年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

石巻から女川を走る

2014-10-25 00:00:00 | Weblog

 この地区がこれほどに。
女川では






 東松島を通り過ぎ女川へ。当時テレビの画面でよく見た光景である。しかし瓦礫もほとんど片付いて、建設重機械、ダンプがひっきりなしに大きい音を出して、高台から眺めるとさながら蟻の動きを見ているようである。けたたましく鳴り響く槌音高い光景は、何事もなかったようであるが、とてつもなく人々の心を一瞬にして凍りつかせた時間を経過している。自分が立っているのは、元医療センターの駐車場。この下の方には建物が横倒しになったままである。しかも3月11日のあの時津波がこの高さまで押し寄せて、しかも高台の地域医療センターにも私の背丈より高い波が押し寄せてきたことに言葉が出ない。自然はむごいことをする。そう思った。海岸部をずいぶん下に見通せる高台には、女川中学卒業生が東京で募金活動を行い、たくさんの石碑を作る計画があるとか。碑文には素直な中学生の人を愛おしむ文が千年先に向けて彫られてあった。


もう来ないんでしょう

2014-10-25 00:00:00 | Weblog


 今日のワークは仮設関ノ入団地4号棟のお茶っこから。仮設団地集会所で前もってパンフを配り,何人かに来てもらってお茶やお菓子を食べながらの四方山話の会。今朝は幼稚園園長である宮島星子先生にも来てもらって支援側4人と参加者お二人のお茶っことなる。私の横に座っているのは80を過ぎた方である。そして前の席には山内さんという水産会社で経理をしていた人。80歳の土門さんは愉快な方、耳が少し遠いのは致し方ない。ご主人さんは亡くなられているが、ご主人さんと同じ仕事、船に乗っているという。今日は徳島港に係留しており明後日石巻港に息子が帰ってくる・・などと楽しそうに話してくれる。ところでご主人とはお見合いネ、それとも恋愛ネ?などと聞くと土門さんが言うことに、インヤ、私らはバッタリ婚ダ~などとみんなの笑いを誘う。一方山内さんは、とにかく経理の仕事一切私がやっていた。資金繰りや税金関係など私一人でやっていたから神経を使う仕事だったヨ~などと誇らしく話してくれる。でも従業員さんが100人ほどいた3階からなる水産加工工場もすべて波で流されてしまって跡形もない。従業員は青森や新潟、山形の工場に行った・・と。いい会社、いい社長さんだったヨ~と3年7か月前までの会社を懐かしんで話してくれた。そして別れ際には、土門さんが、今日は楽しかった・・でもアンタもう来ないんでしょ・・と。スタッフさんに聞くと、たくさん来てそしてみんな帰っていくワーカーさんに、大人も子供も同じようにもう会えないんでしょう・・と話しかけるのだそうだ。震災がもたらした人との邂逅について石巻の方々はそのように感じている、と説明をしてくれた。
 次の仮設南境団地集会所は20人ほどの集まりであった。今日は落語会を予定している。



 熊本からボランティアで回っている中村文翔さんの落語。東北大出身で落研の人。結構皆さん笑ってくれたのがうれしい。でも参加者のほとんどが女性、男性はお二人だけ。自治会長さんにお聞きすると閉じこもっている人が多いとか・・。