暘州通信

日本の山車

01803 坂下の花馬祭

2006年07月29日 | 日本の山車
01803 坂下の花馬祭
岐阜県中津川市(旧坂下町)
坂下神社
祭神は誉田別命(應神天皇)、事解男命、菊理媛命(白山)
祭は10月上旬

言い伝えによれば800年にもおよぶ歴史があるという。
袖洞(外洞)の豪族だった林小次郎永正の勧請で、初期には下組字法力屋の地内にあったものを、木曽義仲が現在地(松源地)に遷したといわれる。
木曽義仲は信州宮ノ越で幼少期を過ごしたが、当社に平氏追討の願をかけていたが、出陣の日も参詣に訪れた。
すかし、降り続いて雨で木曾川は氾濫していて川を渡れず参詣できなかった。
そこで樋口次郎兼房の申し出をいれ幣を結び付けた矢を対岸で待ち受けていた坂下村の原善右衛門に放った。原と住民たちは、その意を解し矢を馬の鞍にさして代参祈願した。
寿永3年(1184)木曾義仲は平氏を討ち、征夷大将軍の官位をうけた。この報らせが坂下に伝えられ、三郷(下組区、合郷組区、町組区)の人々は総出で行列をつくり、幣をつけた矢を下組の馬の鞍に立てて神社に参拝し、義仲の旭将軍戦勝を報告した。
これが花馬が行なわれるようになった期限だという。




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