毛を付けるのを忘れてしまいました。
て言うか…私が要求したのは「キジ」 ニワトリに変身してどうすんのよ?
「もそっと、もそっと、お待ちくださいませ。殿!」
「キジだ!キジだ!俺は記事になるんだ~!! 変身とぉ~。」
           
『夢屋王国にカッパ現る…。』
って、確かに「記事」には成りますけどぉ~。
何ボケてますねん…。
「ハイ、国王!巻頭画像は、木瓜(ボケ)の実ですので、ボケをかましてみました。」
上手い。座布団一枚、ジャンジャン。
夢屋国王は、一年間の慰労を兼ねて、久し振りにオッカァを食事に連れ出し、米沢牛の上牛タン・上カルビを鱈腹食べることにしました。
本日のお題「泣きっ面に蜂」には、まったくそぐわない内容となっているようですが、「上方カルタ」で、『な』は「なす時の閻魔顔」でもあります。
はい、調子に乗って食べたお肉のお代は、超お高くつきました…なす(払う)時の泣きっ面。
ならば、皆さまに米沢牛の画像だけでもお届けしたいとカメラを向けるも…バッテリー切れ。
はい、これが本日の「泣きっ面に蜂」お後がよろしいようで。

 

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猫に小判・・・

2009-09-26 20:48:15 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」も20日め…『ね』
「江戸カルタ」では、『念には念を入れよ』となります…。
気づけば、一生懸命に遊んで遊び疲れ、ぐったりと眠ってしまう子どものように、パソコンの前で眠り込んでおりました。
イナゴ♀の胸板にイナゴ♂の前脚の爪がしっかり掛けられ、一方、イナゴ♀の前脚は、人が稲束を抱え込むように、しかし、しっかりと稔った稲穂を抱え込んでおります。「実利と欲望が交錯する瞬間である…」などと、人間社会の似たような光景を思い描いている内に、缶ビールが心地よい眠りに導いてくれておりました。「ハッ!!」
           
最近、カエル社会ではコスプレが流行中で(かなり、嫌がられておりますが…)、我が家の軒下に「ツッパリカエル」を発見いたしました。
カラスの落し物が、いつの間にかリーゼントに…。私が高校生の頃、チョイ悪兄ちゃんが、頭にトサカを立てていたものですが、チョイ悪兄ちゃんもオヤジになって、リーゼントにしたくても頭の毛が…、ハハハ…これも若者の特権でしたか。
「遠山の夢さん」「夢屋光圀」に続く、コスプレゲームに「桃太郎侍」を意識してカツラを製作したのですが、夢屋一座の座員が、中々着けてくれません。座長が背後に近づいただけで逃げ出すカエルは、ほぼ絶望的で、筆先でくすぐっても泰然自若の兵にカツラを装着するのですが…、それでも、座長にオシッコをかけて逃げていってしまいます。(最大50cm程飛ばした兵がおりました)
           
アマガエルたちは、もう直に、冬眠の準備を始めてしまい、夢屋の遊び相手が不足していきます。ネギの葉先に器用に止まる『ノシメトンボ♂』でありますが、人の気配でさっと飛んでいってしまいます。霜が降る頃になれば、動きも鈍くなり、次のターゲットは「とんぼ」だぁ…と思いつつ、「念には念を入れて」彼らの習性を確認しておきます。実は、彼らは、脚で物をつかんでいないと条件反射的に、羽をばたつかせる習性があります。「赤いハイヒール」を履いた少女が踊り続けるように、彼らは飛び続けようとします。
さぁ、これで何か出来ないか…。
ちょっと待った…今日のお題は、「猫に小判」
そうです。「上方カルタ」の『ね』は、「猫に小判」だそうで、コスプレで「ネコカエル」をご披露しようと思ったのですが…明日また鋭意努力いたします…^^;

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爪に火をともす…

2009-09-25 20:11:10 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」19日目は、『つ』…江戸・上方カルタでは、「月夜に釜を抜く(盗むの意)」となるのだそうですが、この文言。私、夢屋本日まで知りませんでした。明るい月夜の晩に、大事な釜を盗まれてしまうような油断をいましめる例えでありますが、私の場合、尾張カルタの「爪に火をともす」ことの方が、生活実態に合っているような気がします。
「油断」とは、比叡山延暦寺の根本中堂にある灯篭の火に由来するものと言われております。開祖「最澄」の時代から灯されているという火は、油を断てば消えてしまうことから、くれぐれも油を断ってはならないという教えが「油断」という言葉になったとか…。
           
