知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

功利主義とリバタリアンから、考える力を養う。

2010年04月21日 | 国家論
サンデル教授の講義は、アンコールがあるらしいので
時間がある人は見ておくとよいと思います。
http://www.nhk.or.jp/harvard/


 功利主義とリバタリアニズム(自由主義、国家の干渉を排除する考え)の考え
についての議論が進んでいます。

功利主義は、ここでもざっくり触れたことがありますが、
 最大多数の最大幸福
の考え。

 みんなが利益になることなら、少数派がマイナスになっても是認できる。
ベンサムやJSミルの考え方。

お金持ちからたくさん税金を取って貧乏なたくさんの人に分けることも許される。

リバタリアンは、
 自由を重んじる
ので、
 お金持ちからたくさんの税金を取ることは窃盗と同じだ
と考える。

お金持ちは、夜も寝ないで努力して勉強していた。
そうやって、スキルをアップさせていった。
それによって、たくさん賭ぐようになった。
貧乏な人が恐れてやらないことをリスクをとって、お金をもうけた。
貧乏な人がパチンコをやっているときにも働いて、お金をもうけた。
そのお金を、遊んでいた貧乏な人に分け与えろって?
国が強制的に!
それは、窃盗と同じだよ。

確かに、金持ちが不正な方法で儲けたり(取得の正義)、
独禁法に触れるよう不正な市場を作って儲けたというのであれば(移転の正義)
国が干渉してもいいと思うけど、
 適切な方法で儲けた分について、国が取り上げるってのはどうなの?

これが、リバタリアンの考え方。

*****
このブログを読んでくれている人は、
 僕の思想が、リバタリアン的である
と感じられると思います。
ただ、僕は、自分で功利主義者でもあると言っている。
このように、僕の考え方は、一見矛盾しているわけです。
ここが、僕の考える正義論ですが、この点について触れすぎると
サンデル教授の授業がつまらなくなってしまうので、
こういった考えが矛盾することなく成立するかは、いずれ書いておきます。
*****



功利主義は、
 みんなが幸せになる
ことを重視する。

そのため、みんなが幸せになるのであれば、税金を取っても大丈夫。
功利主義の問題点はいろいろあるのですが、
 みんなの幸せ(効用)は数値化できるの?
というのが、最大の問題点。
ミルは、それを研究した人。
もう一つの問題点は、
 みんなの利益になるなら、本当に少数の人の負担を課すことが許されるのか
ということ。
餓死しそうな5人を救うために、1000万円稼ぐ1人から500万円を徴収して、100万円ずつ渡す。
→まぁ、許されるかもな・・・
失血死しそうな5人を救うために、健康な1人から1500ミリリットルを採血して、300ミリリットルずつ輸血する。健康な人は健康を害する(死のリスクも)。
→うーん・・
病死そうな5人を救うために、健康な1人から臓器を摘出して、それぞれに移植する。
5人は助かるが、一人は確実に死ぬ。
→えっ死ぬの!!

数値化の点は置いておいて、
両者の最大の対立は、
 みんなの利益のために少数の人の負担を認めることができるか
という点なので、
この点について、考えてみると、思考のトレーニングになると思います。

これは、社会というもの、そして、正義というものを考える際に
 とても興味深いテーマ
です。

これを考えることによって、
 日本が、世界が最近陥った資本至上主義
 株価を上げてセレブになる手法
 脱税がはびこる国家
 閉塞感いっぱいの社会
 貧富の差の拡大
 ・・・・
こういった社会問題を考える際のツールになります。



功利主義やリバタリアンの考え方を知っている人と、知らない人とが
 ともに社会問題を話し合ったところで
 議論がかみ合わない
と思います。

わけがわからないからです。

日本の国会が何も解決することができない理由はここにあります。
 功利主義やリバタリアンの考え方を説明してください。
といっても、あまり知らない国会議員が多数だと思います。

知的成長がすさまじい
 ベンサム・ミル・ノージック(リバタリアンの大御所)が長年研究してきた知
を拝借して、
 今後の社会に役立つ戦略を立てる。

これが、社会が発展するということだと思います。

前にも書いたことがありますが、
 絶対的な正解はない
ので、
 日本がどういう正義を選択して、
 どういう国家を作り上げるか
を話し合いで決める。
これが、国会の仕事。

ベンサム的国家。
ミル的国家。
ノージック的国家。

絶対的な正解はない。

そこに住んでいる国民が幸せであると感じる国家を選択し、作り上げていけばよい。
一番悪いのは、
 何を目指しているかが分からず、
 場当たり的に国家ができてしまっている
状態です。

こういう国家は、ふりこのように振り回されて破たんする。




これは、個人にも言えることだと思います。 
 利用できるものは、親でも使え
と言われているように、
 自分が幸せになるように利用できる先人の知恵を使う
わけです。

だからこそ、大学などで、高度な知を吸収するわけです。
講師の教えるスキルが乏しければ、本から学ぶ。

これが、僕が考える知的成長です。


僕は、知の習得が
 すごい面白い
し、うまく利用すれば、
 人生をうまく生きるためのツールになる
ということを、もっと、大学が伝えるべきだと思っています。

今の大学は、なくなっても大して社会に影響がない。
法学部生は資格の学校に行っている。
文学部生は自分で好きな本を読んでいる。
経済学部生は、サークル活動に明け暮れている。
偏見ですが、長年付き合っている上司が何学部であるかを
 上司のスキルから推測することは難しいはず
です。
その上司は大学にあまり行っていなかったからです。
さすが経済学部だな、さすが法学部だなと感じられないのは、
 知を大学では習得していなかった
ということです。

理由は、大学の授業がつまらないからです。
サンデル教授がいっぱいいれば、日本ももっとよくなるはずです。
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