その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

振りだしに戻る

2009-08-31 09:49:23 | 暮らし
昨日から本日にかけて、『天中殺』・『大凶』と言えるほどのピンチを何とか乗り切りましたが、その結果、肉体的・精神的に疲れております。
稲穂に留る『モンシロチョウ』も朝露に濡れながら、耐えております。
本日、夢屋商会…充電のため一時休業いたします。
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お帰りなさい

2009-08-30 05:20:00 | 暮らし
七月初旬に我が家の田圃で大量に羽化した「とんぼ」は、その羽が固まると何処へともなく消えてしまいました。一説では、涼しい山間部に夏の間移動していると言われています。しかし、個体マーキングして追いかけた訳でもないので、何処のとんぼが、何処の山に移動したかなどということは知るよしもありませんが、確かに夏場、山手の沢沿いあたりを、数多くのアキアカネが飛んでいる場面には、何度か遭遇したことはあります。
ここ2、3日、我が家の田圃や畑にアキアカネが帰って来始めました。「帰って来た」という表現が正しいという確証もありません。とんぼに帰巣本能があるなどと言う事を聞いたことがありませんので…。それでも、あの大量に発生した「とんぼ」たちが、忽然と消えて、また、1匹、2匹と飛ぶ姿を見つけると、あのとんぼたちが「帰って来た」と思いたくなります。
とんぼたちが戻ってくると、これを餌に我が家の古老は、ハヤ(ウグイ)釣りを始めます。3間半(6.3m)程の長竿で、とんぼを川面に浮かせながらの流し釣りです。時に40cmを超える大物を仕留めて来ますが、残念ながら今年の古老にその体力はありません。肺炎を悪化させ、また入院となってしまいました。
           
高齢者の熱の出ない肺炎は、非常にやっかいな病気であり、何か無理をさせた訳でもないのですが、息苦しさを訴える古老を病院に連れていくと、かなり悪化していたようです。通常の大人であれば、抗生剤の投与と安静を保てば2週間程度で退院できるはずですが、古老の場合、また少々時間がかかりそうです。残念ながら、今年の米の収穫には間に合わないものと思われます。
あと3週間もすれば稲刈りの時期を迎えますが、また、春先のように何も分からないまま、収穫と出荷を経験することになりそうです。
外で鳴く「コオロギ」たちの声も、一段と大きくなってきました。耳を澄ますと3種類程度の鳴き声を聞き分けられるような気がします。「政権交代」のキャッチフレーズで政策を訴えていた候補者たちも、昨日は結局、名前の連呼でこの町を通り過ぎていきました。交配の相手を探し、必死で翅をこすり続けるコオロギと支持を求めて必死で鳴き続ける候補者…相手に受け入れられなければ、惨めな思いをするのは、人も虫も同じようです。
何の脈絡もない「つけ麺」の画像ですが、古老を見舞いに行った我が家のオッカァは、昼食を済ませて帰ってくると思い、私が自分のためだけに作った自慢の「つけ麺」でしたが、突然帰ってきて、トッカバサレテ(奪われて)しまいました。(涙)
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ほのかな恋

2009-08-29 21:20:00 | 暮らし
道端に咲く『メマツヨイグサ』です。
初夏の頃、毎日田圃に通っていたことがウソのように、のんびりと稲の登熟を待つ日々でありますが、一方では秋野菜や漬物用の野菜の準備を始める時節にもなりました。例年、白菜と沢庵漬け用の大根、山形青菜が外せない野菜であり、これにキャベツや春菊を植え付けていたのですが、今年は栽培品種の成長期間を考えずに畑を利用したため、登熟の遅い『だだちゃ豆』はまだ収穫できず、故意に播種時期をずらしたトウモロコシももう少し待ちたいと思っている内、畑が空かないことに今さら気づいております。
とは言え、播種時期は適期というものがあります。
           
通称「60日白菜」と呼ばれるハクサイも芽吹き、畝作りもしなければと思うのですが、作業に追われはじめると本来の怠け癖が首をもたげてきます。気ままな作業が好きなのであって、作業に追われる日々は、日常の仕事と変わらないじゃないか…などと口説き(文句)ながら、缶ビール片手に畑を眺めます。考えてみると、最盛期には一球、100~200円の白菜を必死こいて作るのも、どんなもんかの~と思いつつ、あるのは収穫の喜びと鍋の湯気…ビール。結論はビールに結び付けて、少々がんばってみますか。
           
