山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

 餓鬼岳と唐沢岳(白沢登山口~餓鬼岳・唐沢岳~中房温泉)  その1

2014年10月13日 | 200名山・300名山

10月7日(火)、午後松江を発つ。天気は良く、道路の混雑もない。夕刻7時30分、中央高速の恵那峡SA着。ここで車中泊。翌8日(水)、餓鬼岳登山口である白沢登山口まで下見を兼ねて出かける。登るのは明日としているのでゆっくり出来る。

 国営あずみ野公園前を過ぎるとすぐに表示を見る。

  

 ここから道は狭くなり山に入ることになるが、特に心配はない。途中、モトクロス場があった。登山口には、簡易トイレが置かれ、登山届けでポストがあった。駐車場は、広くはないが車の十台くらいは大丈夫だろう。すでに3台が置かれていた。

 車を置いてしばらく歩いてみたが、登山道はきちんとしていた。下見を終えて引き返す途中、山手の方からものすごいエンジンの音がしたので言ってみたら、バイクをスタートさせる瞬間のビデオ撮影中だった。ついでに、あずみ野公園ものぞいて見る。

  あずみ野公園玄関 国営の公園だけあって素晴らしい施設です。ただ、経営状態は知らない。

  

 この後、近くのスーパーで買い物をしてから、道の駅「安曇野松川」に入る。ここは、有明山を正面にみることが出来る小さな道の駅です。明日の準備を済ましてから早めに休むことにします。

 

 10月9日(木)、早朝登山口に向かう。すでに三台の車が停まっていて、もう出発の様子。こちらはゆっくりと食事をすませる。ドリンクを飲み、トイレを済ませ、準備万端6時10分スタート。荷物が軽いので初めの2時間で先発者をすべて追い抜いた。

 誰もテント泊の構えで、重そうなザックを担いでいた。ごくろうさん。          

               途中、何箇所かの水場がある。

  

   大凪山。ここまで来ればしめたものと思っていた。登山口から約3時間30分。

  

 ところが、ここからがきつかった。傾斜がきつくなったせいか、くねくねした道が延々と続く。やっと小屋が見えて来た。

 

 小屋には寄らず、直接頂上へ。 12時07分ばんざ~い。

 

      中央右手に唐沢岳。バックは、裏銀座と後ろ立山の山々。

 

                      (白沢登山口6:10 ~最終水場8:00~大凪山9:35~百日曲入り口11:00~餓鬼岳頂上12:07)

 唐沢岳へは、ここからもう2時間30分はかかる。明日にすれば良かったものを今日中に登ってしまおうと馬鹿な考えを持ったのがいけない。帰りの時間と日没を気にしながら急いだが・・・。途中、唐沢岳からの下山者に出会うと口々に「これからですか」と不審なまなざしで見られる。ぎりぎり大丈夫かなと思いながら歩いたが、頂上間近にして引き返すことにした。あと1時間の余裕があったら、何とか登れただろう。

 明るい内に餓鬼岳小屋まで引き返すことができた。5時の夕食、8時消灯。夜、雲海の上に丸い月が出た。雲の間から大町方面だろうか、町の明かりがチラホラ。 明日は、とにかく唐沢岳までは行くことにするが、その後どうしようかと迷いながら寝込んだ。

 10月10日(金)

 4時起床、5時朝食。日の出は5時40分頃でした。雲の関係でくっきりした輪郭の太陽はみえない。

    

 6時10分、小屋をスタートする。餓鬼岳の頂上経由で唐沢岳へ向かう。

           今日の天気は最高。餓鬼の頂上から明日歩くことになる丸山新道。

           右手前が剣ズリで中央辺りが燕からの縦走路。奥に槍が見える。

    

      展望台あたりから。中央は餓鬼のコブ(あるいは小餓鬼?)。唐沢岳は左手奥。

     

                唐沢岳頂上 花崗岩の岩に囲まれた狭い頂上。

   

               正面に立山、右に針ノ木。奥に剣が見えます。

     

  ぼんやりしていたら、突然人が現れてびっくり。小屋泊まりではない人なので聞くと、今朝早めに白沢登山口をスタートしたそうです。この時、時計は9時40分を指していたと思う。普通の登山者の半分近い時間で登って来たことになる。

       しばらく休んでから去っていった。このまま引き返し、高速道路でよその山に向かうと言っていた。                 

    

                                                   (餓鬼岳小屋6:10~唐沢岳頂上9:15)

                                                           今日はここまで

  


日本の名山選定と日本三百名山

2014年10月13日 | ちょっとそこまで

日本の名山選定と日本三百名山について。

     昭和39年 日本百名山発刊(百座選定)                       深田久弥

      * 選定が終わった時期についてはよくわからないが、構想を持ったのは戦前にさかのぼるらしい。   

     昭和53年 日本三百名山選定(一座から三百座)                 日本山岳会 (荒沢岳は入らない)

      *この三百座には、深田久弥の百座と深田クラブの九十九座が入れられています。

     昭和59年 日本二百名山選定(深田久弥の百座以外に百座を選定)    深田クラブ  (荒沢岳が入る)

 以上は、誰もがよく知っている代表的な日本の名山選定で、それぞれ書籍として 発刊されているのはご承知のところかと思います。

 百名山や二百名山を目的としている人には関係ないかもしれませんが、 三百名山を目指している者にとっては、荒沢岳を含まない三百名山と荒沢岳を含む三百名山がでてきます。まあ、日本山岳会の三百名山を登り、さらに荒沢岳を登れば両方の顔が立つということになりますが・・・。

 ところが最近おもしろいことに気づきました。奥只見に名峰「会津朝日岳(日本百名山にも日本二百名山にも入っていないが、日本三百名山には入っている)」があります。この山は、数年前の豪雨災害のため登山口までの道路が壊されて現在では、入山禁止となっています。只見町の役場に聞いてみても、いつ解禁となるかはっきりしません。先般下見に行ったら復旧工事は行われていましたが、進み具合は芳しくないようです。そこで、考えました。

  会津朝日岳は登れないのだから、荒沢岳に登れば三百名山は終えたことになります。会津朝日岳は、登れる時期が来るまで気長に待っておればいい。そんな山が、一座くらいあってもいいのではないですか。日本山岳会の二百九十九座を終えた今、そんな手前勝手なことを考えているところです。勿論、荒沢岳はもう登りましたが。