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山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

2010年 200(300)名山九州編(その1) 高隅山、市房山、

2010年06月06日 | 200名山・300名山

 九州の200名山(続100名山といったほうがいいかも?)は、8座ある。そのうち高千穂峰と桜島はすでに終わっているので、残るは6座となる。ついでに300名山を調べてみると、200名山と同じ数でやはり8座ある。このたびは、200名山が目標なのだが300名山もいくらかは登ってみたいと思いながら出かける。

 九州の南の端は鹿児島。その南端に突き出る大隅半島の根っこ部分に300名山の高隅山がある。高隅山という山は、いくつかの山々の総称。もっとも高い山が大箆柄岳(おおのがらだけ)1236mだ。しかし、私の持つ道路地図には高隅山1149mとある。高隅山群の中で1149mの山は小箆柄岳だから、地図が間違っているのか、あるいは、地元で小箆柄岳をそのように呼んでいるのかよくわからない。とにかく高いほうへ登るのが山登りの常識だろう。

 5月29日(土)、5時25分松江を発つ。18時05分、「おおすみ弥五郎伝説の里」という長ったらしい名前の道の駅に到着。今日は、ここで車中泊とする。目指す山は近いから、あす朝登山口まで行けばいい。今日は道の駅の風呂に入りゆっくりする。

     やごろうの像 高さ15m              やごろうの湯

       

   ハクショウ 三葉の松                はじめて見ました

       

  大隅弥五郎とは、大和朝廷が全国統一の過程で生まれた英雄。ただ、朝廷側の人物か反朝廷側なのかはっきりしないそうです。 

 車中泊をともなう山行に出かける場合、いつも気を使うのが駐車場の確保。登山口にきちんとした駐車場があればいいのだが、200名山や300名山となるとあまり整備されていない場合が多い。トイレに風呂、それに売店あれば最高だがそんな環境はあまり期待できない。近くに、道の駅や高速のパーキングなどがある場合、そこを利用したほうが薄暗い山奥に車を停めるよりはるかに能率も良く、快適に過ごせる。このことは、多くの名山めぐりの中から学んだことの一つだ。

 30日(日)、7時登山口をスタート。昨夜泊った道の駅からここまで約1時間かかった。

 国道404号線、高隅ダムを少し行くとこの標識があります。ここを右に入る。

  

 登山口です。車が数台停められます。近くに沢もあります。

 

 登山口には、縦走に要する時間が記してありました。大箆柄岳まで登り1時間30分、下り90分とあります(?)。

  

 頂上です。バックは高隅連山です。縦走すれば一日は優にかかる。

 

 

 ミヤマキリシマが咲いていました。

 

 大箆柄岳遠景。

 

 高隅山は大箆柄岳のみとしたので早く終わった。次に目指す山は、市房山だが途中寄り道をする。それは、五木の子守唄で有名な五木村。どんなところだろうかと期待はしていたが、道も建物も真新しくて、当時の様子は道の駅にある資料などで想像するしかない。

 裏は険しい山々、前ははるか下に川が流れています。道の駅「子守唄の里五木」があり、温泉もありました。五木とは、「居着く」からきたようです。何が居着くかといえば、平家の落ち武者を追いかけてきた源氏の兵士たちが居着いたのでこのようによばれるようになったそうです。唄にある、「…あんひとたちゃよかしゅ」のよかしゅが源氏で、その下で貧しい暮らしを余儀なくされていたのが平家の落ち武者たちの子孫だそうです。哀愁をおびた子守唄は、日本の民謡の中の傑作と言われています。

 

 年季奉公に出された幼い娘は、はるか山奥の故郷を望みながら盆が来るのを待っています。盆で年季が切れるから「盆から先はおらんど・・・」という唄になります。

 

 夕刻、市房山キャンプ場に着く。テント代金1000円を払いテント泊にする。しかし、1000円は全国的にみてもだいぶん高い。北海道では高くて500円くらいだ。

 写真後ろ奥の山が、市房山1722mです。大山よりちょっと低い。宮崎県では1756mの祖母山が最高峰。

 

 

 

  5月31日。6時スタート。キャンプ場から登山口は近い。間もなくこの写真のような参道に入る。

  

 1時間ほどで神社に着く。ここには、コンクリートでできた休憩所もあり、近くに水も流れていた。かって深田久弥は、春雨に煙る日湯山の旅館から傘をさしてここまで登り、「雨に罪を負わせ」て引き返している。

 

 市房山のすごさは、杉の巨木にあるといってもいい。大きさは屋久島杉に引けをとらない。樹齢千年の古木が林立する様は圧巻だ。

  

 

 

  カッコウの 声は下界に 市房山

  カッコウがしきりに鳴いていた。やっと頂上が・・・。

 

 キャンプ場が見えます。

 

 天気さえよければ九州中央部の山々も見えたかも知れません。

 9時10分、1722m市房山頂上。下山が11時55分でした。

 

 ツクシアケボノツツジです。このツツジ、以前はアケボノツツジ(四国に多い)の仲間とされていましたが、どうもヤシオツツジ(本州中部から北に多い)の仲間に近いようです(案内板にそうありました)。

 

 ツクシアケボノツツジは背丈が高くなるのが特徴のようです。

 

 下山途中にオレンジ色のツツジを見ました。

 

 下山後、すぐ近くの湯山温泉へ。湯元旅館で汗を流しソバをいただく。少し太めの田舎ソバだった。最近、細めのソバが流行りのようだけど太めもよい。さっぱりしてから山越えに入る。この頃から天気は下り坂。途中、若山牧水のふるさと東郷町を通過する。牧水記念館に寄ってみたかったが、雨も降りだすし日も暮れかけていたので通過する。石川啄本が姫神山なら、牧水は尾鈴山。牧水は、酒と旅を愛した詩人として有名です。

    いく山河 越え去り行かば寂しさの 果てなむ国ぞ今日も旅ゆく 

 (この詩は、確か中国地方のどこか詠んだもののはず。彼もあちこち歩いています。)

 国道388号、446号を経て道の駅日向に車を止める。 尾鈴山の登山口は、国道10号の線の都農町から入ることになるので、遠回りにはなるが仕方ない。口蹄疫の防除対策があちこちで行われていた。

 