ハクサイのポットを眺めていると『セアカヒラタゴミムシ』がやって来ました。小奴らは、ミミズや青虫を食しているはずなので、決して害虫ではないのですが、生息場所や形状から、婦女子には、やっぱり嫌われますよねぇ。
彼らの仲間には「ヘッピリ虫」と呼ばれる『ミイデラ(三井寺)ゴミムシ』がおりますが、子どもの頃一度だけ、指でつまんで、豪快な黄色いガスを浴びせかけられたことがあります。この『セアカヒラタゴミムシ』は、動きが早く、直ぐに芝草の中に潜り込んでしまうので撮影に苦労するのですが、指先でつまんでやると、「ヒクヒクヒク…」死んだ振りをしてしまいます。
我が家のオッカァに問い詰められて、「ヒクヒクヒク…」死んだ振りをする夢屋の近縁種のような気がしてきました。あれれ、今日のお題は「ほのかな恋」…これもまた『待宵草』の花言葉なのですが、暑さ寒さも彼岸まで、すでに思いは「湯豆腐」に心奪われ、汗流す日々に免じてご容赦を…。
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青いりんご

2009-08-28 12:43:21 | 暮らし
『青いりんご』というフレーズから「野口五郎さん」を思い浮かべる人は、それなりに歳を重ねられた方でありましょう。「青い」「蒼い」「碧い」という言葉を並べてみますが、『あおいりんご』にぴったり当てはまる「あおい」という漢字(感じ)は無いような気がします。この場合の「青い」は、未熟なという意味合いで使われる「青」でしょうし、甘酸っぱい『青リンゴ』は、どこかに置き忘れてきた『初恋』などという想い出につながるような気もします。
我が家の庭には昔、「夏りんご」「秋りんご」の2本の木が植えてありました。「夏りんご」は、おそらく『祝』という品種であろうと思われるのですが定かではありません。7月の下旬には、薄緑色の実の硬い青いりんごと、少々縞模様の赤の入った赤いりんごが同時に実を着けました。赤いりんごは、甘いのですが、実がスカスカで子ども心にも美味しいとは思わず、青いりんごを選んで食べていました。夏休みの暑い午後には、とっておきの「おやつ」だった記憶があります。もう市場に出回る事もなく、郷愁の一部でもあります。
           
田舎暮らしをしていても、次第に失われて行くものはあります。我が家の畑からも、時代とともに色々なものが消えていきました。「毛糸」や「乳」を提供してくれる羊と山羊が消え、りんごやさくらんぼの木は老木となり切り倒されました。「赤すもも」や和梨の木が無くなり、ほうずきや夏グミ、スグリも畑から消えました。時代の変化と食味の向上…もう一度食べてみたいなどと思っても、それはノスタルジーであって、実際に食べてみても、さほど美味しく感じない。思い出とはその程度のものかもしれません。いつの間にか、味覚や視覚の一部だけが、極端に増幅されて美化されたまま記憶のポケットに仕舞い込まれているだけかもしれません。
『青いリンゴを抱きしめても 思い出さえ帰らない♪ 涙なみだの海にいま ぼくは深く沈もう♪』
え~い…勝手に沈んでな。
あれっ、そう言えば「野口五郎さん」って、どこまで沈んでしまったのでしょうか?
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うどの大木

2009-08-27 16:08:10 | 暮らし
ネットサーフィンに興じながら、今日一日を振り返り「ブログタイトル」をあれやこれやと考えている内に寝てしまいました。日記帳のタイトルにこだわる必要もないのに、何かオチ話に結び付けたいなどと色気を持って考え込んでいると、中々アイディアも浮かばない。こういう状態をオチ着かないというのです。ん~実に下らない。
早朝、本当に効果があるのだろうかなどと疑問を感じながらも二度目のスミチオン(殺虫剤)を散布しました。そう言えば、中々、お目にかかれない水稲の吸汁カメムシ『アカヒメヘリカメムシ』を探すことが、この夏休みの自由研究の課題だったはずですが、残念ながらまだ遭遇しておりません。いや、頻繁に遭遇するようであれば、かなりの被害を覚悟しなければならない訳で、ここに矛盾というかジレンマが生じます。
見えない敵に薬を撒いているのか、自分だけがワザワザ浴びているのか…これが大きな疑問なわけです。
           
