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大学医学部の不正入試、何故止められない

2018-12-10 05:01:18 | 日記
大学の不正入試、何故止められないのか。ここまで行くと、不正がない学校はあるのだろうか、という疑問さえ出てきそうだ。医学部の不正で入学し、卒業して医者になっても、ろくな医師にならないだろう。何故なら、スタートから不正をしているのだから、医師になっても響いているのではないか。医師になりたい、という気持ちは解るが、不正をしてまで医師になりたいのか。こんな気持ちで医師になろうとしている人は恐らく金儲けをしたい、という考えが先にあるのではないか。
 
医師は「師」という職業の一つだ。「師」とは、辞典によると「学問や技芸などを人に教授する者。先生。師匠。」(「日本国語大辞典」(小学館)より)と定義されている。不正をしてまで先生になろうというのか。不正をしてまで師匠になろうというのか。例え学力があろうとも、例え実力があろうとも、不正をしてまで医師になったところで大した医師になれないだろう。医師を志す気構えが最初から間違っていては本当の医師にはなれない。
 
不正は、不正をする側も不正をされる側も同じように罪が深い。医師の子供が、医師になりたいという欲望は解らないわけではないが、不正をして医師になろうという考え方がそもそも間違っている。これはどのような職業にも言えることだが、不正をしてまで親や親戚の人間がやっている職業に就きたいからと言って不正をするのはとんでもないことだ。心が曲がっているとしか言えない。社会には競争がつきものだ。50人募集して100人の応募があれば当然選抜試験を行う。
 
これは何千年も前から何処の国でも行われていたことであり、人間社会では普通のことなのだ。試験の不正は昔からあった。しかし、不正は何時かは判ってしまう。不正を正当化することなど絶対にあり得ない。大学医学部が行ってきた不正は当然暴かれるべきである。不正に携わってきた大学上層部の人間は退陣すべきである。また、不正で入学した人間は自分がどのような立場になるのか、しっかりと認識すべきである。退学しろ、とは言わないが、それなりの覚悟で勉学を続けなければならないだろう。所謂、罪の償いをどこかで行わなければならない。
 
自らが不正に関わっていなくても、医師になった時に恩返しをすることを心掛けなければならないだろう。借りを返してこそ医師として独り立ちをしたことになる。不正で入学した人は相当数いるはずだ。学校を卒業して医師になった時に、社会に対して何をすべきか、よく考えてほしい。社会への貢献をすることで借りを返したことになる。
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