2010年 200名山(300)四国編(その2) 瓶ヶ森、伊予富士、笹ヶ森、東赤石山

2010年05月19日 | 200名山・300名山

             緑 緑 緑 緑の中の 深呼吸

 5月15日、3本杭を登った後来た道を引き返し、愛媛県に向かう。瓶ヶ森や伊予富士、それに笹ヶ森などは石鎚山系に属し尾根沿いには立派な登山道が伸びている。  国道194号線の寒風山トンネルは、寒風山に掘られたトンルだが地図をよく見ると2つのトンネルがあり、長い方が新寒風山トンネル。はじめこのことが分からず登山口を探すのに手間取った。旧寒風山トンルなら出口を右に行き、新トンネルは左に行くことになる。自分は新トンネルを抜けたがどちらが早いのかよく分からない。とにかく、狭い道を対向車に気を遣いながら進む。旧寒風山トンネルの出口にちょっとした広場があり駐車場となっている。ここが寒風山の登山口。

 断崖絶壁に延びる道。愛媛県から高知県へと続く。

 

 瓶ヶ森への登山道は、右手の道路を行くのだが、よくもこんな道をつけたものだと感心する。眺望が素晴らしいので観光客も多い。カメラマンもあちこちに。今年は、アケボノツツジと季節外れの樹氷の取り合わせが珍しいとのこと。  瓶ヶ森登山口の途中に伊予富士の登山口があるが、とりあえず瓶ヶ森の駐車場まで行き、今夜のねぐらを決める。駐車場からすぐによく整備された登山道が笹の原の中に延びている。5時前だったが登ることにする。男山へはすぐに着いた。

 男山から見る女山。

   

 女山が頂上となっているので稜線沿いに行く。この辺りの山々は、吉野川の源流となるらしい。まもなく女山山頂。

 

 尾根沿いの眺望は抜群。特に石鎚山の姿が目立つ。笹原を巻いて駐車場に帰る。この間約1時間ほど。

 

 遙かに石鎚山を望む。

  

 夕暮れの石鎚山を見ながら一杯。夜は満点の星。久しぶりに天の川を見る。     

 翌16日(日)、昨日来た道を引き返しまずは伊予富士に登る。瓶ヶ森から縦走できるのだが、この縦走路沿いに車道が走っている。道路脇に車を停めて登る。

 

 下の道路脇に車を停めました。

 

 縦走路に出る。

 

 伊予富士山頂。これでも1756mもあります。

 

  35分ほどで頂上に。7時10分に車に帰る。

  8時40分、笹が森登山口をスタート。9時50分丸山荘着。山頂に立ったのが10時40分。1859mの山頂から、石鎚山へと続く山脈を望む。今日もいい天気だ。

     

 中央奥のギザギザした山は寒風山か?。そのずっと奥に瓶ヶ森。

   

 丸山荘が眼下に見えます。

   

 12時15分下山。この後、すぐに東赤石山へ行く予定だったが、だいぶくたびれたし時間的にも難しいようなので近くの温泉で汗を流しアサヒビール園へ行く。車で一人なのでビールを飲ませてもらえるか心配だったが関係なかった。中ジョッキを2杯飲む。あまり美味くなかった。絞りたてと、詰めたての違いだろう。絞りたては特定の見学グループにしか飲ませないらしい。ひと眠りして東赤石山途中にある道の駅に入る。「道の駅 マイントピア別子」という。温泉もあった。

 5月17日(月)、早めに起きて東赤石山へ向かう。6時30分瀬場登山口をスタート。本当は筏津登山口から登るつもりだったが行きすぎてしまったのだ。時間的には問題はない。むしろこちらの方が何かと都合がよかった。(駐車場やトイレ等で)

 登山口で頂上まで3時間とあったが、先に八巻山へ登ったため頂上は10時15分1707mの頂上へ。だいぶ時間が掛かった。

 八巻山山頂からの東赤石山。八巻山は岩尾根が続きます。

 

 東赤石山 1706m。ここも眺望抜群です。遙かに石鎚山が。

 

 八巻山から登山者の群れが。

 

 アケボノツツジ。

 

 

 登山道にアケボノツツジの花びらが散っていました。いい感じです。

 

 12時50分下山。これで四国の300名山は終わり。昨日泊まった道の駅に戻り温泉にはいる。ビールを飲んだり、テレビを見たりして夕方車に戻って休む。

 18日(火)はこんぴらさん詣で。奥の院からの琴平町の町並み。讃岐富士も見えます。こんぴらさんは大国主命を祀る神社です。この出雲の神様は全国区らしく、あちこちに祀られています。梅原猛さんではないけど、出雲は大和朝廷前に大きな力を持っていたように感じます。

 

 

 


2010年 200(300)名山四国編(その1) 篠山、三本杭

2010年05月19日 | 200名山・300名山

 雪も溶け、山々は若葉、青葉の季節。桜が終われば花はツツジ。四国からはアケボノツツジのたよりが届きます。

             若葉 若葉 若葉 若葉の中の 深呼吸

 

 今年の200名山は、まずは四国からとして出かける。四国の200名山は三嶺( この山は、100名山で剣山に登るついでに縦走した  )、東赤石山、笹ヶ峰の三座のみ。ついでに300名山も登っておこうととりあえず篠山へと向かう。14日(金)、7時10分松江を発つ。

 いつものことながら、登山口までが難儀です。やっと案内をみつけました。

 

 ここからも入れますが、もう少し先にきちんとした駐車場のある登山口があるとのこと。そちらへ向かう。

 

 やっと登山口に着きました。ここから頂上まで30分ほどです。

 

 古い石段を登ると社があり、その裏が頂上。

 

 南は伊予。

 

 北は土佐。

 

 山頂一帯は、アケボノツツジの群落があります。しかし、もう花の季節は終わっていました。残り花がチラホラ。篠山の特徴は、このアケボノツツジにあるようです。

           奥山に 暮れゆき咲いて  山躑躅

 

 16時40分、篠山(1065m)の頂上に立ち、夕暮れ迫る山路を次の目標三本杭に向かう。三本杭は、滑床渓谷の駐車場に登山口があるので、この渓谷を目指せばよい。19時40分、何とか明るいうちに到着。誰もいないが、近くに立派なホテル(森の国ホテル 0895-43-0331)がある。シーズンには賑わうようだ。

 翌15日(土)、朝起きたら、駐車場に車が一台止まっていた。早朝にやってきたらしいが、人の姿はすでにない。鹿が姿を現す。猿もいる。6時10分、スタート。まずは御祝山に登る。結構な登りが続くがここを登り切れば尾根道となるので頑張る。時折シャクナゲの花を見る。7時35分、御祝山998mに着く。

 

 ここから、シャクナゲの林が続く。

 

 藪椿もきれいでした。

 

 シャクナゲの道が続く。

 

