暘州通信

日本の山車

◆01553 江刺甚句まつり

2012年07月18日 | 日本の山車
◆01553 江刺甚句まつり
□汎論
 江戸時代を通じて、各地に飢饉の大恐慌があった記録が残る。多くは冷害であり、東北地方の惨状はまことに悼ましいことであった。岐阜県の飛騨高山でも七月に雪が降り「野山に青いものを見ない……」と大飢饉の様相が伝えられている。この飢饉の年はこれに追い討ちをかけるように大火災が発生した。東北地方には盛岡をはじめ、各地にはいまも火災防ぐ「火防祭」が行われている。 
 江刺市にも「火防祭」が行われるが、【江刺甚句まつり】として大規模な【民謡流し】が行なわれる。
 【江刺甚句まつり】は、平安時代、奥州藤原氏の居館である豊田舘ごかれていた【岩谷堂】にはじまると伝わり、初期には【江刺追分】があったといわれるが今に伝わらない。
 江戸時代には、高さが八間以上(約一五メートル)にもおよぶ【山車・大山】を曳く【大山祭】が行われたともあり、【山車・大山】とは、日立市宮田の神峰神社祭で曳かれるような大山だったようである。

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