暘州通信

日本の山車

00003 若一王子神社祭

2008年07月29日 | 日本の山車
00003 若一王子神社祭
長野県大町市俵町
若一王子神社
祭神は
アマテラスオオミカミ 天照大神
イザナギノミコト 伊弉冉尊
ニシナオウ 仁品王
イモヤヒメ 妹耶姫
境内社
八坂神社
□祭は七月下旬。
舞臺六臺を曳く
□山車
・大黒町
本座に大国主命を飾る。
天保九年に松本市本町二丁目が建造したものを、明治期になって譲りうけたという。現在松本市で曳かれる山車とは形態が異なるので改造されているかもしれない。
全体を黒漆塗りとし、多くの彫刻があり、欄間には蝦蟇仙人をはじめ多くの仙人が彫刻される。車輪を覆う輪掛は市松格子になっているのが目を惹く。四角い木を網代に編む独特の技法で、近年その作り方が解明されたが、長年謎であった。天保期の作とすれば、製作者は飛騨の匠であろう。市松格子は清見村(現高山市)に本歌があり、同村の了徳寺鐘楼、高山市内島川原町、日枝神社脇の和合神社に類作が残る。
前部は轅状、龍頭のつく楫棒がつき基部を力が支える。
・高見町
本座に獅子頭と油単を飾り、前に金幣をたてる。
・五日町
本座に白弊をたてる。
・六日町
本座人形は葛の葉で知られる安倍保名。
正面の欄間に四角く切った窓があり、そこから白い狐が頭と前足をだして所作をするからくりが行われ、お囃子にあわせて軽妙に操られれる。大町市では唯一のからくり。
・八日町
本座には白弊が立つ。
大町では唯一の二輪車。
・九日町
本座は娘道成寺で知られる安珍と清姫の人形。
上臺は朱の水引幕がかかり、柱には四本とも金色の大きな龍が巻きつく。九日にちなんで「旭」が徴として用いられ、「旭」と書かれた鬼灯提燈が軒にさがる。
上臺の勾欄は朱塗正面を開け、隅は刎ねない。上縁はおおきくしっかりした構造で金具が打たれる。
下臺は、正面は千本格子側面は竹の簾がかかるが、お囃子の演奏中は巻上げられる。
□汎論
若一王子神社(ニャクイチオウジジンジャ)の創祀は、祭神として祀られるニシナオウ(仁品王)、イモヤヒメ(妹耶姫)の夫婦神にはじまると推定される。
垂仁期に仁科盛遠が紀州熊野若一王子神社の分祀を受け合祀された。境内に八坂神社草葺の観音堂、三重の塔があり、境内社が多数ある。
上田市の生島足島神社、須々岐川神社、松本市の須々岐水神社など熊野ともかかわりが深い。
八坂神社は江戸期に居谷里の天王沢に水神として祀られていたもので、九日町を経て若一王子神社の境内に移された。見事な神輿がある。いまはあたらしい神輿を車輪のついた臺にのせて曳いている。江戸時代に悪疫がはびこったので祭が始まったと伝えるが、いまの若一王子神社の祭は祇園祭かもしれない。もっとも、黒塗りの臺車の三宝に俵の神饌は若一王子神社に供えられる。
神幸には可憐な稚児が供奉する。
大町市では、山車は舞臺といわれるが、すべて二層式で、上臺が本座、下臺が藝座となっており、下臺は小庇をつけ正面は千本格子にしているのは飛騨高山の影響を受けたと推定される。松本市の山車も飛騨高山の影響を受けており、飛騨春慶が掛けられたものが見受けられるが、大町にはない。
松本市より譲り受けた大国主命を飾る大黒町の舞臺が古く、八日町の舞臺が二輪なのをのぞけば基本型はほぼおなじである。
組ごとにみごとなお囃子が演奏される。幼い童子から成人まで地域の伝統がみごとに継承されている。山車(舞臺)は宵祭にコマクサ通に明かりを燈して曳き揃えられ、お囃子が演奏される。
□問い合わせ
大町市商工観光課
電話0261-22-0420


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