花はちょうど今が盛り。そのうち、ツツジの林となり、最後はアセビの林で頂上に達する。ここのツツジはまだ花が来ていない?。アセビは鹿も食べないらしくはげ山の中で残されたように見える。

 頂上が見えてきました。

 

 頂上ははげています。鹿の食害によるようです。

 

 360度のパノラマだが、地図がないためどこがどこだかわからない。

 

 8時35分、1226mの頂上に。小休止の後下山に掛かるが、来た道を下りずに渓谷に通じる道を下る。あまり人が歩いた様子がなく途中何度も道を間違える。行きつ戻りつしながら何とか渓谷に降り立つ。ちょっと冷や汗ものだった。

 

白崖を経由するこのコースは危険なコースだと後で知った。滑床渓谷沿いに下山する。11時20分。

 滑床渓谷、雪輪の滝。

 

 森の国ホテル。上高地の帝国ホテルを小さくしたような洒落た建物です。レストランでコーヒーを飲む。ちなみに、プレミアムルームは一泊2万円ちょっとです。(金がないわけではないが、こんな宿では目が合わないだろう。) 

  

 三本杭は、高知県に属し、四万十川水系の源流的な山。近くに清流中の清流、黒尊川もあります。

 

 


200名山 東北編その1 白神山 森吉山 秋田駒ヶ岳 姫神山

2009年12月13日 | 200名山・300名山

  白神岳、森吉山、秋田駒ヶ岳、姫神山

10月1日(木)、函館より青森へ。連絡船は14時に出航する。青森まで意外に時間を要したが、船の速さとはこんなものだろう。しかし、料金は高かった。青森港からしばし街中を走り、ナビに導かれて青森インターから東北自動車道に乗り、浪岡インターからは国道101号線に入る。鰺ヶ沢に出るまで幾分気を使う。見知らぬ街の夕暮れ時は何かと心細い。

 五所川原を過ぎ、鰺ヶ沢に着く。後は大間街道を海岸沿いに南下すればいい。青森界隈は100名山などの折りに訪れたこともあるが、1,2度では何も分からい。      しかし、この大間街道は海岸沿いの一本道なので幾分記憶に残っている。遅くなったので道の駅「ふかうら」で車中泊とする。ここには風合瀬という美しい名前の海岸がある。「かそせ」と言う。以前通過した折、心に残った名前だ。道の駅は人気もなく静か。

 翌2日(金)、大間街道を南下し、青森から秋田に入る。白神岳登山口駅を目標にして、やっと早朝の白神岳登山口駐車場に着く。この日、天気は曇り。駐車場に車を止めて準備をしていたら、妙な感じの人たちが集まってきた。話を聞くと、地元の案内人グループの研修会だそうな。道理で一般の登山者とは感じが違うはずだ。

 登山口は、駐車場を数分登ったところにある。7時25分スタートする。

 

 日本海が見えます。

 

 避難小屋は頂上のすぐ近く。頂上付近からの写真です。立派なトイレもあります。

 

 10時10分頂上。

 

 立派な避難小屋です。ここに泊まれば素晴らしい朝夕の景色が見えることだろう。

 

 白神岳の頂上から、前には日本海が、そして、後ろには哀しいまでの山また山の白神山地を見ることになる。秋色濃い山道を下る途中、いくつかのパーティに出会う。山自体はどちらかというと楽な方だが、群馬県からやって来たという一団はだいぶ苦しそう。たぶん寝不足のせいだろう。12時40分駐車場まで下山するが、間もなく雨が降る。雨の中、次の山森吉山へ向かう。途中、クマ牧場とマタギの里資料館を見学する。

 東北(秋田)の田園風景。島根とはずいぶん違うのが面白い。

 

 クマ牧場。

 

 エサをもらおうとして様々なジェスチュアーをする。俺にくれと両手をたたいてアピールするクマ。

 

 マタギの里資料館では、マタギについての認識を新たにすることができた。彼らの生態(言葉が悪いか?)について書かれた小説2編が「直木賞」を受賞している。一編は、「黄色い牙/志茂田景樹著」で他の一編は「邂逅の森/熊谷達也著」だ。この資料館でそのうちの一編「邂逅の森」を購入する。とにかく面白いので停めた車の中で読みふけった。クマとの壮絶な戦いは迫力がある。また、彼らは大雪の中でもクマを追って行動する。雪山のノウハウを熟知しているのだ。一読をお勧めします。

 この日は、とりあえず森吉山登山口まで行ってみることにする。こめつが山荘前に登山口があるが、夕暮れ時なのでひっそりと静まりかえり、時折霧が流れる。登山口の確認を終えてから、温泉をざがす。温泉は少し引き返した所にあったが、それは何と駅の中。温泉つきの駅は珍しい。駅前には食堂もあり、ここで夕食を摂る。話し好きのおばさんを相手に酒を飲み、幾分酔っぱらう。駅前の駐車場で車中泊とする。森吉山はかってはスキー客で賑わったそうだが、今はリフトの撤収がおこなわれているとのこと。スキー客の減少やら温暖化も影響しているらしいいが・・・。ただ、阿仁スキー場のゴンドラだけは稼働しているとの情報を得て結局こちらのコースから登ることに決める。

 3日(土)、少し雨っぽい天気だがゴンドラの始発を待って頂上を目指す。頂上へはゴンドラから約1時間。湿原が続きます。ただ、今は花はない。

 

 立派な山小屋。中でパトロールの方が休んでおられた。

 

 頂上の標識が見えてきます。

 

 頂上です。ゴンドラから約1時間。ガスが出て視界悪し。

 

 

 森吉山のご神体。冠岩。

 

 頂上は写真左奧。ガスに煙る。今年の紅葉はあまりパットしなかった?。

 

   ゴンドラ山頂駅。シーズンだけの稼働なのかよく分からないがこの日の土曜日は運行していた。

 

  この日の200名山はハイキングのような感じで終わる。100名山の岩木山でもそうだったが、ゴンドラなどを利用して登った山は何か味気ない。それに、後ろめたさのようなものを後々まで引きずるものだ。しかし、これもしょうがないと割り切るより他はない。そんな思いを残してマタギの山を下り、国道105号線阿仁街道から田沢湖畔に車を回す。まずは、今夜のパーキングを探さなければならない。

