齢47歳にして、我が家の古老は「2級管工事施工管理技士」の資格試験に挑んだ。尋常小学校しか出ていない古老が、47歳の硬くなった頭で教科書を独学で勉強したのであります。当時、彼が勉強した教科書3冊は、我が家の家宝として大切に私が保管しておりますが、「ベルヌーイの定理」など、高校時代に物理を選択しなかった私には、その公式さえ理解できないのであります。今思うに、当時の彼は、理論や原理を理解するのではなく、長い間仕事で培った経験に理論を当てはめて理解していったのではないかと思うのであります。井戸掘り職人に流体力学が必要あるのだろうか?時代は、家庭井が飲料水から消雪用水に変わっていく時代であり、施工管理技士有資格者が現場常駐管理しなければ、一定契約金額以上の給排水配管工事が出来ない制度に変わって行くのでありますから、何としても取得しなければならなかったのであります。
山形県内でも第1期の資格取得者であり、取得後、町水道課に誘われたこともあったようでありますが、当時の役場の給料は安く、子育てが出来ないという理由で誘いを断ったようであります。
幼い兄弟を育て、子どもを育てるという理由から、結局、貧乏生活を余儀なくされることになるのであります^^;
中学1年になった私に、腕相撲をしようと言って来たのはこの頃であります。男5人兄弟の長男でありますから、腕力だけには自信があったようでありますが、子どもの頃から百姓仕事や剣道をして来た私も、右腕だけは自信があって、親父に腕相撲で勝ってしまいました。息子に負けたことが、どれだけ悔しかったのか「俺は、左腕が本当の利き腕なんだ。」という理由で、左腕で腕相撲を一番…これは、さすがに一瞬で負けてしまいました。(内心、かなり喜んでいたに違いない^^;)
この経験は、親離れをする原因ともなりました。今まで、恐いイメージしかなかった親父から腕相撲で勝てた…実に単純な理由ではあるのだけれども、この一件で自信をつけた私は、親父を乗り越えたような気分になったのであります。中学・高校・大学と一度も学校に来たことは無かったし、進路について話し合うこともありませんでした。「俺は、勉強したくても出来なかった。勉強したいと思うのならば金は続ける…。」これが、親父の口癖でありました。
子どもの頃から泣き虫だった私に「男は親父が死んだ時意外は涙を見せるものではない。」などと、祖母は幼児教育をしましたし、私も親父の涙を見たことなど一度もありませんでしたが、私が20歳を迎えたある日、家に帰るよう呼び出しを受けて、私は生まれて初めて、親父の涙を見ることになるのであります。(続く)
十六夜の月に誘われて『第2サティアン』でお月見…起きたら5時半でした^^;