知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

大変だけど、もっと楽しむ。

2010年02月27日 | 自分の未来を組み立てる。
僕が今後も検証していきたいという仮説は、
 人は知的に成長することによって、幸せになれる
というものです。

幸せの定義は人それぞれ(目的地)。
置かれている環境、それまで過ごしてきた時間、先天的な能力も人それぞれ(出発地点)。

でも、適切な努力を続けることで、
 どんな人も自分が設定した幸せに近づくことができる。

その人の幸せがお金であれば、
 お金を稼いでいる人の経験を学んで自分に生かす
ことで達成できる確率が高くなる。

その人の幸せが心の平穏であれば、
 平穏な生き方をしている人の思考方法を学んで自分に生かす
ことで達成できる確率が高くなる。

目的は人それぞれ、自分で設定する。
そして、設定しなければならない。
誰かに言われて設定した目的なら、自分の意思もそうか考えた方がよい。

例えば、
 親に●●大学に行きなさい。
 お父さんも、お兄さんも行っているのだから。

この場合、根拠は、お父さんもお兄さんも行っていることのみ。

これだけで、決めるのはリスクが高すぎる。
自民党の欠席戦術と同じ(愚策であったことは、前に書いておきました。この程度の政治家が外交戦略を立てられるわけがない)。

そこで、
 自分で、●●大学のオープンキャンパスに行ってみたり、
 卒業生の就職のデータを見たり、
 希望の学部があるかをチェックしたり、
 名物教授(売れている本を書いている人や各資格の試験委員・・・資格を目指しているなら絶対に有利←これは、とっても使える情報なのでまた書いておきます。)がいるか、
 同級生の印象(大学のカラー・・会わないところに行くと、ストレスがたまるかもしれない←これは、会社でも同じ。猛烈な会社にのんびりな人が入るとうつ病になりがち。)
こういった情報を集めて、
 自分の頭で考えて、
 自分の設定した「幸せ」に近づく手段として、その大学がふさわしいか
を判断しなければならないと思います。

なぜなら、
 80年程度の人生の中で、大学に通えるのは、原則として1回だから
です。
それ以上の回数を通うためには、時間と費用のロスを覚悟しなければならない。
相当の決意が必要となります。

その貴重な4年間を費やすのに、相応しい場所かを考えるわけです。



卒業後は、●●大学卒という肩書がもらえます。
ただ、履歴書に書いたり、何気ない会話で使える程度の価値しかありません。
松阪牛みたいにタグで管理されるわけではない。

これからは、費用に対する価値が問われる時代なので、
 給与に見あう価値を提供できる人材であるか
のほうが、学歴よりも重視されることになります。

どういうことかというと、
 学歴というのは、ブランドのきれいな箱
にすぎないわけです。

ブランドのきれいな箱に入っている以上、
 一応価値のある商品なんだろう
という推定が働きます。

しかし、企業に余裕がなくなると、いくらブランド物だとはいえ、
気に入らない商品が混じっていては大変だと思うようになります。
絶対に、使えない商品は手にいれたくない。
そうすると、チェックが厳しくなります。
バーゲンセールでも、ブランドの服を買うときに、
 いくらお気に入りのブランドが安くても、着る機会がない服を買わない
のと同じ。

 箱を開け、商品を吟味し、試着してみたり、信頼できる人間に値踏みしてもらって
ようやく買うことになるわけです。

人の場合も同じです。

大学期間中に、
 きちんと勉強してきたか、
 知的に成長しているか、
 カネを生み出せる人材か、
 お客さまに失礼なことをするおそれはないか。
いろいろ、チェックされることになるはずです。

このようになってくると、
 ●●大学をお父さんもお兄さんも卒業し、きちんと大手に就職できたから、
 あなたも●●大学に行きなさい。
という理由は説得力がなくなってきます。

これでは、滅んでいく商店街と変わりはありません。
 当時とルールが変わっている
のです。

 ネットで物が買えなかった
 大型ショッピングモールもなかった
 そのため、何もしなくてもモノが売れた
そんな時代の行動形態を続けていたら、潰れて当然です。

「原因」と「結果」の法則が働くからです。

何もしないという不作為も、作為(行動)と同じように
 法則にしたがった結果を生む
ということです。

「原因」と「結果」の法則 ジェームズ・アレン著



アドバイスをくれる人の意見には素直に耳を傾ける。
そのうえで、その理由も聞いておく。
そして、自分で、変化した状況(外的な面)、自分の能力(内的な面)なども踏まえ、
自分の幸せ(目的)にとって、
 その決断が正しいかを判断する。

「原因と結果の法則」がうまく働くかを、自分の責任で判断する。
刑法では、「因果関係」で詳しく学びます(いずれ機会があれば、書いておきます)。

ここで大事なのは、
 すべての決断の責任は自分が負うことになる
ということです。

まさしく、自己責任。
絶対に言い訳をしてはいけません。
 お母さんの言うとおり、●●大学に行ったのに就職が決まらないし、人生めちゃくちゃだよ。

決断をしたのは、自分なので、自分で責任を取る。
アドバイスする人も、少ない情報に基づいて、アドバイスをしているにすぎません。
自民党の議員のように、判断する能力もないかもしれません。

だからこそ、自分で補充して情報を収集する。
その上で、自分で決断する。
そして、それに基づいて、精一杯努力する。
その後の結果を受け入れる。言い訳はしない。

僕は、知的に成長して、良い決断をしていけば、良い結果が得られると信じていますが、
ひょっとしたら、コントロールできないことにより、うまくいかないかもしれません。

でも、自分で決断し、精一杯やったんだったら、悔いは残らないはずです。
一番良くないのは、
 他人の決断に従って、自分で疑問を持ちながらやって失敗するケース
です。
これでは、他人のせいにしたくなっても、当然です。

でも、他人のせいにして、残りの人生を過ごしても、楽しくないのは自分です。
いい加減なアドバイスをした人間が寿命でなくなった後も、
 あいつが人生を台無しにした
と恨みごとをいって過ごしていかなければなりません。
むしろ、その時間のほうがもったいない。

人生は平均80年程度。体が自由に動く時間はもっと短い。
せっかく時間を与えられたのだから、
 悔いが残らないような生き方をした方がよい
と思います。

大変でも、自分で決めたことならば、きっと楽しめる。
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