 湖畔には、どこでもそうだがパーキングがあり、運が良ければキャンプ場もある。この田沢湖も例外ではなかったのだが、明日のことを考えて秋田駒ヶ岳登山口まで行くことにする。くねくねとしたやや狭いと思える道に入る。これで本当に登山口まで行けるのかと心配。夕暮れ時だからよけいに焦る。対向車でもきたらどうなることかと思いながらも、無事8合目登山口の駐車場に着く。立派な建物があるが人気はない。花の山として有名なこの秋田駒も、シーズンが過ぎると閑散としてなぜかうら悲しい。はっきりしない天気が続くこの頃、夕暮れ時はいつも霧だ。その霧が折からの風にあおられて吹きすぎる。まさに幽界にでも来たかのようだ。今日も車中泊、早めに寝る。

 翌日の8合目駐車場

 

 25日(日)、5時50分登山開始。駐車場には数台の車。昨夜遅くやってきた登山者のものだろう。今日も天気はパッとしない。頂上辺りはガスに覆われて皆目見当がつかない。時折下界が顔をのぞかせる。しっかりした登山道なのでとにかくその道をたどることにする。登山道は山を巻くようにつけられているので歩きやすい。ひと登りすると傾斜は落ちるが相変わらず視界不良。男岳への標識に導かれ頂上へ。

 ガスの合間に車道が見える。

 

 男岳頂上。ここが秋田駒の頂上かと思っていたら・・・。

 

 頂上にある湖。ガスの中、突然姿を現す。まさに幽界をさまよう感じ。下北半島の恐山を思い出させる。

 男女岳(おなめ岳と読むが女目ともある)1637mの頂上。秋田駒ヶ岳には男岳、女岳があり、さらに男女岳がある。下調べをしてなかったので男岳が主峰かと思っていた。湖があることも知らなかった。

 横岳に着いたあたりから視界も良くなり、田沢湖が見える。周囲の山々も幾分見えてきたがよく特定できない。森吉山、岩手山、早池峰山など視界の中にあるはずなのだが。

 写真右手が男女岳、中央やや左に男岳。焼森から写す。花の時期はまさに天上の楽園だろう。

 

 9j時20分駐車場着。この駐車場を出るためには、定期バスの後ろについて出るという規則になっている。そのため、勝手に出ようとしたらしかられた。定期バスがスタートするまでしばし待機する。いずれ、マイカーの乗り入れは禁止となるような気がする。乗鞍や上高地のように・・・。

 秋田駒ヶ岳への車道から解放され、一路盛岡方面に向かう。姫神山が目当てなのだがその前に寄りたいところがある。渋民村にある啄木記念館だ。秋田街道は、盛岡辺りで津軽街道と奥州街道に分かれ、渋民村はこの奥州街道(陸羽街道)にある。渋民村という呼び名は、旧の呼び名かもしれない。地図には渋民としか載っていない。岩手山が姿を現す。100名山だけあってやはり大きな山だ。その点、姫神山はか細い感じがする。

     啄木の 育ちし街にそびえ立つ おおきなる山 富士かとぞ思う

 

 記念館の前の啄木像。教師時代の子供らと。奧が旧小学校と住んでいた家。それぞれ復元したものです。

 

 啄木が使用したオルガン

 

 資料館裏の高台にある歌碑。ここから岩手山がよく見える。

        さわやかな小春日和の 姫神山 薄霞していともやさしき

 

 姫神山と登山口駐車場

 

 

 

 

 頂上からは岩手山がよく見えます。啄木の好きだった山は姫神山か岩手山か?    

 そういえば、岩手山の登山口には宮沢賢治の歌碑があった。それに、なぜか芭蕉の句碑まであったが、これは、俳句研究会の人たちが建てたものらしい。

 姫神山頂上から見る岩手山。

 

 駐車場付近に咲いていた月見草。ちょっと時期はずれなのだが・・・。

 

 これはウメバチソウです。島根県では、船通山で見かけます。

 

 リンドウ。この花も近年少なくなってきました。

 

 姫神山は早く終わった。近くにまだ200名山はあるが里心がついたので帰ることにする。東北自動車道滝沢I.Cから北上Jctまで南下し、秋田自動車道で秋田港に向かう。秋田港からフェりーで帰る予定が、何と出航は隔日とのことで、明日まで待たねばならない。フェリーをあきらめ、日本海沿いをさらに南下道の駅象(きさかた)で車中泊とする。ここで泊まるは3度目か?。海沿いにあり、温泉がある。鳥海山が望める。

 象潟は、芭蕉奧の細道でも有名。

             象潟や 雨に西施が ねぶの花

 海岸に西施の像がありちょっとした観光地になっている。西施とは、古代中国の美女。傾国或いは傾城(けいせい)の美女とされる。その美女を見下ろしながら温泉に浸かり、湯上がりのビールで一人乾杯する。明日は松江に帰れそうだ。

 これで、09年度の200名山は打ち止めとする。次年度2010年は、50山くらいは登りたいと思う。2011年に200名山を終え、その後は、300名山に向かう予定です。

 2010年1月1日は、富士山頂。その後、各地のスキーゲレンデを巡り、チャンスがあれば各地の山々の頂上に立ちたいと思っています。

 よいお正月をお迎えください。

 門松を作ってみました。まあまあのできばえでしょう?口を開けて笑っているような感じがいいですね。コツは竹を斜めに切ること。チェンソーで切りました。

 

 

 

 

 

 


200名山北海道編その3

2009年12月06日 | 200名山・300名山

 芦別岳、夕張岳、駒ヶ岳  

 日高山脈の秀峰2山(カムエクとペテガリ)は、事前の情報収集不足のため登れず一路次の山々を目指す。日高山脈に沿って南下する。途中、太平洋を見る。久しぶりに海を見たような気分になるが、同じ海でもなぜか日本海とは受ける感じが違うのはなぜだろう。 この日は移動で一日が過ぎる。やはり北海道は広い。太平洋岸の道の駅「三石」で風呂に入り車中泊。風呂付きの道の駅には大変助かる。ついでにコインランドリーもあれば言うことなしだ。マイカーで長旅をする者は誰でもそう思うだろう。 

 28日(月)芦別岳登山口のキャンプ場に着く。長い移動だったがその間今までには見なかった新しい北海道を見たような気がする。驚かされたのは牧場とそこで育てられている馬だ。広々とした牧場の中で、美しい姿をしたサラブレッドが悠々と育てられている様は一見に値する。田舎道の途中で、元農林大臣中川一郎の墓地標識を見た。こんな所にひっそりと葬られているのかと思うと哀れな感じがした。 

  キャンプ場。無料だが快適です。近くに富良野スキー場が。

 

 29日(火)、7時スタート。天気曇り、幾分風。紅葉の中を登る。

 呻吟坂のプレートが。 

  

 頂上は雲の中に隠れているが稜線のちょっと上の方です。

 

