◆34605 セオリツヒメ 五
これは仮説である。
平安時代に上梓された、延喜式神名帳の第八巻に、【大祓祝詞】がある。
天武天皇により再興され、文武天皇により大祓神事が定められたといわれるが、その大祓祝詞の下段に、ハヤアキツヒメ(速秋津姫)、ハヤサスラヒメ(速佐須良姫)とともに【セオリツヒメ(瀬織津姫)】の名があり、この三姫を姉妹とし、【セオリツヒメ(瀬織津姫)】は末娘となっている。この三姫は宗像三女神 に酷似し、とくに【セオリツヒメ(瀬織津姫)】は、イチキシマヒメ(市杵島姫)にちかい。
これまでまったく表面に出ることのなかった【セオリツヒメ(瀬織津姫)】の三姉妹神がはじめて公式文書で扱われている。
すでに述べたが、一〇世紀の平安時代まで【セオリツヒメ(瀬織津姫)】の存在は伏せられたままであった。これはアマテラスオオミカミ(天照大御神)を皇室祖神として表に出すため、意図的に排斥されていたと考えるほうが自然である。
とまれ、【セオリツヒメ(瀬織津姫)】は【祓神(はらえのかみ)】として、扱われるにいたって、各地に若干ながら【祓神社】、【祓戸神社】が祀られるようになった。この名称の神社の祭神はたとえ不明あっても、【セオリツヒメ(瀬織津姫)】である可能性が高い。
これは仮説である。
平安時代に上梓された、延喜式神名帳の第八巻に、【大祓祝詞】がある。
天武天皇により再興され、文武天皇により大祓神事が定められたといわれるが、その大祓祝詞の下段に、ハヤアキツヒメ(速秋津姫)、ハヤサスラヒメ(速佐須良姫)とともに【セオリツヒメ(瀬織津姫)】の名があり、この三姫を姉妹とし、【セオリツヒメ(瀬織津姫)】は末娘となっている。この三姫は宗像三女神 に酷似し、とくに【セオリツヒメ(瀬織津姫)】は、イチキシマヒメ(市杵島姫)にちかい。
これまでまったく表面に出ることのなかった【セオリツヒメ(瀬織津姫)】の三姉妹神がはじめて公式文書で扱われている。
すでに述べたが、一〇世紀の平安時代まで【セオリツヒメ(瀬織津姫)】の存在は伏せられたままであった。これはアマテラスオオミカミ(天照大御神)を皇室祖神として表に出すため、意図的に排斥されていたと考えるほうが自然である。
とまれ、【セオリツヒメ(瀬織津姫)】は【祓神(はらえのかみ)】として、扱われるにいたって、各地に若干ながら【祓神社】、【祓戸神社】が祀られるようになった。この名称の神社の祭神はたとえ不明あっても、【セオリツヒメ(瀬織津姫)】である可能性が高い。
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