中空に浮かぶ三日月(実は、6日月デス)は、吉田拓郎さん『旅の宿』の歌詞を思い出させます。「浴衣の君は、ススキのかんざし♪…上弦の月だったねぇ、久し振りだねぇ、月見るなんて…♪」そう、この歌は、この季節でなければならない。そして、この月でなければいけないのだ…と勝手に決めつけて田圃の真中で一枚。良いカメラだねぇ~月のクレーターまで写ってる。
私は、吉田拓郎さん世代ではないのですが、小学生の頃、学習本の付録についてきた手作りラジオを組立て終えた時、初めてイヤホンを通して流れた曲が『旅の宿』でした。その拓郎さんも、現在、闘病中。コンサートツアーも中止となってしまいました。
           
毎晩、訪れる夢屋王国の「アマ執政」をおだてて、王冠を被せてみました。
小学生の学芸会並みの冠が、少々情けないですねぇ~。
これでも結構苦労したんですよ、本当に。直径5㎜程度の筆柄で巻きながら糊づけしたりして…。3mm幅にカッターの刃先で三角形を作っていくのですが、刃先がぴったり乗らないんです…とほほ。こんなはずじゃなかったなどと思っても、自らの肉体的な衰えを感じざるを得ません。
世の若者たちよ!私だって10年前は、補線にロットリングペンが乗らないオジサンを笑っていたのです。それが、我が身に降りかかろうとは…。
「夢々、油断召されるな…。」夏の海で平気で日に焼いていた両肩に、ある日突然シミが残るようになり、色黒に焼けた顔に、ぽちっと小さなシミができたり、歳を重ねるということは、年々小さな衰えが現れるように成ります。
かっかっか、それがどうした。遊び心と嫌がる「アマ執政」を追いかける忍耐力は、まだまだ衰えておりません。
そうです…巻頭の『シュウメイギク(秋明菊)』の花言葉は、「忍耐」そして、「薄れゆく愛」…。ぶるぶる、オッカァ、まだ愛してっから心配すんな…^^;
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惣領の甚六

2009-09-24 20:17:10 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」18日目は、『 そ 』…「江戸カルタ」では『総領の甚六』と相成りますが、期せずして我が家の総領「ポン太郎」君も長い夏休みが終わり、今朝がた神奈川に戻りました。
私の学生時代とは異なり、夏休みは始まりが遅く、その分、終わりも何と9月の下旬…これでは夏休みではなく、秋休みと言ったほうが的を射ているような気がします。相当単位を落としたような気がするのですが、本人は余裕のヨッちゃん…ほとんど意に介しておりません。当面の目標であった運転免許証も取得し、花も実もある学生生活をエンジョイして欲しいのですが…^^;
           
俳優トム・クルーズが、同級生(ガハハ…机を並べた訳ではないので、同学年が正しいのか…^^;)と思っておりましたが、トムは私より2歳年下であることを知りました。「ポン太郎」君とは、全く関係ありませんが、映画『トップガン』の様に人生悩み・苦しみ…そして、新たな旅立ちを迎える。学生時代は、生きるということを学んでくれれば、それだけで充分と思っておりますので…。
「ポン太郎」君にトップであることを望んだことも無く、また、おっとり型の性格であることから望むべくもありませんが、2mを超える樹上に登り詰めたカエルを見ていると、彼は今、何を考えているのかと思ってしまいます。このカエル自体、まだ上を見て、喉を膨らませています。
さらに高い樹を見ているのか、満足しているのか…そこには、登り詰めた者でなければ見えない景色が広がっているのかもしれません。
ならば、夢屋オヤジは、何を考えるのか…。このSWは、お留守番の日々でありましたが、狭い畑の中で結構遊ばせていただきました。
               