 険しい山、岩峰の多い山だとのイメージはあるがガスのため要領を得ない。登山道(新道)はきちんとしている。

 

 岩尾根のてっぺんが頂上。視界不良のため山の良さを知ることができなかった。

 

 頂上からしばらく降りるといつものように天気が良くなる。中央左手奧に富良野の街が。スキーで何度か訪れた街。まさかこんなに近くだとは思わなかった。富良野スキー場から反対側に十勝岳を見た記憶がある。

 

 芦別岳への道は新旧2つあり、現在では主に新道が利用されている。しかし、これは安全第一のためであり、地元の方々は結構旧道を利用されるようだ。後で聞いたのだが、旧道のユーフレ小屋から覚太郎コースの景色は素晴らしいとのこと。特に、秋の紅葉時分にはぜひ進めたいと、夕張岳で出会った女性の言葉でした。

 この日は、朝7時に登山口をスタートし、11時10分頂上、13時55分キャンプ場着となった。すぐにテントをたたみ、富良野の街を抜けて夕張岳に向かう。芦別岳と夕張岳は同じ山脈に並ぶのだが、登山口が山脈を隔てて反対側にあるので移動も大変。それでもこの日、明るい内に夕張岳登山口の駐車場に着く。森閑とした自然の中で一夜を過ごす。(北海道の方は、ほとんどが日帰りなので朝方に姿を現すことが多い。あたりまえのことだが・・・。)

夕張岳登山道の道路規制。知らないと大変なことだ。運が良かった。1日違いで入れないところでした。

 

  30日(水) 晴れ。6時30分スタート。しばらく行くとすぐに馬の背コースと冷水コースの分岐にぶつかり案内板が設置されている。夕張岳ヒュッテを見ておきたいので馬の背コースを行く。すぐにヒュッテにつく。季節はずれのせいか誰もいない。 

 

 ヒュッテの前から登山道に入る。後はいつものようにひたすら登る。まだ人の姿もないので静かなものだが、クマのことが少々気になる。北海道の山ならどこもそうなのだが、人の姿が無いということはその分だけ原始に近いような気分になる。シーズンには駐車場もないほどの人で賑わうそうだが、そんな雰囲気など思いもよらない程に静まりかえっている。クマに関しては、大雪の縦走時に糞をよく見かけたが、姿を見ることは無かった。他の山ではクマ出没の看板はよく見かけたものの、姿はおろか糞のかけらも見なかった。それでもと思い、クマ避けスプレーは持参していた。もちろん、鈴と笛も。ひとしきり登ると冷水コースとぶつかり、間もなく視界も広がりだして望岳台に達する。途中、シラネアオイの群生地の標示あり。シラネアオイが咲くのは雪解け後の初夏頃から盛夏にかけてだから、今はもう姿形は失せて一面は荒れ野のよう。頭上に迫るのは前岳。芦別岳が見える。前岳を回り込むと、景観が目に飛び込む。これが夕張岳の良さだろう。

 中央奧が昨日登った芦別岳。

 

 頂上はまだ遙か先なのだが、何とも気分のいい登山道が続く。湿地帯に入り、さらに蛇紋岩特有のガレ道を行くようになると頂上は近い。

 雲が掛かるのが頂上付近。

 

 

 頂上直下に神社があり、この前を一息頑張れば頂上。

         

 

10時15分、頂上着。すぐにガスにおおわれ、視界不良。ここ数日頂上での好天に恵まれないのは残念だが登れただけでもよしとしなければいけない。

 頂上よりの景観。中央辺りが前岳。まだ晴れていた。この後ガスが。

 

 下山途中で何人かの登山者とすれ違う。ここも人気の山なのだ。帽子にたくさんの登頂記念バッジ(私の方が断然多いけれど)を付けた女性としばしお話。昨日登った芦別岳のことを聞かれた。この時期は、新道よりも旧道の方が遙かに素晴らしいとのこと。自分たちはいつも旧道から登りますとのことだった。なんだか損をしたような気になったものだ。13時15分、駐車場に帰り着く。

 すぐに夕張市へ移動する。途中閉校となった学校の前を通り過ぎる。財政難のせいなのだろう。「さようなら○○小学校」の文字が痛々しい。案内書にあったユーパロの湯で汗を流す。前の広場に大煙突が。

 

 

 

 すぐ近くに映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地があるというので行ってみる。それは、ちっとした高台にひっそりと残っていた。財政破綻の折、撤去の話が出たそうだが・・・。

 

 ロケに使われた建物(当時の炭鉱労働者の住宅か?)がそのまま記念館となって残されている。中に高倉健と倍賞智恵子のマネキン人形がいる。黄色い紙にはフアンの言葉が記されている。

 

 

 

 懐かしい映画です。

 

 この日は高速のPAに泊まり、翌1日駒ヶ岳を目指すことにする。またまた長い移動となる。

 10月1日、太平洋岸沿いに車を走らす。この道を行くのも2度目となる。たぶんもう一度は通ることになるだろう。駒ヶ岳は見る方向によって山の形が大きく異なる。普通写真で見るこの山は、親指を立てたような形である。しかし、長万部方面から見るこの山は、駒ヶ岳1131mと砂原山1113mを対にして見ることになるからその二つの頂を結ぶ稜線が美しく特徴的である。しかし、どちらから見るにしても秀麗という言葉が似合いそうだ。ただ残念なのは、登山規制があること。

  

 

 大沼からの駒ヶ岳

 規制にあるとおり、一人での登山はできない。いつかチャンスが訪れたら登れることもあるだろう。私の200名山は、この後、津軽海峡を渡り東北編となる。それは、白神岳、森吉山、姫上山である。

 09年の北海道はこれで終わった。来年2010年は早めに北海道に渡り、残雪と花々を堪能したいと思う。もちろん、今回登り残した200名山カムエクとペテガリ、それに300名山も。


200名山北海道編その2

2009年12月05日 | 200名山・300名山

 天塩岳、石狩岳、 

 22日(火)、道の駅サンフラワーで朝を迎える。昨夜、雨が降ったらしい。ナビに導かれて手塩岳に向かうが、洗濯物もたまったので旭川のコインランドリーに入る。 北海道に来て、第一回目の洗濯だ。午後4時、天塩岳登山口着。立派な山小屋があるが無人。中はきれいに整頓され、たき火もできる。人のいない山小屋はあまり良い感じがしないので、やはり車に寝ることにする。小屋にランプでもあればいいのだが、夜は真っ暗闇となるのでいやなのだ。この点、テントの方がまだましだ。      

