その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

夢屋王国(古老の思い出)

2011-09-12 05:39:14 | 夢屋王国

『久岳法徳清居士』の経ち日は、9月29日であります。このブログの中でもお話しましたが、古老が亡くなる前日、母の介護用に調達した愛車『ボロクソワーゲン(←さくら子ちゃん命名)』が病院駐車場でオーバーヒートし、オッカーザウルスに迎えに来てもらう40分間、もう一度、古老の病室を覗こうか、いやいや、顔を出せばまた、古老は心配するだろう・・・などと逡巡し、結局、病室から出る時に背中越しに掛けられた言葉が、古老の遺言となってしまいました。49年間、彼の声に怯え、反発し、彼を乗り越えられたと確信し、今、彼の足元にも及ばないと再認識する私…。

大正15年12月1日寅年生まれ、彼は「父:久一、母:ヨシ江」の長男として、この世に生を受けたのでありますが、12月25日からの7日間が昭和元年であり、翌年の昭和2年4月1日生まれの方々とも同級生なものですから、人には昭和元年生まれであると自己紹介するオヤジでした^^;
昭和15年3月、彼は旧糠野目村尋常小学校を優秀な成績で卒業するものの、元来『夢屋家』は貧乏であり、高等科に進むことが出来ず、家計を支えるために仕事をすることになる。自分よりも成績の悪かった同級生が、学校の先生になり後々高給取りになったことを羨む古老に私は反発し、人生を悔いて生きるよりも、その時々に精一杯生きてやるなどと考えるマセガキに育っていくことになるのであります。

昭和20年3月戦争に召集されるものの、あと1週間もすれば戦地に送られるという矢先、日本は8月に終戦を迎えたのであります。兵学校でも物覚えは、大卒者よりも良かったということが自慢でありました…便所の中でも教本を暗唱していたようであります。
昭和21年、数え年22歳で彼の父:久一は他界する。この時、彼は途方に暮れたらしい。なぜなら、彼の一番上の弟が12歳、一番下が1歳の4人の弟たちを育てなければならなくなったのでありますから…。
戦後混乱期に幼い弟たちを抱え、父親代わりとなって働き続けた人であります。この頃の人々は苦労したことでありましょうが、人の苦労話は詰まらないので止めておきましょう^^;

昭和29年に結婚。翌年長女を儲け、昭和35年に私が生まれる。ここから、古老の思い出話になるのでありますが、お酒も十二分に回りましたので、今宵はここまでにいたしましょう^^;

 


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