山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

大山1周 その後

2021年05月27日 | ちょっとそこまで

 

 梅雨に入ってしまいました。こうなるとなかなか思うように山にも行けない。もう少し若ければ、「雨もまた良し、雪ならなお良し」だったが・・・。

「山に行けない=山に行かない」理由の本当のところは、浮世のしがらみとでもいうべき雑用(世間の付き合い)もあるためゆっくりした時間が取れないことと、体力的(精神的)なことなどが一番の原因かもしれない。

 そんな中で、図書館で見つけた本が「服部文祥 サバイバル」。服部文祥(はっとり ぶんしょう)、日本の大学混成登山でK2登攀をしているが、その後「サバイバル登山家」として注目を集めた。山岳雑誌「岳人」の編集委員でもある。

 この本は、日本海青梅から北アルプスを越えて上高地までを、人の手の加わらない自然を相手に縦走するという体験をまとめたもの。そのため、歩くコースは主に渓(たに)すじとなっているのが特徴だ。長期の山旅には、どうしても「衣 食 住」をどう確保するかが問題になるが、このあたりの工夫(実践)はいろいろな意味で示唆に富む。それに、何よりも興味を引くのは、彼の思考。ソロ登山者の持つ自己に対する「こだわり、執着」ともいうべきものが赤裸々に語られている。

 登山における「ソロ、単独」者には、何か共通した癖(思考)があるように思われる。古くは、加藤文太郎、近現代では、植村直己、長谷川恒夫、山野井泰史等々。その癖がどんなものか一概に言えないが、一言でいえばいい意味での「我がまま」だろうか?

「自分に正直、自分の心に背かない」そういう人生を送ることは困難なことが多いと思う。しかし、そんな人生を送れる人(送った人)は、「生きている、生きてきた」という充実感、達成感は人一倍だろうと思う。 

                                                

文明から離れ、自然を自給自足で駆け抜けることなどということは、普通には考えつかない。8月2日、青梅をスタートして8月13日上高地着。イワナを釣り、山菜を求めながらの山旅だ。面白い本ではあります。

 話は変わるけど、近く再度の大山1周、今度は逆コースでを考えています。前回、なぜ左足を痛めたのか、その原因を調べることが主な目的です。履物を替えて。

 またまた話は変わりますが、今日図書館に行って本を借りました。1冊は「ヒルコ」で、捨てられた謎の神という古代史のなぞを探るもの。日本書紀や古事記等の記述を丹念に調べながら展開されます。

 2冊目は、「日本仏教各宗派」で、その教えと疑問に答えるものという副題があります。

 3冊目は、「99歳 モンブラン大滑降に挑む」です。三浦敬三さんの山スキー編。本にはヨーロッパアルプスは勿論のこと、日本の主な山スキー体験が語られています。

 人生100歳時代です。自分も、もう少し頑張らないといけないとおもいます。精進が足りないと最近思います。