若宮神社の屋臺と三番叟
静岡県新居町
昭和五三年八月西町区の若宮神社改築のとき御殿屋台の上部が発見されたが、屋臺棟に諏訪神社の社紋がはいっていることがわかった。
さらに、あやつりやからくりに使用される綱の溝が彫ってあり、その溝が相当磨耗していたことからかなりの期間にわたって使用されたと推定された。
さらに高見町より三番叟あやつり人形の翁と尉の一対の人形が発見され、人形の足の付け根に「文政十四年高見若連」と記す墨書きがみとめられた。
源太山町区有文書である「万年記」には、文化13年(1816)7月から三番叟の記録があり、これが天保13年(1842)まで続いていることから、両者の関係に関心が集まった。
およそ26年にわたって上演されたと推定され、復活も考えられたが、継承者がなく廃案になった。屋臺と三番叟人形は新居町教育委員会事務局に保管されている。
静岡県新居町
昭和五三年八月西町区の若宮神社改築のとき御殿屋台の上部が発見されたが、屋臺棟に諏訪神社の社紋がはいっていることがわかった。
さらに、あやつりやからくりに使用される綱の溝が彫ってあり、その溝が相当磨耗していたことからかなりの期間にわたって使用されたと推定された。
さらに高見町より三番叟あやつり人形の翁と尉の一対の人形が発見され、人形の足の付け根に「文政十四年高見若連」と記す墨書きがみとめられた。
源太山町区有文書である「万年記」には、文化13年(1816)7月から三番叟の記録があり、これが天保13年(1842)まで続いていることから、両者の関係に関心が集まった。
およそ26年にわたって上演されたと推定され、復活も考えられたが、継承者がなく廃案になった。屋臺と三番叟人形は新居町教育委員会事務局に保管されている。
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