暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (五二八)

2013年08月16日 | 日本の山車
玉依姫 様 (五二八)
 これは仮説です。
 物部氏は一般には「もののべし」とよばれますが、語義としては【もののぶ、もののふ】であり、【武士を、もののふ】とよぶのもここにあるとされます。房総に鉄を鍛え、農具や武器を生産し、國を守る【武人氏族】としての地位は、他に比類ない強大なものだったと考えられます。のちの、出雲氏の國譲りの際に、出雲氏、諏訪氏が物部氏とことを構えなかったのは、戦わずしてその結果が歴然たるところがあったからでしょう。
 【石橋山の合戦】に破れた源頼朝が、房総に一時逃れ、捲土重来の復活ができた背景にはやはり房総の財力武力に負うところがあったと推察されます。
 蘇我氏はも延べ氏に従い次第に力を蓄え、その陪臣としての地位を確かなものとし、これがやがて、大和國(奈良県)の物部氏の一氏族として栄えるに到ったと推定されます。
 蘇我氏の繁栄は、房総に始まり大和國に大きな勢力となったのではないでしょうか。これが関東における【前方後円墳】成立の大きな素因と考えられます。

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