暘州通信

日本の山車

◆13705 岡山神社 更新

2012年10月06日 | 日本の山車
◆13705 岡山神社 更新
□所在地 岡山県岡山市石関町
□社名 岡山神社
□祭神
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト 倭迹迹日百襲姫命
配祀 
オオキビツヒコノミコト 大吉備津彦命
イモヒメノミコト 妹姫命
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
オオヤマクイノミコト 大山咋命
武安霊命(旧岡山藩主池田光政公)
摂社
尾針神社
□汎論
 岡山神社は延喜式神名帳、備前國二六坐中、御野郡(みのこおり)に記載される八坐のうちの一坐。天正元年(一五七三)、宇喜多直家が岡山城を築くため、やや北西にあたる旭川右岸の現地へ遷座となった。旧地は岡山とよばれた岡山城天主の位置にあったと伝わり、岡山県、また岡山市の名称の語源となった地である。
 祭神のヤマトトトヒモモソヒメノミコト(倭迹迹日百襲姫命)は、オオキビツヒコノミコト(大吉備津彦命)の姉にあたる。ヤマトトトヒモモソヒメノミコトは、大和大三輪のオオモノヌシノミコト(大物主命)の妻となるが、見てはならないと言われている、大物主の実体が蛇であることを知り、驚愕して死去する。箸墓古墳はその墳墓と伝わる。岡山県と奈良県の間には古代すでに密接な関係にあったと考えられる。
 ヤマトトトヒモモソヒメノミコトを邪馬臺國女王の卑弥呼ではないかとの説があり箸墓古墳を卑弥呼の墓ではないかと言う説がある。筆者は否定する。
 備前には【おおみわ】の名称の古社があり、遠祖をニギハヤヒノミコトに結びつく大倭・大和と備前とのあいだには密接な関係があったと推定する。猶、久米郡に大倭村(現津山市)があって、大和と大倭の関わりが論じられることがあるが、大倭村の【倭】は倭文のことと推定される。
 境内社の【尾針神社】は、「尾の墾(はり)」の意と推定され、兵庫県の【播磨】は「墾磨」。愛知県の【尾張】は「尾墾」、名古屋市内の【平針】は「平墾」、愛知県犬山市の【針綱神社】は「墾綱神社」と理解される。

地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
20120920 更新

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