暘州通信

日本の山車

◆00268 八坂神社祭

2012年09月12日 | 日本の山車
◆00268 八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 掛川市(旧大東町)中
□祭神
□祭は一〇月上旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、屋臺。
・毛森
・高塚
・下方
・公文
(順不同)
□汎論
 遠州掛川(掛川市)を中心とする山車には大きくわけて三態様の山車が曳かれる。そのひとつは、近江國(滋賀県)湖東地方の近江八幡市浅小井、甲賀市(旧水口町)、日野町から鈴鹿を越え三重県亀山市(旧関町)、静岡県、遠州森(森町)、さらには上奏佐原(現香取市)、常陸潮来地方にまで見られる上臺に屋根を葺かない【露臺式山車】で、これはさらに二輪車、四輪車がある。その二は浜松市を中心に見られる【御殿山車】とよばれる系統。その三は、大須賀町西大淵の熊野神社で曳かれる【禰里屋臺・ねりやたい】。この形式は、江戸時代中期に江戸の神田祭で曳かれた山車で、斎藤月岑(さいとうげっしん)の『武江年表』には、【万度・まんどう】として記述される。秩父夜祭を始め、小鹿野町、荒川村、秩父市横瀬、山田から奥秩父にかけて曳かれる【傘鉾(笠鉾)】が古い形態を伝えている。これに、寄居町、上野國(群馬県)の尾島祗園祭などで曳かれた【一本柱山車】が加わったものが【萬燈・まんどう】の祖形といえよう。萬燈型山車は一度江戸に入ったあと、埼玉県。神奈川県に広がっている。
 この萬燈型山車を江戸に倣い、遠州に伝えたのが大須賀城主だった大須賀氏だと伝わる。
 遠州各地の山車にはこの三態様の山車を基本にした形態の山車が多く見られるが、これも山車を曳く地域により、時代の趣向をとりいれた遷移がみられる。
 大須賀町では一三臺の禰里が曳かれるが、同じ形態の山車を引く地域でも禰里とはよばないようである。
 当八坂神社祭で曳かれる山車も【禰里型】に分類されよう。

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