お隣さんちの畑の『うど』が花を付け、実(種)が色づいています。「チュッパチャップス」のような「うど」の実の中にはとても小さな種が数多く詰まっています。俄か百姓は、こうしたひとつ、ひとつの発見が、また新たな意欲を誘発してくれるのです。今年の春、実生から株数を増やせないだろうかなどと考えておりましたが、畑の片隅に自然に生えた『うど』がある。これを移植すれば良いだろうと『うど』増殖の野望を成り行きにまかせておりますと、自然発生したはずの『うど』は、残念ながら『タラ』の木の地下茎から芽生えたものであることが分かり、増殖計画は頓挫してしまいました。
梅雨時ならば大丈夫だろうと、分株した『うど』は、何とか植木鉢の中で小さな芽を出しましたので、一株だけは増やせそうです。
こうして、やること為すこと、成り行き任せ、運任せ。それでも何とか小さな結果は残せております。失敗は失敗なりの結果ですから…。
「うどの大木」…春先、生かじりした『うど』は、とてもみずみずしく美味しくいただきましたが、この『うど』に対して、役に立たないものの例えとして「うどの大木」という言葉は、大変失礼なような気もしますが、最近の若い子どもたちは、「うどのオオキ」などと、芸名と間違えて読んでしまうのではないかなどと、また下らない心配をしてしまいました。
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めまい

2009-08-26 12:12:49 | 暮らし
子どもの遊びには危険が付き物であり、かつて子どもの遊具を科学された方がいらっしゃいました。具体的な中味は忘れてしまいましたが、「高さ」「揺れ」「スピード」…総じて「めまい」の感覚が人気の遊具であるとの結論だったような気がします。
公園や遊園地の人気の遊具を考えてみても、確かに「大人」からすれば危険な遊具・乗り物の人気度が高く、ブランコなどは、事故の危険を察知した管理者によって撤去されつつあります。
危険な香りって、やっぱり好きだったよなぁ。木登りや遊泳禁止の川で泳いだり…。事故で友人が死んだという経験も無かったし、少々のケガはあったかもしれませんが、バレれば親に怒られるだけですから、秘密の遊びは仲間内では公然の秘密だったのかもしれません。
学校では、鉛筆を削る小刀の持ち込みが禁止され、プールに飛び込んで頸椎骨折事故が起こり先生が監督責任を問われて損害を請求される。「めまい」を起こしそうな経験や遊具は、どんどん子どもたちから遠ざけられていきます。
           
「めまい」と言えば、連日、芸能界の覚せい剤や薬物による事件・事故が報道されておりますが、これもまた、幻覚…めまいの世界なのでしょうか?
私は、薬物をやったことがありませんので、その感覚は知る由もありませんが、2~3日禁煙した後に吸った煙草のクラクラ感…違うか…。
生活不安や将来不安…SEXが最高…。よう解らん、解りたくもない。
危険とされるものを予め、子どもたちから遠ざけ、安全を確保する。確かにそのとおりなのかもしれませんが、何か釈然としないものがあります。保護下の中の安全な生活は、危険に対する自己保護能力を喪失してしまう結果になっていないでしょうか。北海道大雪にラジオや防寒具無しで登る感覚…情報化時代の中に潜む、情報途絶の瞬間の危険性。常に、誰かに護られているという感覚のズレに潜む危険性。生きていくということは、常に危険や誘惑・めまいにさらされている毎日なはずなのですがねぇ…。
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都市伝説

2009-08-25 20:28:54 | 暮らし

「カラ~ン コロ~ン」と下駄を鳴らしながら、お露さんが愛しい新三郎さんの許に通うのが『怪談牡丹灯篭』でありますが、例え幽霊であっても絶世の美女が通ってくれるのならば、男冥利につきるというもの…などと、世の男のおバカは止まるところ知りません。
都市伝説と言えば、人面犬であったり、トイレの花子さんであったり、子どもたちの考えるお話は、無邪気なものが多いものですが、話がエスカレートしてくると死にいたるケースもあるようで、子どもの空想力を持ち続けたまま、少々危険な大人になっていくのが、ご都合主義の世の男性と言うことが出来るかもしれません。
今夜、夢屋を襲った伝説は、パソコン文字化けの怪…。
仕事の締切に終われ、サービス残業をしておりました。『十三仏』(冥界の審理を行う菩薩様であります)の掛け軸を手にし、お釈迦様、不動明王、弥勒菩薩…そのお顔を眺めながらコメント文を作成し、入力し、登録終了となるところですが、登録画面が原因不明の文字化けを起こしてしまいました。
夜が更ける中、再度入力・登録…文字化け。仕事に嫌気が差してきた頃ですから、段々イラついてきます。三度目の正直、入力し登録…文字化け。
ここまで来ると少々嫌な予感がしてきます。これは「身体を厭え」との御仏のおぼし召しと都合よく判断し、作業中止。登録作業は断念しました。
           
