暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (二八八)

2013年05月25日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二八八)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 韓半島(朝鮮半島)における、百濟と新羅の戦は激戦だったと伝えられます。天智天皇二年(六六三)、日本からは、天智天皇(中大兄皇子)の命により、阿倍比羅夫を総帥とする応援兵が百濟救援に向かいますが、【白村江(はくすきのえ)の戦い(現:錦江近郊) 】において大敗し、百濟は滅亡したとされます。
 井上靖氏の小説『額田王(ぬかたのおおきみ)』には、この敗北により、次は唐(中国)と、新羅連合軍の兵が日本を攻撃するのではないかとおびえる場面がありますが、結局その兵が日本に向かうことはありませんでした。
 百濟と新羅の戦は史実ですが、この【白村江の戦い】に日本は本当に兵を送り、参戦していたのか疑問視されています。またこの戦で百濟から多くの難民が日本に渡来したのですが、これを受け入れたのは【カモ氏と大和政権(天皇)】だったと想像されます。
 韓半島(朝鮮半島)では、百濟と新羅の激しい戦が行われているにもかかわらず、百濟系氏族である海神系・綿津見氏、カモ氏、大和政権と、新羅系氏族である秦氏の間ではそのような戦が行われた史実は存在しないようです。むしろ、良好なコラボレーションが維持されていたと考えるべきではないでしょうか。


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