 古い話になるが、かって、大山(鳥取県)元谷に古い山小屋があった。今ある小屋は新しくできたものだが、かってはもう少し下手の宝珠尾根側にあった。若い頃の山はいつも大山だったのでこの小屋はよく知ってはいたが、あまり泊まる気にはならなかった。何か独特の、山小屋の隠された迫力のようなものを感じていたからだ。 ある日、なぜかこの小屋に泊まることとなった。夜遅く友人と2人で元谷に入った。ちょうどお盆だった。二間あったように記憶している。造りは頑丈だったが無人小屋なので明かりなどありはしない。日が暮れれば、その時点で真っ暗闇。ちょうど、滝谷出合いの小屋に似ている。 この小屋については、色々な話があった。しかし、そんなことは誰か山の先人たちの造り話と気にはしていなかった。夜は深々と更け、物音一つ無い。しかし、なぜか寝付けずただただ悶々としていた。目は、明けても閉じても見えるものは同じ闇だけ。ただ、時折、かすかに物音が聞こえる。それは、動物の歩く足音なのだろうか。ポキ、ポキ小枝を踏みしくような音だ。色々な妄想が頭をよぎる。すぐ隣に寝ているはずの友人は、本当にいるのだろうか。寝息もない、寝返りも打たない。もしかしたら死んでいるのではないだろうか。などとあらぬ事ばかりが頭をよぎる。 意を決して声をかけると、すぐに返事があった。「トイレに行こう」と誘いヘッドランプの明かりを頼りに外に出る。当然、小屋の中にもトイレはあるのだが、あまり使うことはなかった。 外はブナの林。ヘッドランプの明かりに、巨大なブナの木が魔物のような影を付けて無言で立っている。早々にすませ寝床に潜り込む。 朝、人の声で目が覚める。何で騒いでいるのかなと思った。出て見るに、朝早い登山者が、首つりを見つけたのだ。そう、小屋のすぐ前でぶら下がっている。昨夜小便をしたあのブナの木で。 どうもそれ以来、山小屋は怖いところだというイメージが心の奥底にできているらしい。 

 写真後ろに山小屋が。素晴らしい小屋ですよ。

 

 23日(水)、5時30分歩き始める。5時は暗いのだが、5時30分ともなると明るくなる。しばらくは沢の流れに沿って進む。この流れは、天塩川源流のそれらしい。古くは、この沢をつめて頂上に達したようだが、今は新しい道が開かれていて旧道分岐から前天塩岳に登ることができる。ただ、標高700mの登りだ。 幾分紅葉の始まった山道をひたすら登る。7時50分、前天塩岳頂上。

 

白く枯れ果てたハイ松が痛々しい。眺望抜群の頂上なのだが、遠山には雲がかかり幾分残念。近くの山々に始まりつつある紅葉を楽しみながら尾根を歩く。9時05分天塩岳頂上に立つ。

 

ここから見る前手塩岳の紅葉は美しい。ゴゼンタチバナの草紅葉も期待していたのだが、時期が悪いのか知らないがこれというものにはぶつからなかった。

 頂上より。右下に避難小屋が見える。 

 

意外に早い頂上だったが、余裕を持ってブラブラ下る。立派な避難小屋があったが水場はないようだ。まあ、あまり贅沢は言えまい。これくらいの距離なら担いで登ればすむことだろう。丸山というなだらかな山から別れを惜しみ下山する。 11時55分、愛車にたどり着く。今朝は見なかった車が数台停めてある。やはり人気の山なのだろう。 午後より青空が広がり始めたのは少し残念だが、次の山に期待を託して車を走らす。目指すは、石狩岳。

 24日(木)、昨晩は層雲峡駐車場で車中泊する。無料駐車場なので気分が良い。観光客でごった返してはいたが、温泉にも入れたし、気分のいい食堂で食事もできゆったりとした時間を過ごせた。層雲峡は、大雪山へのもう一つの登山口だが、旭日温泉側より観光客は多い。ここからもロープウエイが出ていて、黒岳までは短時間で行ける。 さらに、銀泉台へのバスも出ている。大雪山に詳しい人は、バスで銀泉台まで行き、白雲岳~北海岳~黒岳とつないぎ、最後はロープウエイで層雲峡に帰るコースを取るらしい。銀泉台から白雲岳まで意外に早いと白雲荘の小屋番に聞いた。 この日は、観光で時間をつぶし、夕刻石狩岳登山口に移動し車中泊とする。

 石狩岳、ニペソツ山への道路標識。両山の登山口はここを入って間もなく分かれる。  

 

 25日(金)、5時30分スタート。風弱く曇り。沢音を聞きながら歩く。道ははっきりとしているのでまず迷うことはないが、ここは北海道。ヒグマは怖い。笛を吹いたり、声を出しながら歩く。小さな沢を渡るといよいよシュナイダーコースの始まり。

 

外人さんの名前を付けた登山道は珍しい。それだけ特徴(急登)のある道だということか? しかし、この程度の登りなら、全国各地ざらにあるからそう気にしないでいい(?)。問題は天気だ。8時10分尾根分岐に立つ。

 シュナイダーコースと石狩岳との分岐

 

シュナイダーもクリアーしたのでホッとしたのだが、一面のガス。頂上など見えはしない。よくあることだとあきらめながら尾根道を進む。9時45分、石狩岳頂上。

 狭い頂上です。

 

 相変わらず何も見えない。  石狩岳から沼ノ原を経由して化雲岳~天人峡へのルート、または、化雲岳~ひさご沼~トムラウシへのルートがあり、思うにこれらのコースは、楽園中の楽園を堪能できる北海道ならではの超贅沢なものらしい。花の時期、紅葉の時期はどんなだろうかと思っただけで胸が高鳴る。 そんなことを考えていたら、一瞬ガスが切れて、視界が広がる。今登ってきた尾根道が見渡せる。見ると、シュナイダーコース分岐近くにテントが。登山者もポツリポツリと見える。写真を撮り下山とする。

  中央下辺りの黄色いテント。その手前がシュナイダーコース分岐。後ろの山は音更山、ユニ石狩岳か?

 

 途中、数名の登山者と出会う。みな地元の方らしい。シュナイダーコースへ下る道を間違えたりしたが、徐々にガスも消え、下山とともに天気は良くなっていく。

 シュナイダー分岐から頂上が見えた。下山と共に天気は良くなる?

