暘州通信

日本の山車

00004 宮津山王祭

2006年06月25日 | 日本の山車
 宮津藩の域下町は西堀川をはさんで東町と西町に分かれる。東西両地区にはそれぞれの氏神があり、東は和貴宮、西は日吉神社となっている。
日吉神社(旧山王神社)の祭は四月、和貴宮の祭礼は九月だったが現在は5月に統一された。ただ祭はそれぞれ独立して行われている。
神楽が奉納されるが、以前は越前武生(福井県)から一座を招いて大神楽を挙行してもらったと言われる。現在は地元の有志が行っている。
山王祭りは宮津祭、国祭と称され、かつては城下をあげての祭礼であった。
曳山は藝屋臺とよばれ曳山と狂言見物の衆でたいそうな賑わいだったと記録される。
上演された狂言は、地元で演じる場合のほかは、いwゆる買い芝居で、舞鶴や福知山の仲介人に依頼し、また播州・美作方面から世話人の斡旋で子供歌舞伎を雇って演じた
といわれる。

屋臺囃子の曲目はほぼ共通で、
ささぼやし 道中の囃子
天神ばやし 幕開きの囃子
ごんぽ
相生ばやし
・花車
・梅が枝ノ手水鉢
・伊勢音頭 戻り囃子
などがある。宮津市史にはお囃子のCDがついているので聞くことができる。

享保二年({七{七)四月十八日の山王祭礼記録した『宮津日記』には、「当組ヨリ田村屋臺シャキリ入」とある。坂之上田村麻呂を主神とする山車でしゃぎりが演奏されたと推定される。「田村」とは坂上田村麻呂のことで、鈴鹿の鬼退治を主題にしたもの? と想像されている。
『宮津日記』は、その後寛延二年(一七四九)の山王祭に次の屋臺九臺を曳いた記録がある。記録の初見よりおよそ40年後である。
・鈴鹿山
・稲荷山
・春日山
・万歳鉾
・明神山
・二輪山
・天神山
・高砂山
・日吉山

九臺の屋臺は、寛延四年に曳かれ、寛政元年(一七八九)には新たに、
・岩戸山
・紅葉山
・蛭子山
・住吉山

の四臺が加わって十三臺となっている。
牧家文書、「寛政元年山王祭礼行列覚」によると、曳山名称、所属十三町内、狂言演目が次のように記録されている。
鈴鹿山 本町 菊慈童千代の寿
三輪山 本町 花競浮かれ瓢箪
春日山 魚屋町 双蝶々廓日記
高砂山 魚屋町 菜種の乱咲
稲荷山 萬町 彦山権現誓助剣
天神山 萬町 盛衰記がねの段
万歳鉾 職人町 花八三芳野武門の旭
岩戸山 白柏町 弐入婿様堅気
日吉山 白柏町 海女物語和国誉
紅葉山 河原町 郭通ひ花子の噂
蛭子山 葛屋町 義経千本桜四段目
住吉山 猟師町 紅葉狩曲水之段
明神山 川向町 彦山権現毛谷村の段

 山王祭の屋臺巡行は戦後ほとんど中止状態であるが、昭和五十八年再開の相楽山の町内曳き、平成四年十一月二十二日には、ふれあいフエスタ・イン・ミヤヅ同盟が芸屋臺四臺を曳き、宮本町の万歳鉾では七〇年ぶりに子供歌舞伎「御所桜堀川夜討弁慶上使之段」を上演している。


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