その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

夢屋王国(古老の思い出4)

2011-09-15 09:15:36 | 夢屋王国

昨日の夜中に山形組の『さくら子ちゃん(H.N.)』からの情報で、『第2サティアン』から十六夜の月を眺めておりました^^;
我が家の古老は、笑わない、そして泣いた事がない。野球やプロレスが大嫌いで骨董好き、時代劇が好きで、子ども番組と重なっても決して譲ることはありませんでした。親父の前では、大人しくしていないと怒鳴られる…したがって、良い子でいなければいけないのであります。いつの間にか、人間嫌いになって、無口になって大学進学のためだけの勉強をしていた。そんな自分が変われたのも大学4年間の影響であると思っております。何しろ、泥棒と人殺し以外は、何でも覚えて来いと母親に言われたのですから…^^;
そんな大学2年生の冬、急に家に帰るように葉書が舞い込んだのであります。その当時の家の中は、母親は更年期障害、親父は五十肩を患い、余り良いことが無かったようで、さらには、長年勤めた親族の会社を親父は辞めることを決心したのでありました。帰郷した私を茶の間に座らせると、親父はボロボロと泣き始めたのであります。これが、最初で最後の親父の涙でありました。

幼い兄弟を育て上げたものの、35歳(当時は遅く儲けた子どもでした。)で儲けた長男に仕送りが出来なくなる…そんな自分の不甲斐なさに涙したものと思われます。ハンカチなど持ったためしもなく、茶の間の台拭きで何の臆面も無く涙を流す親父に、ただ驚き、大丈夫だよと言っている自分が不思議でありました。
正直なところ、育英会の奨学金が月23,000円、仕送りが40,000円。寮生活で朝夜飯を食べても23,000円あれば「食う」ことだけは確保できたので、あとは、当座の昼飯代と小遣い銭をアルバイトで稼ぎ出せば良いだけ…と高をくくってしまえばそれだけのことだったのであります。半期10万円程の授業料は…国立大学はありがたいものであります。我が家のように貧乏だと「授業料免除制度」を受けられたのでありますから…事実、入学金と最初の授業料はお支払いしましたが、後の3年半は、授業料免除で乗り切りました^^;
貧乏な寮生が大多数で、同郷の『斎藤くん』なんかは、弟のためにアルバイトをして逆に家に仕送りをしていたくらいですから、私なんざぁ、恵まれた方であります。

「俺は家が貧乏で、勉強したくても勉強出来なかったから…お前が勉強したいなら金だけは続ける。」これが口癖だった親父は、心底、自分が情けなくなったのかも知れません。再上京して、『斎藤くん』が勤める進学予備校を紹介してもらい、生活の道を確保した『夢屋』の銀行口座に、それでも親父は最後まで仕送りを続けてくれたのでありました。
目出度く(最後は綱渡りでしたが^^;)大学を卒業した『夢屋』は帰郷して就職、結婚と孫の誕生、祖母の死…古老は次第に老い、変化していくのでありました。(続く)

夜中の中途半端な時間に目が覚めてしまい、今朝も月を眺めながら朝を待ちました。『夢屋農園』のデラウエア(ぶどう)は、完全無農薬、晩腐病付きぶどうでありますが、酸っぱくて鳥も食べないようであります^^;

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