 

 樹林の合間からニペソツ山が姿を現す。明日はニペソツ山だが、天気はどうだろう。 

 

12時15分、無事下山。ますます天気は良くなる。このパターンは昨日と同じだ。意外と早い下山なので、近くをうろついてみる。石狩岳登山口横の車道を山手にしばらく進むと温泉がある。しかし、車は途中までしか入れない。道が流れで分断されているからだ。ライダーの男性が2名、クツを脱いで渡ろうとしていた。秘湯に浸かろうというのだ。私の車を見て、「その車ならこの川を渡れそうだ」という。水量もそう多くないから渡って渡れないことはないが、何かあったらいやだから引き返す。秘湯はいくらでもある。 すぐ近くに幌加温泉があるのでそちらへ行ってみる。この温泉も秘湯といえば秘湯だろう。宿の前まで車が入る。本当にひなびた温泉で、商売気のなさそうなばあさんが客と何か話していた。かってはニペソツ山への登山口として賑わったらしいが今はあまり利用されていないらしい。 秘湯には余り興味がないので、糠平温泉まで移動しホテルの温泉に浸かる。近くに資料館などあり見学する。夜は、国道273号線幌加の駐車場で車中泊。翌朝早めにニペソツ十六の沢登山口に移動する。 

 26日(土)、5時40分スタート。今日は少々歩く覚悟で出発する。なにせ、北海道では、「ニペソツ山に登らなければ北海道の山に登ったとはいえない」と言うそうだが、昨年、トムラウシ山に登った折、遙かにニペソツ山を見ながらこの話を聞いた。 気合いが入っているせいか調子よく高度を稼ぐ。結局この頂上に着いたのが10時で、下山下のが14時10分だから休み時間も入れて8時間30分掛かったことになる。一般に北海道の山はおおらかな感じの山が多いのだが、その中でもこのニペソツ山やトムラウシ山などは、幾分趣が違う。ただ、険しさにおいては北アルプスの方が遙かに勝るのだが・・。 8時40分、いよいよニペソツ山が姿を現す。その後、一度姿を消し再び現れ出すとと頂上は近い。天気は良いが、風は寒く、鼻水をすすりながらひたすら頂上を目指す。人気の山だけあって、前後に人の姿を見ることが多い。10時に頂上に立つ。昨日登った石狩岳はもう目に前。表大雪は雲がかかり見えないのは残念。 頂上は狭く、すぐ足下から断崖絶壁となって崩れ落ちているので結構迫力がある。頂上での憩いを堪能した後、下山とする。久しぶりに山らしい山に登った気分になった。途中何度か腰を下ろして休んだ。 これで大雪山系の200名山は終わり、明日から日高山脈の山々を目指すことになる。帯広市近くの道の駅「しほろ温泉」で汗を流し、ここで車中泊とする。 

        ニペソツ山 ここから頂上までは意外に早かった

 

  登って来た道を振りかえると・・・。

 

                                                           27日(日)、今日はカムイエクウチカウシ山の登山口までとする。カムイエクウチカウシ山、通称カムエクである。かって福岡大学の学生3名がクマに襲われ命を奪われた山としても有名。日高山脈には100名山では幌尻岳、200名山ではこのカムエクとペテガリ岳があるが、なぜか200名山の方が何かと面倒。原因は、登山口までの足。その時期時期の新しい情報を入手しておかないと大変なことになる。 カムエクについては、例えば登山口までの道路事情が以前とは異なっていることなどだ。ペテガリ岳にしても同じようなことがいえる。この日は、とにかく車で入れるところまで行くことにする。

 

帯広市から、中札内村に入り札内川に沿ってさかのぼるのだが、途中、「幸福駅」とか花畑牧場(田中義剛氏の経営で有名)などがある。コインランドリーもあったので2度目の洗濯をする。 日高山脈山岳センターに立ち寄る。山に関して何か情報でも得られるかと期待したのだが、担当の係員が不在なため断念。川沿いは改修工事が進んでいるらしい。 改修間もないような道路を走り、トンネルを抜けると間もなくバリケードで行き止まりとなる。車が数台停めてあるのは登山者のものだろうか。ここは釣り師も多いようだ。 カムエクへは、ここから歩き始めることとなるが、以前はもっと奧まで車が入ったようだ。その証拠に、道はまだ奧へと続いている。ただ、これより先へは落石が多く、入れませんとのこと。 少し引き返すと、札内ヒュッテという山小屋が道路脇にある。無人小屋だが、立派なものだ。小屋に置いてあった雑記長に、この小屋を朝早く出発し、カムエクに登ってその日の内にここまで帰ったとあった。ただし、文章の端々から、かなりの困難が予想され、かなりの体力が必要と思われた。普通一泊か、2泊のコースで、徒渉がある。さらに、よくクマが出没する場所でもあるらしい。 結局、今回はカムエクとペテガリ岳への登山はやめることにした。ペテガリへの登山口は分からずじまいだった。来年、300名山と合わせてゆっくり登ることにする。  


200名山北海道編(その1)

2009年11月28日 | 200名山・300名山

 北海道編(その1) 樽前山、暑寒別岳

   *未完成ですが、順次写真や文章を入れていきます

 
 200名山は北の山々から始める。北の山ー北海道には10座ある。今回は敦賀港からフェリーで苫小牧を目指す。もちろんマイカーを乗せて。  

 09.9.12日(土) 長いようで意外に短い船旅は、苫小牧港で終わる。20時30分、暗くなった日高自動車道を苫小牧市に入り、市役所手前より国道276号線の樽前国道に車を走らせる。 21時50分、モーラップ樽前荘前の駐車場に到着。近くにキャンパー用の駐車場もあったが、夜も遅いのでこの駐車場隅に車を停める。きちんとしたトイレもあり車中泊にはいい場所だ。この山荘はなぜかライダーが多い。
                                                                                                     樽前山1041m 

        中央左が樽前山 右が風不死岳(支笏湖畔より)
      

       恵  庭  岳

 

                                                          翌13日(日)、早々に登山口へ移動。登山口は、樽前山7合ヒュッテ前にあった。この山小屋前にも駐車場とトイレはあるのだが、7号目と言うだけあって山の中だ。夜遅いと道を間違えやすいので要注意だろう。 7時スタート。頂上はいわゆるてっぺんにあるのではなく、外輪山の最高地点にあるので時間的には問題ない。ガイドブックによれば50分ほどの登りである。 小雨とガスを気にしながら登る。途中、イワブクロ(樽前草)を見る。

                  イワブクロ(樽前草)

                     

                      シラタマノキ

            

 外輪山に立つと景色は一変。目の前、カルデラの中に黒く不気味な溶岩ドームが現れる。そのドームから白い噴気が風にあおられ狂ったように流れている。こんな迫力のある山の光景は今までお目にかかったことはない。恐ろしや恐ろしやだ。