収穫したニンジンの形を見て、「Oh!セクシーポーズ」なんて、おバカな遊びをしている位ですから…この親あってこの甚六かぁ…。
いや違う。夢屋オヤジ自体が、「総領の甚六なのだ。」と今更ながら気づいた私です。
巻頭画像は、『アキノノゲシ』の実であります。秋も次第に深まります。
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良薬は口に苦し…

2009-09-23 20:44:40 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」17日目は、『 れ 』でありますが、「江戸カルタ」では、「良薬(この場合、リョウヤクでよろしいのですが、何故か、レイヤクと読み替えまして…)は口に苦し」とか、良い忠言は聞くには辛いが、我が身のためにはなるという例えであります。
良薬と言えば、時代劇では「万金丹」が有名でありまして、急な癪(シャク)を起こしたご婦人に腰の印籠から取り出して服用させれば、立ち所にさしこみが治まるという秘薬でございます。
印籠…?そう、今日も世の悪と戦う「水戸の御老公一行」の痛快時代劇へと話題が飛びます。TBSドラマで一世風靡した『水戸黄門』では、やはり由美かおるさん演じる「流れ星のお銀」の入浴シーンは外せません。そこで、夢屋一座のトップ女優「夢屋かほる子」の入浴シーンから…。
           
最近、かほる子ちゃんも、ギャラが安いの何だのと文句が多く、初の入浴シーンの撮影も「野の花風呂」じゃなきゃいやだとか、お嫁に行けなくなっちゃうなどと言っておりましたが、さすが大女優、脱ぐと決めたら大胆なM字開脚…映倫に引っ掛かりそうなので、一部修正をさせていただきました…^^;
「流れ星のお銀」の妖艶な演技と対比させなければならないのが、純情可憐な娘役…ん~、少々田舎臭さを漂わせながら、将来は、かほる子ちゃんをしのぐ大女優へと変身させたいのでありますが…。
           
アップルチークの娘「お菜々」は、病気の父の看病を続けておりますが、そこは娘の細腕…薬代を稼ぐのもやっとの状態であります。秘かに想いを寄せている隣村のお百姓「夢じぃ」が縁日で買ってくれた花かんざしを付けて、今日も夢じぃの帰りを待っております。
「夢じぃ…今日も、生きて帰って来るのかしら」(お菜々)
「お菜々ちゃん!今日は、ハエしか獲れなかっただよ…。これを、お父つぁんに食べさせて精つけてもらいな…」(夢じぃ)
「夢じぃ…それじゃ~夢じぃのおっかさんの食べ物が…」(お菜々)
「良いってことよ…うちのオッカァは、水飲んでも太るから…」(夢じぃ)
   …。
「Oh!これは、駕籠かき屋の仙太郎親分じゃ御座いませんか」(夢じぃ)
           
「おうよ…お菜々、水臭せいじゃねぇか。俺んとこに来りゃ~親父の借金はチャラにして、そんな汚ねぇハエなんかじゃなく、チョココーンたらふく食わせてやるって言ってるのによぉ~。」(仙太郎親分)
「仙太郎親分のお気持ちは、ありがたいとは思ってますが…。」(お菜々)
「おう、話が決まれば早速だ…お菜々、これからしけ込んで…ムフフと行こうぜ…。」(親分)
「あれぇぇぇぇ~。夢じぃ~助けて~!!!」(お菜々)
 … 「変身 トォ~。」(夢じぃ)
           
「え~ぃ、控え、控え~い。仙太郎、この紋所が目に入らぬか~」(突然、佐々木助三郎)
「こちらにおわすお方をどなたと心得る…。恐れ多くも前の副将軍、夢屋光圀公にあらせられるぞ~。一同の者、頭が高い、控えよ、控えおろぉ~」
「へぇ、へぇ~。んにゃ~?葵の御紋と思いきや、○にカタバミは、夢屋の家紋ではないかぁ~!ふざけやがって!!野郎ども、ボコボコにしてやれ~。」(仙太郎親分)
ドタバタ・ドタバタ…以下、省略。

「籠絡は、口より出でて、身が危うし…。」
あれま…全然、いろはカルタになっておりませんが、口先の権勢は、『もってのほか』と巻頭の「もって菊」に免じてご容赦を…^^;

           
 



