最近、ごみ屋敷が問題になっている。ごみ屋敷は、自分の家で行われている行為であり、周囲に迷惑を掛けても、行政が強制的に排除することは極めて難しい。個人の権利をどこまで認めるか、という事だ。個人の権利は憲法で保障されている。但し、権利を行使することで公共の秩序を乱したり、他人に不当な権利の侵害になったり、犯罪になることが予測できる場合には公権力を使って排除できる。
しかし、個人の権利は何処まで認められるか判断をすることは難しい。秩序はみ出していない、他人に大きな迷惑を掛けていない、犯罪にはなっていない、と言う状況下で、ごみ屋敷になった時に、一体どうすればいいのだろうか。この問題、地域住民の環境を破壊している、他人の生活権を犯している、という事で片付けることはできないのか。法律論になると、権利の主張の方が大きく、その他のことが蔑ろにされてしまうケースが多い。
様々な事案が出てきて、行政はそれに手こずっている。一つのことに行政が掛りっきりになることはできない。「違法ハーブ」のように一括して対処できるような法律を考えなければならないのではないか。基本法は民法、刑法などで規定されているが、住民の生活に密着する規則や条例は、地域によって多少異なる。行政が基本的なことを検討する機能があればいいのだが、今の行政にはそれらを検討する能力は持っていそうにない。
この問題、日弁連やNPOがもっと深く入り込んで、行政を助けるべきではないか。知恵は出さなければ何も活用できない。物事は考えているだけでは実行できない。今のままではごみ屋敷を排除できないで周辺住民が困るだけである。個人の権利をどのように制限するか、多くの法律との絡みで考えなければならない。基本的には憲法であるが、個人の権利でも制限できる範囲があるはずだ。権利を尊重しつつ、住民が安楽に暮らせる住環境を守るためにある程度の規制をする必要があるように思える。
権利と義務は表裏一体、と言う考え方がなかなか生まれない。権利だけが優先しているような気がする。強い権利意識があるのに、義務を実行しないのはどうかしている。戦後の社会は余りにも権利が強すぎている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます