その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

夢屋王国(古老の思い出2)

2011-09-13 02:40:05 | 夢屋王国

昭和35年に私が生まれ、その頃の子どもたちの多くがそうであったと思うのでありますが、父親に遊んでもらったなどという記憶がありません。無骨一辺倒で、家の中で騒ごうものなら、怒鳴り声が響く。子どもに対する愛情表現が下手であり、高度経済成長期の田舎町では、食うことが精一杯だったのかもしれません。当然、おもちゃを買ってもらうなどと言うことは一切無く、盆や正月に帰省する叔父たちが、花の都東京から買ってきてくれる最新式のおもちゃが唯一の楽しみでありました。一番下の叔父と兄弟のように育ったものですから、遊びと言えば近くの用水路での鮒釣り。当時は、未整備の水路であったことから、それぞれに秘密の釣り場を持っておりました。当時は、竹の延べ竿50円、釣り針10円…ミミズの餌で鮒を釣る訳でありますが、たまたま私が30cm程度の鯉を引っ掛け自宅に持ち帰った翌日、突然、親父は継ぎ竿150円を買って来てくれたのであります。小学2年生の時、お年玉を貯めたお金でグローブを買いたいと言う私を米沢に連れて行き、突然バットを一本買ってくれた…親父に何か遊び道具と言えるものを買ってもらった記憶は、この2回しかないのであります。

5歳離れた姉に言わせれば、お前だけが可愛がられたとのことなのですが、特段、可愛がられたとは思わない。むしろ、近所に住む母方の伯父に可愛がられたと思うのであります。実は、これには理由があって、姉と私の間には、もう一人、死産の子どもがいたらしい。今で言うと妊娠中毒になる母親の体を気遣って、私を身籠った時、母親に堕胎せよと言ったらしいのであります。それを、今度は跡取りだから産めと諭したのが伯父であり、俺がお前の命の恩人だという伯父が、この話をする度に親父はさらに不機嫌になるのでありました^^;
今では考えられない光景でありますが、私が子どもの頃住んでいた家は、冬の吹雪の日には、部屋の中に雪が舞い落ちるような家であり、暖は茶の間のこたつ位しか無かったのであります。一番下の叔父と姉は、ばあちゃんと寝るのが常であり、賑やかな声が聞こえてくると私も一緒に寝たくて、ばあちゃんの布団で寝ることが常でありました。一度だけ、正月に父親と寝た記憶があるのですが、朝、布団から起き出そうとする私を抱き寄せた親父…父親に抱っこされた記憶は、この一度だけであります。

小学6年生の時、アルバイトと称して親父の仕事の手伝いに出かけました。当時、親父は井戸掘りの仕事をしておりまして、3m程の足場に登らせ、パーカッションの削井管を足場からずれないように抑えていろと命じる。前日、相方のオヤジが、指を挟んで潰したから気をつけろなどと言うものだから、私は高さと重さと恐怖でビビリ上がるのでありますが、許してもらえませんでした。
これは、立派な労働基準法違反であります^^;
この頃、親父は私に英語の読みを盛んに聞くようになる。夕方、定番のヤン坊マー坊の天気予報を見ながら、「YAMMAR(現:YANMAR)」の表記を見ては、何故、ヤムマーと読まないのかと聞いてくる。尋常小学校でローマ字表記しか知らない親父は、納得いかなかったようであり、英語読みだろうと答えると不思議がっておりました。この時、親父は齢47歳にして、二級管工事士の資格試験に挑戦しようとしていたのであります。(続く)

 

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