◆17108 意布伎神社 更新
□所在地
滋賀県草津市志那町
□社名 志那神社
□祭神
シナツヒコノミコト 志那津彦命
シナツヒメノミコト 志那津姫命
□汎論
意布伎神社は延喜式神名帳、近江國一五六坐中、栗太郡に記載される八坐のうちの一坐。湖岸に面して鎮座する、近くの草津市志那中町に同じ祭神を祀る【惣社神社(しなじんじゃ)】がある。
近江の北部、美濃(岐阜県)との境にある伊吹山の山名は古代氏族・伊福(いふく)にちなむといわれる。伊福氏は湖北において製鉄に関わり、伊吹山の西北にある金糞岳は、鉱□(さい、文字なし)を廃棄したところだと伝わる。古代の農耕社会は略奪を免れるために武による保護は絶対で、一団となった協同社会である集落が形成されたところには氏神たる杜あるいは神社と武人集団があるが、武力の優劣はそのまま武具の優劣だったといえる。古代社会における鉄と製鉄技術は、刀剣、鉄鏃などをはじめ、農具、工具へと進んだと考えられるが、初期には大陸から【鉄□(てい、文字なし。金偏に廷)】がもちこまれ、奈良市の古墳などから副葬品として埋葬されたものが出土している。
ヤマトタケルノミコトが傷を受けた伊吹の戦とは、大和朝廷に屈しなかった強力な武力集団があったことをあったことを示していると考えられるが、その中心はおそらく伊福氏であろう。
琵琶湖東岸の草津に意布伎神社が鎮座するのは、伊福氏の一族が当地に及んでいることを示すものといえよう。祭神のシナツヒコノミコト(志那津彦命)、シナツヒメノミコト(志那津姫命)は、級長津彦、級長津比賣とも書かれるが。アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)とは同神とされる。
*
地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
20120820 更新
□所在地
滋賀県草津市志那町
□社名 志那神社
□祭神
シナツヒコノミコト 志那津彦命
シナツヒメノミコト 志那津姫命
□汎論
意布伎神社は延喜式神名帳、近江國一五六坐中、栗太郡に記載される八坐のうちの一坐。湖岸に面して鎮座する、近くの草津市志那中町に同じ祭神を祀る【惣社神社(しなじんじゃ)】がある。
近江の北部、美濃(岐阜県)との境にある伊吹山の山名は古代氏族・伊福(いふく)にちなむといわれる。伊福氏は湖北において製鉄に関わり、伊吹山の西北にある金糞岳は、鉱□(さい、文字なし)を廃棄したところだと伝わる。古代の農耕社会は略奪を免れるために武による保護は絶対で、一団となった協同社会である集落が形成されたところには氏神たる杜あるいは神社と武人集団があるが、武力の優劣はそのまま武具の優劣だったといえる。古代社会における鉄と製鉄技術は、刀剣、鉄鏃などをはじめ、農具、工具へと進んだと考えられるが、初期には大陸から【鉄□(てい、文字なし。金偏に廷)】がもちこまれ、奈良市の古墳などから副葬品として埋葬されたものが出土している。
ヤマトタケルノミコトが傷を受けた伊吹の戦とは、大和朝廷に屈しなかった強力な武力集団があったことをあったことを示していると考えられるが、その中心はおそらく伊福氏であろう。
琵琶湖東岸の草津に意布伎神社が鎮座するのは、伊福氏の一族が当地に及んでいることを示すものといえよう。祭神のシナツヒコノミコト(志那津彦命)、シナツヒメノミコト(志那津姫命)は、級長津彦、級長津比賣とも書かれるが。アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)とは同神とされる。
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地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
20120820 更新
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