暘州通信

日本の山車

◇01037 能代日吉神社祭

2009年06月09日 | 日本の山車
◇01037 能代日吉神社祭

秋田県能代市御指南町
日吉神社
□祭神
オオヤマクイノオオカミ 大山咋大神
オオモノヌシノオオカミ 大物主大神
オオクニヌシノオオカミ 大国主大神
□汎論
日吉神社はよく整備されたゆったりとした広い境内に鎮座するもと総社で、能代の鎮守である。創祀は天文二年(一五三三)といい、出雲系二神が首座となっている。
創祀時の能代は海辺の小集落で、ほとんど原野だったといわれるから、祀られた神々は文字通り能代の発展をつぶさに見守ってきたといえるだろう。土地の人たちの報恩の気持ちが神社の維持にも大きくかかわっている。
 祭には「五丁山」とよぶ山車が曳かれたと記録にあるが、不幸にして火災に遭い失われた。現在はその後に建造された山車が曳行される。
 山車は単層で、四本柱、屋根は重厚な唐破風。山車の中央を本座として人形を飾る。
 したがって、巻くには覆われず開放されている。本座周囲は赤い勾欄がめぐらされ、正面も切らない。

◇05073 日吉八幡社祭

2009年06月09日 | 日本の山車
◇05073 日吉八幡社祭

秋田県秋田市新屋日吉町
日吉八幡社
□祭は六月中旬
葦舟を曳く。
□汎論
葦は水辺の草として独特の風情がある。琵琶湖湖北の水辺の葦は春の芽だし、風に靡く盛夏の緑、冬枯れの侘しい姿。四季を通して景観に風情を添える。
「芦刈」は、芦売りに身を落とした夫を訪ねてきた妻と再会しめでたく復縁する話として謡曲に伝えられ、京都祇園祭には芦刈山、飛騨高山にも以前には芦刈とよぶ屋臺があって春祭に曳かれた。
 「難波の葦は伊勢の浜荻」といわれる。葦は「悪しき」に通じるとして忌み、「葭(よし)」をあてることがある。
江戸中期、難波の醸造家だった木村蒹葭堂は、博物学者としてもよく知られるが、井戸を掘るときに葭の根が出てきたので、これを号にしたといわれる。
葦船とは、数千年前から存在している船の中では最古で、葦(パピルス)を束ねて縄でくくられただけの原始的な船です。
 この葦をつかって舟をつくった歴史は古く、エジプトの壁画、ペルーの葦舟、ティワナコの織物などほぼ世界全域にわたって行われている。
 日本でも古事記に登場する。
 筆者は遣唐使の乗った舟の帆はこの葦を網代に編んだものではなかっただろうかと想像している。
 だが、時代が下がるに従い葦舟は次第に姿を消し、いまは南米などの漁業で使われるものなどいちじるしく数を減じた。
 秋田市の葦舟はその遺習を伝えるものとしてまことに貴重だと思う。鹿嶋の神を葦舟に載せるというのは、昔は盛大に行われた常陸(茨城県)鹿嶋のお舟祭を連想させる。