いつの間にか秋風が吹くように成り、釣り場の背後のどんぐりが、「ポトン、コトン」と音を立てながら落ちて来ます。田圃の稲穂も実入り始め、穂首を垂れ始めました。小さかった『コバネイナゴ』の太腿も世界陸上のアスリートたちの様に、太く美味しく?育ちました。
稔りの秋も間近だというのに、怪談話もあったもんじゃない。そんなことを考えながら、「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」という川柳の季節感を想うと、お盆から今の季節か~!
しかし、夜風が涼しすぎる位の毎日、薄着の幽霊も風邪をひいてしまうのではないかなどと下らない妄想を巡らしながら、まったくオチのない都市伝説話をしてしまいました。

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灯篭流し

2009-08-24 12:25:48 | 暮らし
亡き祖母の言い付けを素直に守り、お盆の期間中は好きな釣り(無駄な殺生)は控えておりました。暑さも峠を過ぎる処暑の頃になれば、吹く風もまた秋を感じさせる日々となり、晴れた日曜日には、田圃・畑仕事は放っておいて、会員となっている釣り堀の月例会に参加しました。運気は上々なはずなのですが、どうも思い切りが悪くて結果を残せません。午後からようやく要領をつかんだものの、時すでに遅く、散々な結果になってしまいました。
今日の反省点は、今日の内に修正しておかなければなりません。今日は、思い切りの悪さが結果を悪くしたのですから、ここは思い切りよくパチンコを2ヶ月ぶりにやって反省して見ます。お小遣いから投資1万円と思ったものの、あっという間に無くなってしまい止めれば良いものを、今日の反省点は思い切りの悪さにある…そう決めつけていますので、泣きの涙でもう1万円。普通は、止めときゃ良かったと相成るところですが、ギリギリの神様は、今日も夢屋を見捨てませんでした。ハイ、純益3万円の逆転勝利。これで今月も何とか乗り切れそうです。
           
おっと危ない…今夜は、我が家の菩提寺「耕福寺」の『虚空蔵(コクゾウ)様』の縁日、そして先祖供養の「灯篭流し」の日でありました。我が家の灯篭は、長男「ポン太郎君」が流してくれる筈ですが、ポン太郎君は今日から運転教習所に通っているので、帰宅時間が間に合うかどうか…?時間に遅れれば、また、おっかぁに怒られてしまいます。(儲けた話は内緒デス…^^;)
私の恐れをよそに、ポン太郎君は帰宅しており、事無きを得ました。ならば、オヤジは写真撮影をします。
           
カメラの性能が良いというのは素晴らしい。本来なら、川辺まで降りて行って撮影するところでしょうが、今夜は手抜きして堤防から川面に浮かぶ灯篭を撮影しましたが、何とか写っています。まったく、こういう子孫に供養されるご先祖様も可哀そうですが、ご先祖あっての子孫デス…と開き直ってしまいます。
           
縁日には欠かせない出店でありますが、このフレーズに昔から何度騙されたことか…『大だこ入り』…角バットに大きなたこが山盛なのに、何故か「たこ焼き」が小麦粉焼きなんだよなぁ…。何度騙されても、買ってしまう「大だこ入りたこ焼き」
買って帰ろうか買わないで帰ろうか…そう、今日は思い切りの良さで勝負!
絶対ポン太郎が買って帰る…案の定、6個500円の小麦粉焼きをポン太郎が買って来てくれました。フッフッフ、今日は読みが当たる。ん~また、おっかぁに怒られる気がする。今夜の缶ビールは2缶にしておきましょう。
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サルが木から滑ったら

2009-08-23 20:16:50 | 暮らし
庭の低木にピンクの花が咲き、初めてそれが『サルスベリ(百日紅)』であることに気付きました。我が家の古老は、様々な木々を庭に植え、正直なところ雪囲いをする立場の私にとって、植木周りの灌木は作業上邪魔な存在でしかありません。しかし、こうして花をつけるとまた違った感慨を持ってしまいます。年齢的に、20年30年スパンで成果を出していく果樹に挑戦するには遅すぎる。けれども、我が家のご先祖様は、代々子どもたちのために、何らかの果樹を狭い庭に植え込んでいたようであります。「さくらんぼ」に「紅玉」、「夏りんご」に「和梨」「デラウエア」「唐梅」等々、ご先祖様が生きた時代を反映した樹種だったような気がします。この地に定住して、一当主30年として(2代目が早世しておりますので)4代目で約100年の夢屋にあって、それぞれの世代で植えた木々も時代とともに枯死し、また切り倒されました。
「虎は死して革を残し、人は死して名を残す。」とまでは言いませんが、子ども心に、人は死んでも木々は残り、その人を偲ばせてくれるものだなどと思っておりました。しかし、そうした木々は管理する立場になってみると、正直、迷惑至極な存在であり、家督とか財産(大そうな物はありませんが)を護り管理するなんざぁ、ご免被りたい。出来ることなら一代飛ばして相続して頂戴…などと、うそぶいているバカ親父になってしまいました。
           
