暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (二八五)

2013年05月25日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二八五)
コメントありがとうございます。いま記述している項目が一区切りしたところでお答えしましょう。
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 要点に絞って記述させていただきます。綿津見氏は稲の栽培。秦氏は鉄と非鉄の採鉱から精錬に主力を注ぎ、ともに財物の形成に著しい成果を挙げたのではないでしょうか。スサノオノミコト(素盞鳴命)の里帰りもおそらく日本の砂鉄に注目したもので、簸川、斐伊河ー安来(やすぎ)を注進とする山陰の製鉄は、ずっと後になりますが、石見銀山(島根県)、生野銀山(兵庫県)などへと広がってゆきます。

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