暘州通信

日本の山車

29772 江戸の山車

2009年01月04日 | 日本の山車
29772 江戸の山車

江戸時代、天下祭ともいわれ、江戸城西の丸御殿まで曳き入れて時の将軍の上覧に供した山車も、大政奉還を経て明治維新を迎えた。山王社は日枝神社に改称、長らく江戸の市民に親しまれた粋の華でもあった山車は姿を消し、山車祭は御神輿の祭にと姿を変えた。
惹かれなくなった山車は、栃木、熊谷、青梅、八王子へと譲渡され、惜しまれつつ江戸の町を離れていった。佐倉には江戸の山車に用いられた大幕が保存されるが、大粒の波しぶきは、銀製である。
 今に至っても江戸の町を曳かれた山車が復興することを願う人は多い。
 先の戦争で、東京市外は東京大空襲により焦土と化した。江戸の町を後にしていった山車がもし残されていても間違いなく罹災し、今見ることはできないであろう。
山車のたどった変遷、歴史を考えると複雑な思いは胸を去らない。



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