暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (六六一)

2014年01月04日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六六一)
 これは仮説です。
 >……人間界と神坐すところをむすぶためのにたてる【柱】の思想は、世界中にあり、それは、一本の柱にはじまるわけですが……  についてですが、私の考えでは、現在のお墓の形(石塔や十字架、マウンドなど突起物を造り、あるいは置いて目印とする)のは気の遠くなるような古代からずっと続いてきた人間 の習性のようなものではないかと思っています。
 【……気の遠くなるような古代からずっと続いてきた人間 の習性】とはまことに謂いえていると思います。日本の信仰の起源とも推定される【古代祭祀】の形で、もっとも古いものと考えられる【山上祭祀】であり、これと深く関わる【磐坐】は、さらに【柱を立てる思想】へと進みます。ここにいたって、従来は自然に神降っていたのが、人為的に神を迎えるかたちへと進んだと考えられます。
 各地に【桙立山(ほこたてやま)】の名称の山がありますが、【桙立】であって、【鉾立】ではありません。木の柱だったでしょう。この木の柱を立てることを【立て木(たてぼく)】 といい、刈り入れた稲をかける【稲架】に用いる用材を、飛騨地方(岐阜県北部)では、【たてぼく】とよんでいます。

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