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旅は道連れ…

2009-09-22 20:38:20 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」も16日目に入り、本日は『 た 』…まだ、飽きずに続けております。「江戸カルタ」では、「旅は道連れ、世は情け」となりますが、今年は、シルバー・ウィークとして5日間の連休。いつものように釣竿を抱え、自慢のキャンピングカーで秋晴れの下、東北地方の温泉と釣り場を堪能するぞぉ~などと思い描いておりましたけれども、古老も再度の入院と成り、この節、お彼岸…我が家の仏さんにも、手を合わせに来て下さる親戚筋もあり、家を離れる訳にもいかず、日がな一日、自家製のかまどで薪を焚きながら空想の旅を続けております。
夏草も一時の勢いが無くなり、ご自慢の打刃鎌で削ぎ取るだけで、きれいに片付く季節となりましたが、蚊取り線香を焚こうが、虫よけスプレーを多用しようが、ちょっとした肌の露出部を襲ってくるのが…
           
この『ヒトスジシマカ(一筋縞蚊)』であります。
しかしながら、本日は、私の友人の教えの通り、手の甲にムズ痒さを感じた瞬間、筋肉を硬直させ、コヤツの口吻を筋肉で挟みつけ、ついに捕縛に成功いたしました。ところが、カメラをセッティング出来ない…なぜなら、私の右手はグーをしたままですから、カメラの交換レンズを装着できない状態です…^^;
長男「ポン太郎」を大声で呼びつけ、レンズ交換させ、遂に接写成功…いや~痒いったらありゃしない。左手で叩けば、処罰完了でありますが、この際、今までの罪を洗いざらい話してもらわなければ気が済まない。そこで、夢屋王国「アマ執政」にご登場いただきました。
「その方、一筋縄ではいかない縞屋蚊ェ門に相違ないか…」(執政)
「へへぇ~、一筋縄かどうかは知りませんが、蚊ェ門に御座います。」
「その方、日々、百姓に精を出す、夢屋じぃ衛門の生血を吸いたること明々白々。神妙に認めれば良し、さもなくば…」(執政)
「お奉行様、その悪業は、遊び人のケラ男の所業に御座います」(縞屋)
           
「どひゃ~。お奉行!それは人違い…いや、お角違いに御座います。そうだ、金さんが居る。お奉行様、金さんなら全て話を知っております。金さんをお白洲に呼んでください。」(ケラ男)
「お奉行様、このケラ男、夜な夜な遊び人の金さんとか言う輩と夢屋の畑を荒らしては、町娘をたぶらかしているようでして…、きっと、生娘の生血を吸う輩は、遊び人の金さんなる者の所業かと…」(縞屋)
「 …。 」(執政)
「そうだ、そうだ、遊び人の金さんとやらを呼んでみなぁ~」(縞屋一門)
「おう、おうおう。そんなに会いたけりゃ、会わせてやる。この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねぇぜ…(ジャジャジャ~ン)」(執政)
           
「数ある花のその中で、背中に咲かせたアマ桜、両の目開いてとくと拝みやがれぇ」(アマ金さん)
「金さん…?アマさん…?お奉行様…?」(ケラ男)
「一筋縄の縞屋蚊ェ門とその一門、生娘の生血を吸った所業、言語道断。市中引き回しの上、百叩きの刑に処す。」(アマ金さん)
「ところでケラ男、夜遊びは楽しかったのう…^^; また、ふたりで街へ繰り出そうではないか…。」(アマ金さん)
「お奉行様…。」(ケラ男)
           
「あれれ、お奉行様…何でお奉行様まで、お縄に?」(夢屋じぃ衛門)
「夜遊びが過ぎてのう…俺も道連れ、予は情けねぇ…」(アマ執政)

夢屋一座『遠山のアマさん』これにて一件落着…^^;

