子どもの死─あなたの未来を失うこと
配偶者の死─あなたの現在を失うこと
親の死─あなたの過去を失うこと
友人の死─あなたの一部を失うこと
私の出版社勤務現職時代のこと、いつも好好爺のように仰ぎ見ていた初代のN社長から会議で厳しい叱責と共に、部下に対する指導のことで印象に残っていることがある。一日の仕事でヘトヘトになる夕方、部下に注意を与えたり指導するときにはラーメンの一杯でも食べさせてお腹をいっぱいにさせてからやりなさいと云われていた。つまり腹が減っている時に若い人たちに叱責するのは若い社員には耳をもたない・・ということだろう。
先日亡くなった母親からも四六時中耳にタコができるほど云われていたことに、子供にはお腹いっぱいになるまでご飯を食べさせなさい・・・であった。子供はいつもお腹を空かせているから他はなくともご飯だけはいっぱい食べさせなさい、と。このことは母親からだけではなく、自分が小さい時に二人の祖母からも、ばぁちゃんちに遊びに行くと必ずお腹すいてないかと・・聞かれてたほど。母方の祖母は当時新発売のラーメンを手際よく作ってくれネギやジャコテンを乗っけてその上に生卵を落してくれるのが自分には驚くほどであったし美味しかった。もう一方の父方の祖母は農家でもあり家の裏に鶏小屋があったので、遊びに行くといつも小屋の生みたての卵を取って来て食べなさい・・と云われてたのを思い出す。今のような全体が食生活が豊かでもない時のこと、レトルト食品があるでもなくまして冷蔵庫が各家庭に在るような時代でもない。
子供は外を走り回り遊びまわるとお腹が空く、空いたら食べさせなさい。お腹を満たしておけばまっとうな考えも浮かぶだろうし成長もするだろう・・ということかもしれない。
確かに、今の時代でも刑務所にいる受刑中の人たちと面接をしていると7才から12才までの小学生時、満足にご飯を食べさせてもらえなかった受刑者もいる。腹が減った→食べ物の窃盗もある。
食生活は最も大事。我が家の子供たちにも妻がとにかくごはんをいっぱい食べさせようと努力をしていた。給料日の真っ先のお買物は、スーパーで安いお米の10kg袋を一月分6袋買ってきて床の間に積み上げることであった。
母親を見送った後、現在部屋の片づけを毎日やっている。妹と奥さんが中心。とにかく家具や衣類のほか最近はヘルパーさんが利用していた鍋や食器類など弟と母親の二人の生活の痕跡を片付けている。業者に一任すれば何もかもやってくれることは知っている。後片付けを葬儀社からもすすめられたがこちらでやっている。とはいうものの・・あまりにも膨大。私は車の運転だけで片付けには役立たず。
でも捨てるのは出来るだけやっておる。今日は金属類やガラスのゴミ収集日につきゴミステーションに持っていく。
すると
私の幼少時に実家で使っていたものがビニール袋にあった。お腹を壊していた時に母親がコトコトとおかゆを作ってくれてた行平や夜食に作ってくれた鍋焼きうどん用の小さい鍋。涙が初めて出た。息を引き取る前も棺桶に入ったときにも斎場での骨上げでも自分は涙が出ることなく押え切ってたけれどうどんの鍋を捨てるごみ袋の中に見つけた時に涙が止まらなかった。母親はいつもお腹を満たすように自分たちに作ってくれてた。車の中で恥ずかしくも泣いてしまった。私や弟に妹に貧しく豊かではなかったがいつもお腹を満たしてくれた母親が利用していた鍋を投棄した。
確かにE・グロールマンの言葉にあるように親の死は過去を失う。
配偶者の死─あなたの現在を失うこと
親の死─あなたの過去を失うこと
友人の死─あなたの一部を失うこと
私の出版社勤務現職時代のこと、いつも好好爺のように仰ぎ見ていた初代のN社長から会議で厳しい叱責と共に、部下に対する指導のことで印象に残っていることがある。一日の仕事でヘトヘトになる夕方、部下に注意を与えたり指導するときにはラーメンの一杯でも食べさせてお腹をいっぱいにさせてからやりなさいと云われていた。つまり腹が減っている時に若い人たちに叱責するのは若い社員には耳をもたない・・ということだろう。
先日亡くなった母親からも四六時中耳にタコができるほど云われていたことに、子供にはお腹いっぱいになるまでご飯を食べさせなさい・・・であった。子供はいつもお腹を空かせているから他はなくともご飯だけはいっぱい食べさせなさい、と。このことは母親からだけではなく、自分が小さい時に二人の祖母からも、ばぁちゃんちに遊びに行くと必ずお腹すいてないかと・・聞かれてたほど。母方の祖母は当時新発売のラーメンを手際よく作ってくれネギやジャコテンを乗っけてその上に生卵を落してくれるのが自分には驚くほどであったし美味しかった。もう一方の父方の祖母は農家でもあり家の裏に鶏小屋があったので、遊びに行くといつも小屋の生みたての卵を取って来て食べなさい・・と云われてたのを思い出す。今のような全体が食生活が豊かでもない時のこと、レトルト食品があるでもなくまして冷蔵庫が各家庭に在るような時代でもない。
子供は外を走り回り遊びまわるとお腹が空く、空いたら食べさせなさい。お腹を満たしておけばまっとうな考えも浮かぶだろうし成長もするだろう・・ということかもしれない。
確かに、今の時代でも刑務所にいる受刑中の人たちと面接をしていると7才から12才までの小学生時、満足にご飯を食べさせてもらえなかった受刑者もいる。腹が減った→食べ物の窃盗もある。
食生活は最も大事。我が家の子供たちにも妻がとにかくごはんをいっぱい食べさせようと努力をしていた。給料日の真っ先のお買物は、スーパーで安いお米の10kg袋を一月分6袋買ってきて床の間に積み上げることであった。
母親を見送った後、現在部屋の片づけを毎日やっている。妹と奥さんが中心。とにかく家具や衣類のほか最近はヘルパーさんが利用していた鍋や食器類など弟と母親の二人の生活の痕跡を片付けている。業者に一任すれば何もかもやってくれることは知っている。後片付けを葬儀社からもすすめられたがこちらでやっている。とはいうものの・・あまりにも膨大。私は車の運転だけで片付けには役立たず。
でも捨てるのは出来るだけやっておる。今日は金属類やガラスのゴミ収集日につきゴミステーションに持っていく。
すると
私の幼少時に実家で使っていたものがビニール袋にあった。お腹を壊していた時に母親がコトコトとおかゆを作ってくれてた行平や夜食に作ってくれた鍋焼きうどん用の小さい鍋。涙が初めて出た。息を引き取る前も棺桶に入ったときにも斎場での骨上げでも自分は涙が出ることなく押え切ってたけれどうどんの鍋を捨てるごみ袋の中に見つけた時に涙が止まらなかった。母親はいつもお腹を満たすように自分たちに作ってくれてた。車の中で恥ずかしくも泣いてしまった。私や弟に妹に貧しく豊かではなかったがいつもお腹を満たしてくれた母親が利用していた鍋を投棄した。
確かにE・グロールマンの言葉にあるように親の死は過去を失う。