YS Journal アメリカからの雑感

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Sparky Anderson

2010-11-06 07:12:43 | Obituary (蓋棺録)
好きだったり、影響を受けたりした人々(有名人で)が、最近亡くなる事が多い様な気がする。自分が年をとったので、当たり前の様な気もするが、取り敢えずカテゴリーに Obituary (蓋棺録)を追加する事にした。天寿を全うした人々の死は、お祝い事でもあるのでバチは当たらないだろう。人(英語の a person という意味で)の生と死は、表裏一体の様な気もするし、全く関係ない様な気もする。(どうでも良い事ではあるが)

ところで、Obituary の日本訳は「蓋棺録」だとずっと思い込んでいた。が、どうも「蓋棺録」は文芸春秋の造語のようだ。死亡記事の代名詞の様に使われている様なので、強ち間違っているわけでもなさそうだ。


元 Detroit Tigers の監督であった Sparky Anderson が亡くなった。1989年にデトロイトへ来た時の監督であったが、タイガースが弱い事もあり結局、一回もタイガースタジアム(数年前に取り壊しとなった)へ足を運んだ事も無く、実物にはお目にかかった事はなかった。(セシル・フィルダーが阪神タイガースから大リーグへ復帰して、ロジャー・モリス以来初(?)の年間50ホームランを打ったりと、それなりの話題はあった。)

当時から大リーグでは名物監督の1人であったので、ちょっと惜しい事をした。

後追いの様に思い出すと、日本にいた頃、それなりに知っていた Big Red Machine と呼ばれていた全盛のシンシナティ・レッズの監督でもあった。70年代に黄金期だったレッズは、ピート・ローズを始め、オールスター、殿堂入りした名選手が目白押しの素晴らしいチームで、日米野球で来日したりした選手も多かったので、私も何人かの選手は良く覚えている。

チャンスがあったのに、近づきもしなかった伝説の人であった。2000年に殿堂入りをしている。大リーグの監督としては初めて、アメリカンリーグ(タイガース)とナショナルリーグ(レッズ)の両方でワールドシリーズで優勝している。

そういえば、今年のタイガースに関しては、もう1人の伝説の人、アナウンサーの Ernie Harwell も亡くなっている。

タイガースの本拠地であるコメリカ・パークへは、勤務先がシーズンチケットを持っていたり、大リーグ好きの同僚に誘われたり、そしてタイガースが強かったり、対戦相手に日本人ブレーヤーがいたりしたので、ちょくちょく観戦に行っている。今年も出だしこそ好調だったものの夏場から急にダメになったので、結局、一回も観に行かなかった。先発ピッチャーは2人だけ、ラインアップも全然知らない体たらくだ。(因に、タイガースのロゴは、大リーグで一番カッコ良いと確信している)

伝説は強いチームで生まれ人の記憶に残っていく。元々近代野球の歴史が長く、選手、監督、アナウンサー、それぞれの経歴が長く歴史が多重構造になっていく野球は、いつまでもアメリカの Past Time であろう。

最後に、2006年のコメントを。

"I hate to break the news to football, but nothing will ever take the place of baseball. When it goes bad, call me. Because I won't be around, but I can be reached under the ground."

Sparky Anderson の静かな眠りが覚まされませんように。