 樽前神社

  

  西峯

  

 東山が一応の頂上だが、遠くに見える西山まで行く。今日は天気が悪く風も強いので外輪山を周遊する人はいない。風の強さに加えて手が冷たくなってきた。手袋を持ってこなかったのがいけなかったのだがしょうがない。ストックを持っているのでズボンのポケットに片方ずつ交互に手を突っ込み暖めながら歩く。 

 8時10分、西山頂上。風も強く天気も良くないので風不死岳への道に未練を残し来た道をすぐに帰る。風はますます強まり、体ごと持って行かれそうになるのに耐えながら何とか西山分岐までたどり着く。今日はちょっと危険な山歩きだった。この風の強さは、富士山以来かもしれない。樽前山は小さな山だが恐ろしい山だった。今度登るときは天気の良い日にしよう。そして、風不死岳まで縦走しようと思う。

 樽前山を終え、支笏湖畔で一休み。ここから先ほど登った樽前山が見える。湖を隔てて風不死岳、その奧に樽前山、右手のとがった山は恵庭岳。 少し暇があったので後ろの紋別岳866mに登ってみる。北の方角の山々はよく分からないが、南の方角風不死岳と恵庭岳の間遙かに見えるのは駒ヶ岳だろう。これも200名山だが、登るのは後になりそうだ。 20日(日)、大雪山系の縦走を終え暑寒別岳に向かう。   

                 暑寒別岳1491m


 


 20日(日)、大雪山系の縦走を終え、一路暑寒別岳に向かう。昼前、南暑寒荘登山口駐車場着。 テント場は明るく清潔。芝の上にテントを張れるので快適に過ごせそうだ。時間があるので下見がてらに雨竜沼湿原まで歩く。

                  右手奥に暑寒別岳が
  

季節が季節なら、雲上の別天地かもしれないが、今はもう枯れ果てた草地の中に果てもなく木道が延びているだけ。尾瀬沼を思わせるがそこまでの広さはない。 
 目指す山頂は遙か彼方に見るゆったりとしたあの山だろうか。湿原展望台当たりから引き返す。秋色濃い湿原だが、よく見ると隠れるように秋の花が咲いていた。春のあの華やかさには遠く及ばないが、「そこはかとない美しさ」が漂っている。そういえば、昨年訪れた尾瀬沼によく似ている。
 

21日(月)、5時キャンプ場をスタートする。まだ薄暗く天気ははっきりしない。クマ出没の立て看板を横目に、昨日歩いたコースを急ぐ。なにせこのコース、案内によるとかなりの時間を要するようだ。明るい内に帰るには早立ちが一番。
 湿原に延びる木道には、霜が降り白っぽく光る。その上に足跡を残しながら歩く。

 

 

誰もいない早朝の大気の中、ポクポクと足音だけが響きわたる。天気は良さそうだ。
 昨日やってきた展望台には7時に着く。ここから南暑寒別岳頂上までがやけに長く感じられたのはどうしてだろう。だらだらとした登りで、何度も期待を裏切られながらよれよれになって展望の効くピークに立つ。ここで朝食。やれやれだが遙かに見えるのは利尻富士のようだ。しばらく休んだ後出発する。なんと、南暑寒別頂上は、ここから数分歩いたところだった。深田久弥はこの登りを「急なのか、ゆるいのか、なんだか要領の得ない長い登りであった」と書いている。 

 南暑寒別岳                               

 雨竜沼湿原を一望に

 湿原の彼方、大雪山系の山々が・・・

 南暑寒別から暑寒別岳を望む


 登りが終われば下りとなるのは必定。ロープの固定された急な坂道を慎重に降りる。最近整備されたような、よく刈り払われたネマガリザサの中を行くと、いよいよ暑寒別岳への最後の登りだ。右手遙かに、手つかずの湿原が美しい広がりを見せている。あそこへいく道はなさそうだからきっとクマたちの楽園なのだろう。人の踏み込まない土地があることは良いことだと思った。

 手つかずの湿原 右手は南暑寒別

 


 途中単独の登山者とすれ違う。奥方が下山口に車を回して待っているとのこと。うらやましい限りだ。
 10時40分、暑寒別岳(1491m)頂上に立つ。360度の大パノラマだ。目立つのは山形の整った羊蹄山・シリベシだ。樽前山らしき山も見える。
 日本海白っぽくややかすみがちだが、視界ぎりぎりの海上遙かにぼんやりとではあるが利尻富士が浮かんでいる。その手前の島影は天売、焼尻島らしい。
 北から東に目を移すと、幾重にも重なる山脈が延々と延びている。大雪山系を中心とした山々だろうか。これから向かう天塩岳や石狩岳、そしてニペソツ山等もあの中にあるのだろう。
 程なく反対側の登山口から一人二人と登山者が姿を現す。しばし山のお話をしてから下山とする。登りに5時間40分掛かったから下りは5時間程度と予測する。
 途中、遅れて登って来た2人連れとすれ違い、話し好きの男性としばし情報交換をする。彼らも200名山に挑戦中なのだが、驚いたことに300名山もついでに登っているとのこと。上には上がいるものだと感心して別れる。13時10分、南暑寒別岳まで帰り一安心。ここで遅い昼食とする。途中、水の流れもあったので補給の心配が無かったのはよかった。
 14時30分、雨竜沼湿原に降り立つ。長い木道を歩く。まだ日も高いので人影を見る。16時05分、南暑寒荘キャンプ場に着く。結局、休み時間も入れて11時間05分掛かったことになる。ガイドブックでは、登り7時間40分、下り7時間計14時間40分となっている。これはよほどゆっくりとしたペースだと思う。
 今日はここでもう一泊するつもりだったが、予定より早く降りたのでテントをたたむ。温泉にでも入ってビールを飲みたいのだ。
 車で雨竜町まで下り、温泉を探す。運良くサンフラワーという温泉着きの道の駅にぶつかる。風呂に入り汗を流し、雰囲気の良いレストランで食事をする。明日は手塩岳だ。 

   北竜町 道の駅 サンフラワー北竜 温泉もあり車泊には良いところ

 


 22日(火)、道の駅サンフラワーで朝を迎える。昨夜、雨が降ったらしい。ナビに導かれて手塩岳に向かうが、洗濯物もたまったので旭川のコインランドリーに入る。
 北海道に来て、第一回目の洗濯だ。午後4時、天塩岳登山口着。立派な山小屋があるが無人。中はきれいに整頓され、たき火もできる。