暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (三〇六)

2013年05月28日 | 日本の山車
玉依姫 様 (三〇六)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 役ノ行者は、神と佛を同一視する【本地垂迹説】を立て、一時は流刑となりますが、後にはこれを支持する天皇が出てくることはご存知の通りです。熊野系の神社はいまも【神と佛を等格】に扱っているのではないでしょうか。
 こうして大和朝廷の神道が復活したのは、おそらく【平城京】から都を遷した時期になるでしょう。その背後には新羅系氏族である【秦氏】の力が大きく【平安遷都】が成功したのは秦氏により、大和政権の内部にはびこる不満分子を抑えきれたことにあるでしょう。
 大和朝廷から、三百年足らずの國教としての佛教はしりぞき、復活した神道は第五期までを基礎として体系付けられ、皇室神を加え、一方じゅうらいの神を廃した、【第六期 神道】が、新しい神道となって発足しました。この【第六期 神道 皇室神道】はご存知の通り、昭和二〇年八月の日本敗北で終わり、現在の神道は【第七期】に該ると思います。

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