◆35224 日氏の系譜 一九
これは仮説である。論述を端的にするため、ここからは概論を先に述べることにする。
日氏という集団が構成されるに到った根源には稲作がおおきく関与していると考える。日氏は稲作を推進しながら、【肥國】の勢力を広げつつ、北東進をつづけ、おおむね東北地方の平野部にいたるまで郡、邑の版図をひろげていったと推定される。
次の世代で、この日氏を包括しながら勢力を持ったのが【海神族・綿津見氏】であろう。この勢力は
韓半島(朝鮮半島)から南下して国東(くにさき)に根拠を占め、宗像氏を一族とした【秦氏】と同化してゆき、さらには、出雲氏を率いるスサノオノミコト(素盞鳴命)からオオクニヌシノミコト(大國主命、すなわち大己貴命)にひきつがれていったと推定される。残念ながら現段階ではその年代までは特定不可能である。
これは仮説である。論述を端的にするため、ここからは概論を先に述べることにする。
日氏という集団が構成されるに到った根源には稲作がおおきく関与していると考える。日氏は稲作を推進しながら、【肥國】の勢力を広げつつ、北東進をつづけ、おおむね東北地方の平野部にいたるまで郡、邑の版図をひろげていったと推定される。
次の世代で、この日氏を包括しながら勢力を持ったのが【海神族・綿津見氏】であろう。この勢力は
韓半島(朝鮮半島)から南下して国東(くにさき)に根拠を占め、宗像氏を一族とした【秦氏】と同化してゆき、さらには、出雲氏を率いるスサノオノミコト(素盞鳴命)からオオクニヌシノミコト(大國主命、すなわち大己貴命)にひきつがれていったと推定される。残念ながら現段階ではその年代までは特定不可能である。
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