暘州通信

日本の山車

◆18007 志加海神社 (三)

2011年01月12日 | 論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆18007 志加海神社 (三)
   
 スサノオノミコト(素盞嗚命)は、海神族(綿津美氏)から離れ、九州伊都(怡土)から民を移して、ネノクニに出雲の國を興した。テナヅチ、アシナヅチ夫婦の娘であるクシイナダヒメ(奇稲田姫、櫛稲田姫)を妻に迎え、生まれた子供がオオクニヌシノミコト(大國主命)である。オオクニヌシノミコト(大國主命)はほぼ全国に進出し大国を築いた。出雲、和泉、怡土、伊豆などは出雲國の痕跡の印象がある。
 オオクニヌシノミコト(大國主命)が死後オオナムチノミコト(諡号、大己貴命)とよばれるようになり祖神として祀られるようになった。オオクニヌシノミコト(大國主命)はそらく一人ではなく代々の称号であろう。最後の代のオオクニヌシノミコト(大國主命)が物部氏の長である大物氏であり、大和(奈良県)の大神神社(おおみわじんじゃ)はその霊を祀る神社であり、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)とオオモノヌシ(大物主)は同一であろう。長野県には諏訪大社があり、タケミナカタノカミ(建御名方命)とヤサカトメノミコト(八坂刀売命)の夫婦神を祖神とする。ヤサカトメノミコト(八坂刀売命)は、越後(新潟県)糸魚川を根拠としたヌナカワ氏の娘とされる。また、タケミナカタノカミ(建御名方命)の母はカナサシ氏(金刺氏)の出身とされ、タケミナカタノカミ(建御名方命)とともに信州まできたが、子供と別れ自分は晩年を辰野(辰野町)で過ごしそこで亡くなったといわれ、辰野諏訪神社境内に墳墓がある。諏訪湖を源流とする天龍川流域には遠州掛塚(静岡県)まで金刺姓がしばしば見られる。この時代には多くの神が祀られるようになり、神社が創祀されるようになった。
  この時代は日本政権第三期とする。

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