暘州通信

日本の山車

◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 二四

2011年02月09日 | 日本の山車
◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 二四
 安政年間に、【花ノ本 八世 林□(□は文字なし)】という俳諧の師匠が伊丹郷町にしばしば招かれている。伊丹の俳人が出版した俳句集などにも名が見えるから、伊丹郷町の俳人らとは相当親しい交わりがあったようである。
 【花ノ本】とは、連歌、俳諧の世界で、頂点を極めたものに与えられる最高の権威と名誉の称号であり、【官許】である。この階位を授与する権限は京都の二條家にあった。
 連歌では里村昌琢がこの称号を授与されており、里村家がこれを受けている。俳諧では加藤暁臺が許しを得ている。暁臺は現在の名古屋中区の出身で、享保一七年九月一日の生まれ(一七三二) 、没年は、寛政四年正月二十日(一七九二) 。京都市の東山区に居住した。墓は名古屋市にある。
 生前の名前は、周挙、通称は平兵衛。俳諧の号に買夜子、他朗、暮雨巷などがある。宝暦十三年(一七六三)には、『蛙啼集』、安永元年(一七七二)に『秋の日』を刊行している。
 また、天明三年(1783)には、滋賀県大津市の幻住庵などで、松尾芭蕉の百回忌追善俳諧を興行し、『風羅念佛 法会の巻』を刊行した。
 尾張(愛知県)を中心に多くの門人がいたが、 越後の良寛の父、山本以南が暁臺と師弟関係を結んでいる。
 この【花ノ本 八世 林□(□は文字なし)】から、梶曲阜(かじきょくふ)、通称大和田屋金兵衛こと照顔齋に、【花ノ本】の照合を許す【官許】が与えられる報らせが届いた。

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