暘州通信

日本の山車

◆35224 日氏の系譜 一四

2012年08月24日 | 日本の山車
◆35224 日氏の系譜 一四

 これは仮説である。
 庚申信仰、道祖神信仰は、日氏につながるのちの氏族により東北上したと推定される。のちには、海神・綿津見氏、カモ氏、秦氏らの信仰の対象となったようで、同氏族らの旧地に見られ、九州、大阪府には四天王寺の庚申、茨木市の西国街道沿いに賽ノ神、に京都市では八坂の庚申堂、七条に道祖神、伊豆から小田原、相模にかけた一帯。埼玉県から、群馬県、長野県は連続し、安曇野の道祖神はよく知られ、一部は岐阜県丹生川村(現高山市)から高山旧市街にいたるが、高山市でも市内を流れる宮川(神通川上流)の西には見当たらない。上宝村にはかつて高原川上流域に若干見られたが、富山市には見られない。下呂市には僧円空が見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿を刻んだ青面金剛童子がある。下呂氏の庚申信仰は中津川市下野に連続する。
石川県は白山東北に金剛堂山があり、青面金剛童子を連想させるがどうも無関係のようである。相模から信州にかけては【道祖神祭】が知られ、山車が曳かれる地方がある。この地域の青面金剛童子の像顕されたものには六臂のものと八臂のものがあり、左手下部には髪の毛、あるいは赤児をぶらさげたものもある。綱に置き換わったものもあり、これを羂索と説明する例を見る。
 本来は赤児をぶらさげたものが形態的に古いとされる。
 茨城県笠間の道祖神は古来有名で、芭蕉の『奥の細道』では、暗に「道祖神の招きにあひ……」と記述される。秋田県に知られる道祖神はいささか趣を変えたものであるが、これは、【オオモノヌシノミコト(大物主)】の秋田支配の痕跡を示しているように思う。
 日本三庚申とよばれる庚申は、

・四天王寺 庚申堂 大阪市天王寺区。
・八坂庚申堂 京都市東山区。
・下野庚申堂 岐阜県中津川市下野。

 を言い、ときに浅草庚申堂(東京都台東区)が下野庚申堂と入れ替わる。下野庚申堂には山岡鐡舟書の扁額がかかる。
 このほか触れなかったほかにも庚申信仰は日本各地にあるが、その分布には著しい濃淡がある。
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◇日蓮宗系の庚申塔
2012/8/4(土) 午前 0:55
庚申塔なのか、他の信仰なのか紛らわしい石塔は色々とあります。 以前、猿田彦塔についての日記を書きました。 猿田彦は独自の信仰があり、さらに道祖神とも習合しており、 もっと困ったことに神道の庚申信仰では猿田彦を主尊としています。 猿田彦と彫ら ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha/30971353.html

◇双体道祖神と百庚申塔
2009/12/28(月) 午後 7:40
... 道祖神左方の百庚申塔  庚申信仰は干支(えと)の庚申(かのえさる)の行なわれる信仰行事、江戸時代に全国的に盛んになって、この地方にも庚申講が盛んになったようです。  神道では猿田彦大臣  仏教では青面金剛 を本尊としています。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/npcsk058/10862301.html

◇道祖神と里山公園の秋
2007/10/26(金) 午後 5:16
... 昨日(10月25日)市内の里山公園(芹沢)に行く道の途中に花が飾られた道祖神を見つけました。庚申塔は豊作や五穀豊穣、子孫繁栄を願い、辻の守り神としての役割も担っていた土着信仰であるといえるようです。ともすると迷信と片付けられて ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kychigasaki/51673841.html

◇庚申信仰>柳田国男『石神問答』より考察する
2006/3/12(日) 午後 11:07
... 庚申塔(庚申塚)が道祖神同様行路側に立てられていることが多いことから、道祖神(もともとは猿田彦神)との関連から庚申信仰を考察したと思われる。 猿田彦命は天孫降臨の際の道案内の神として活躍し、そのことが日本における天皇家の繁栄基盤となっ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kituno_i/28452637.html








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