暘州通信

日本の山車

00460 五所川原の立佞武多

2007年04月27日 | 日本の山車
00460 五所川原の立佞武多
四月二十二日、青森県五所川原市の佞武多の館が開館三周年を迎え記念行事が行われたので行ってきた。
開館に展示される佞武多人形は高さおよそ二十三メートル。七、八階のビルの高さに匹敵する巨大さで見るものを圧倒する。
エレベーターであがり、長い回廊をまわりながら下り、多角的に佞武多を鑑賞できるようになっている。いい試みだ。
ちょうど、お囃子の実演と「はねと」のすばらしい踊りを堪能できた。
五所川原市の佞武多の歴史は詳らかでないが、地方資料によれば明治時代中期
に盛んになり、大正期にかけて高さ十間(十八メートル)以上の巨大なものが出たとある。近年は電線敷設のため高さが制限されて、背の低いものが作られているが、このような制限のなかったころには各地の佞武多は背の高いものであった。
佞武多は、青森市などに見られる「ねぶた」と、弘前市などに見られる「ねぷた」に
二大別される。前者は、人形ねぶたといい、後者は行燈ねぷたともよばれる。
五所川原市では佞武多をねぷたとよび、往年の巨大な佞武多を復活させ「立佞武多」と呼ぶようになってきている。
佞武多の起源は不明とされ、幕末の古文書にはすでにその「起源が不明」とある。
「ねむり流し」の行事は、九州阿蘇方面にも行われており、富山県滑川市にねぶた祭があり、福島県二本松市にも佞武多祭がおこなわれている。かっては全国的に行われたと考えられる。
山車が火と結びついた行事は各地にあるが、石川県の奉燈きりこ、富山県の夜高行燈、新潟県や弥彦の行燈、山形県湯沢の行燈などの行事が次第に北上伝播していったものであろう。
一方鹿児島県や宮崎県に見られる彌五郎どん、三重県四日市市の大入道は、だいだらぼっち、でいだらぼっちともいわれる大入道にちなんだ巨人伝説がある。
富山県高岡市伏木には「たてもん」とよぶ巨大な人形をつくる風習があり、祭には富山湾のかなたからも海のうえにまず人形が見え、しだいに岸に近づくと人形の下に家並みが見えるようになったという言い伝えが残っている。
熊本県牛深市に起源をもつといわれる民謡の牛深はいやは、次第に北上して、白峰おわら、越中おわら、佐渡おけさなどとなり、青森県に至って洗練の極地といわれる津軽あいやになったと言われる。南に下った鹿児島おわら、徳島の阿波踊りで知られる「よしこの」もその影響を受けている。
筆者は、青森の佞武多もおなじ経路をたどったものと推定している。
青森の佞武多は神社に係属しない民俗行事となっているが、五所川原の佞武多も、終わればいわき川に流したといい、まがごとながし(凶事流し)にきざしている。佞無他とよぶべきだという説もある。
芭蕉の、
   象潟や雨に西施がねぶの花
にある、ねぶの花は合歓の木の花のことであるが、
   荒海や佐渡によこたふ天の川
とあわせて、牽牛と織女が天の川に会する祭を佞武多祭だという説もある。
大隅の彌五郎どんまつりとおなじように浜くだり神事に比定する説もある。

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