夜中に起き出して『世界陸上ベルリン』を観戦しながら、ボルト選手の驚異的な世界記録に感嘆し、アスリートたちの鍛え抜かれた肉体美と鍛えたが故の故障を見るにつけ、人間はどこまで進化しつづけるのだろうか…などと、ビールで鍛え抜いたお腹をさすりながら、物思いにふけるのであります。
感激に浸りながら冷たい夜風にあたっていますと、気真面目な『アマガエル執政』が、芽吹いた秋植え白菜のポットを監視してくれておりました。
「アマちゃん、まだ起きてたの?」(夢屋国王)
「ハッ、陛下。今夜からナメクジ・ハムシの類が心配で…。」(アマ執政)
「今回は、ネキリムシ防除剤コーティング済みの種子だから、当分害虫は心配無いんじゃない?無理して身体壊すなよ。」(夢屋国王)
「ハッ、陛下。苗は私が護りますので、植え付け場所の草取りと耕運をお願いいたします。」(アマ執政)
「昨日の雨で、畑はぬかるんでいるし、明日は日曜、釣りの例会だしさぁ…。ん~そうだ…我が国のポン太郎皇太子も神奈川に行ったことだし、アマちゃん真面目だし、この国相続しない?」(夢屋国王)
「…。」(アマ執政)
サルは木から落ちてもサルで居られるが、国会議員は選挙に落ちるとただの人だそうである。『サルスベリ』の花言葉は「雄弁」そして「世話好き」とのこと。雄弁な各党の皆さん、アマ執政のようにひた向きに行動してけらっしゃい。


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夢でもあなたを想う

2009-08-22 16:41:40 | 暮らし

おぉ~!タイトルに惹かれた方には申し訳ありませんが『サギソウ』の花言葉です。
大人たちは、子どもたちに「将来の夢」を語らせたがりますが、ある一定の年齢を迎えると「夢を語る」などと言うことは、大人に成り切れていない証拠と一笑に付されることになります。立派な大人は、人生の目標や目的をしっかり持って生きていなければなりません。ハハハ…どこか違うな。男って奴は、自分の夢を両手でギューっと握りしめても、合わせた指の間から、何かモゾモゾと湧き出してくる何かを持っているはず。「野望」とも違う何か熱くなるものがあって良いんじゃないかと思うのですが、最近「俺達の老後はどうなるんだろうか?」とか「年金はどうなるんだろうか?」などと真剣に悩んでいる20~30代の若い衆を見ていると何故か情けなく成ってきます。
かつて、公民権運動盛んなアメリカ合衆国においては、キング牧師が「I have a dream. That one day …
」と演説している。そして、同時期に43歳の若さで大統領に就任したジョン・F・ケネディも「あなたが祖国のために何ができるかを考えてほしい…」という有名な大統領就任演説を行っています。
           
ジョン・F・ケネディの演説に触発された今夜の『アマガエル執政』は、とてもアグレッシブです。昨日まで、明かりに集まる蚊や小さな蛾に狙いを定め、糊口をしのいでいた「アマ執政」は、他のカエルたちが尻ごみするような大きさの「ヤガ」を捕えることに成功しました。彼は、満足げに地上へと落下していきました。
表題の画像『サギソウ』は、手ぶれを起こしてます。(ワザとですけど…^^;)
一国の首相がブレたとかブレないとか…我々、夢屋王国の国民は、相手陣営に対する誹謗中傷合戦を期待している訳ではありません。
「人類(生物)の共通の敵」である暴政・貧困・疾病および戦争と共に戦おうではないか…という若きケネディが世界に訴えたような力強いメッセージとリーダーシップなのであります。
「ヨッ!今夜の陛下は良いこと言うじゃん…。」(アマ執政)
「あのねぇ、オラまだ飯食ってないの…。」(夢屋国王)
「半分あげようか?」(アマ執政)
「いるか、そんな虫。」(夢屋国王)
今夜もまた、アマガエル執政と掛け合い漫才をしてしまった。

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