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ヨシのずいから天井を覗く

2009-09-21 19:17:10 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」も15日目、『 よ 』
「葦(ヨシ)の髄から天井を覗く」…葦の茎を通して世界を眺めても、全体像は見えない…狭い見識で物事を判断することの例えであります。
私の学生時代の恩師(卒業してからお付き合いする機会が増えたのでありますが…)は、「森に入って森を見ないという例えがあるが、お前らのしている学問は、森に入って木さえも見ていない。木の根元に生えるコケをピンセットでひとつひとつ摘んでいるようなものだ。」と喝破されておりました。
田圃に入って夢屋ワールドに浸る毎日でありますが、いつの間にかクローズアップレンズを多用する画像になってしまい、もっと接写できないだろうかなどと思うことしきり…そう、田圃に暮らす虫と植物のつながりや息吹を感じることなく、次第にミクロの世界に没入してしまう自分がそこにあります。
クモの糸に固定された結露は、時として天空に散りばめられた星々のように、朝日に照らされ、そこに何らかの作為が感じられるような時があります。こうした小宇宙を感じながら、改めて画像を眺めていると、実は小さな水滴の中にカメラを構えている自分の姿が映し出されていることに気付いたりもします。
           
パスカルは、「人間は考える葦である…」という言葉を残しました。川辺に揺れる葦に、時に権力という風になびいても折れることがないという本質的な強さを人間にも見出し、人間の思索活動の広がりは宇宙よりも広く深い…などと解釈されております。
しかし、夢屋流に解釈すると、所詮人間などというものは、口から肛門に至る管のつながった中空の存在、葦と何ら変わることが無い…無駄な思考をすること以外は…などと思い続けているのであります。
一度、哲学の教官に「哲学などという学問のどこが楽しいのか…」などという不遜な質問をしたことがあります。教官は真顔で「哲学とは、物事の本質を考える学問であるから楽しいのである…。」と応えてくれましたが、この歳にして、物事の本質に近づけるどころか、無駄な枝葉が着いて余計なことを考えることが多くなってしまったようです。
           
我が家の古老が入院した日、庭を『クロアゲハ』が飛び過ぎて行きました。
黒という色は、場合によって不吉な予感や予兆をイメージさせ、平場になぜ『クロアゲハ』が舞うのか…昨日の風に飛ばされ、迷い込んだものか…?
裏庭を見れば、古老がかつて植えた「山椒」の葉に、アゲハが産卵に訪れただけのこと…予感や予兆などというものは、無駄な思索の枝葉を取り除いてしまえば、まったくシンプルな答えが見えてくるものです。
秋という季節は、人を哲学者にしてしまうのでしょうか?
いやいや、私の場合、哲学をしているフリをして、自分の了見の狭さを覆い隠しているだけにすぎません。
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蛙の面へ水…

2009-09-20 22:18:15 | いろはかるた

野菊(ユウガギクだと思いますが…)を眺めながら、「夢屋いろはカルタ」14日目は、『か』
江戸カルタでは、「癩(かったい)の瘡(そう)うらみ」などと言って、大差のない物を見てうらやむことの例えとされておりますが、あまり一般的ではないので、上方カルタを採用し「蛙の面へ水」…どんな事をされても、言われても全く平気な様であります。
我が家の田圃の稲もそろそろ刈り取り時期を迎えておりますが、何せ動噴以外の機械が一切無い農家ですから、稲刈りをお願いしている農家の都合次第…ここ一週間の内の作業になるでしょう。
稲刈りの適期は、籾が付いている枝梗と言われる部分の黄化を目安にします。が、今日のところは、田圃を一周して帰ることにしましたが…アレレ?
           
お隣さんの田圃の稲穂に『稲こうじ病』が発生しておりました。
大勢に影響はありませんが、こうして見ますとなかなかグロテスクです。「バクダン」と呼ばれる熱と圧力で一気に膨らませるお菓子がありますが、ここまで膨らむとまた面白いものです。
           
その穂先のすぐそばで、「アマ執政」が心配顔で覗きこんでおりました。
アハハ、あんたも眉間に(この場合、首筋ですが)皺を寄せることがあるんじゃん…。
そうだよな、もう直ぐ結果が出るのですから、誰だって気にならない訳がない。
心配無いさぁ~♪ 
では、成果を見せてあげよう。
           
今年も色々あったけれども、そこそこの努力は、こうして報われるもの…。
ニンジンの間引きが出来ずに放置しても小さいながら収穫出来たし、「だだちゃ豆」の風味で、ビールが一層美味しくいただけました。
今年の失敗は、また、来年に活かせば良い訳であり、経験という貯金がまた増えるのですから…。
「蛙の面へ水?」いやはや、「夢屋の面に小便」が今夜のお題に取って変わってしまいました。

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